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· サイゴン(現ベトナム) · フランス語

L’Écho annamite

サイゴンのフランス語紙『レコー・アンナミット』のこの号の一面は、E・ドゥジャン・ド・ラ・バティの署名コラムを冒頭に載せた。筆者は、植民地コーチシナでは征服者と被征服者の間に平等がないと論じた。筆者はさらに、コーチシナ生まれの帰化アンナン人だけが原住民選挙人団を選べ、生来のフランス人や連邦の他地域出身の帰化者にはその権利がないという逆説を指摘した。ニュース記事は、アンナン人商工業者協会の満員の講演会でレー・ヴァン・ゴンが経済発展計画と銀行設立案を説明したと報じた。ブイ・クアン・チエウを含む聴衆は、まず単純な貸付業務から始める信用機関を望んだ。短い社告は、集金係が地方の未払い購読料を回収に回ることを伝え、読者が身元の証明を求めてよいと知らせた。

翻訳

ある選挙の教訓

平等とは実に結構なものである。平等はあらゆる所にあるべきなのに、どこにも見当たらない。完全なものはこの世に存在しないので、文明国、あるいは文明国を自称する国々は、少なくとも名目上は自国民を平等の立場で扱うことによって、できる限り平等に近づこうと努めている。つまり、市民の権利と義務は万人に共通の法文によって定められ、その法文は市民が法の前で互いに平等になるように作られている。征服者と被征服者がいる植民地では、これらさまざまな部類の人々の間に平等が存在しないことは明らかである。コーチシナでは、事態はそれ以上に良い、あるいはそれ以上に悪い。どちらと見るかはお好み次第である。帰化したアンナン人は、自分たちと同等とみなされることになっている生来のフランス人が享受していない利点を、少なくとも一つ享受している。逆説的ではあるが、現実の話である。実際、コーチシナ生まれの帰化アンナン人には、原住民選挙人団を選択する権利がある。彼らはその特別な身分のために、この選挙人団から切り離されていることになっているのにである。この権利は、生来のフランス人にも、コーチシナ以外の連邦諸国出身の帰化者にも認められていない。

昨日のアンナン人商工業者協会での講演会

予告していた通り、レー・ヴァン・ゴン氏は昨晩、アンナン人商工業者協会の本部で、わが国の経済発展計画と銀行設立案を説明した。会場は超満員であった。聴衆の中には、モナン弁護士、技師ルー・ヴァン・ラン氏、評議員チュオン・ヴァン・ベン氏のほか、商人、工業家、請負業者、アンナン人官吏の姿が見られた。ブイ・クアン・チエウ氏は用事で遅れ、講演の半ばごろになってようやく到着した。レー・ヴァン・ゴン氏はフランス語で、明瞭な声と非の打ちどころのない発音で話し、熱狂した聴衆から何度も拍手を受けた。講演の後、参加者は計画中の銀行の設立と運営について和やかに討論した。その討論から、まずは単純な貸付業務に限った信用機関を組織したいという全体の希望が浮かび上がった。

地方の読者各位へのお知らせ

地方の読者各位に謹んでお知らせいたします。当社の集金係グエン・チャイン・チエウ氏が、未払いとなっている購読料の回収を担当いたします。同氏を快くお迎えくださり、当社支配人の署名が正しく記された請求書を同氏が提示した際にはお支払いくださるよう、お願い申し上げます。読者各位は、グエン・チャイン・チエウ氏に身元の証明を求めることができます。

解説

コラム筆者ウジェーヌ・ドゥジャン・ド・ラ・バティの経歴

このコラムを書いたウジェーヌ・ドゥジャン・ド・ラ・バティは、1920年代のサイゴンで活動した急進派の記者の一人である。歴史家フィリップ・ペイカムの研究を紹介した書評によれば、彼はフランス人外交官とベトナム人の露天商の間に生まれた非嫡出子であり、グエン・アン・ニンとともにコーチシナ総督モーリス・コニャックを繰り返し攻撃した。1926年3月には、ドゥジャン・ド・ラ・バティとグエン・アン・ニンの名を記したビラがサイゴンで出回り、植民地当局は3月24日にこの2人を含む3人の記者を逮捕した。1920年に『レコー・アンナミット』を創刊したグエン・ファン・ロンは、この欧亜混血の民族主義者と同紙で一緒に働いた。ドゥジャン・ド・ラ・バティは混血の出自を持っていたので、植民地の法が出自と身分によって人々を区分するというコラムの主題は、筆者自身にとって抽象的な問題ではなかったと考えられる。

穏健な改革派紙としての『レコー・アンナミット』

『レコー・アンナミット』はサイゴンで発行されたフランス語の新聞である。グエン・ファン・ロンは1920年に植民地政府の支援を受けて同紙を創刊し、主要な執筆者として書き続け、やがて社長兼唯一の所有者になった。同紙は『トリビューン・アンディジェーヌ』と同じく政府のさまざまな政策に反対したが、対決ではなく協調の姿勢をとった。同紙は自由主義的な新聞とされている。ドゥジャン・ド・ラ・バティが行動を呼びかけずに、法文や選挙規則を皮肉を込めて分析する形で論じたことは、同紙のこの立場と合っている。ロン自身はブイ・クアン・チエウが率いる立憲党の副党首だったので、同紙は同じ面の講演会記事に登場する改革派の有力者たちとつながっていた。

レー・ヴァン・ゴンの銀行講演会に集まった改革派

講演会の記事に名前が出る人々は、サイゴンのベトナム人改革派の顔ぶれと重なる。記事が遅れて到着したと記したブイ・クアン・チエウは『トリビューン・アンディジェーヌ』の編集者で、穏健な政治改革を唱えた人物である。チエウは1923年に結成された立憲党を率い、『レコー・アンナミット』の創刊者グエン・ファン・ロンがその副党首を務めた。聴衆の中のモナン弁護士は、1925年にアンドレ・マルローとともに新聞『ランドシーヌ』を創刊したポール・モナンである可能性が高い。商人、工業家、請負業者、官吏が会場に集まった背景には、第一次世界大戦後にアジアの米取引の拡大に支えられて好況となったコーチシナ経済がある。記事はレー・ヴァン・ゴンの計画と、まず単純な貸付業務から始める信用機関を望んだ聴衆の希望を伝えており、銀行が実際に設立されたかどうかは示していない。

コーチシナの植民地評議会と選挙規則

コラムが論じた逆説は、コーチシナの選挙制度にかかわるものである。コーチシナには選挙で選ばれる植民地評議会があり、その議事録は1880年から1941年まで刊行された。総督は評議会の通常会期を演説で開き、A・トランス総督は1924年10月6日にこの演説を行った。フランス領コーチシナの選挙法令集は早くも1881年に刊行された。この新聞の周りの人々にとって評議会の議席は重要であり、グエン・ファン・ロン自身も植民地評議員に選ばれた。原住民選挙人団がフランス人の選挙人団とは別に置かれていたこと、コーチシナ生まれの帰化アンナン人が原住民選挙人団を選べたこと、生来のフランス人や連邦の他地域出身の帰化者にはその選択が許されなかったことは、1926年時点の制度についての筆者の説明である。

原文

Les enseignements d'un scrutin

L'égalité est une fort belle chose. Elle devrait être partout; elle ne se trouve nulle part. La perfection n'étant pas de ce monde, les Etats policés, ou prétendus tels, tâchent de s'en rapprocher le plus possible, en traitant leurs nationaux sur un pied d'égalité au moins nominale, c'est-à-dire que les droits et les devoirs des citoyens sont régis par des textes, les mêmes pour tous, conçus de telle façon qu ils sont égaux entre eux au regard de la loi. Dans les colonies, cù il y a des conquérants et des conqui [?], il est clair que l'égalité n'existe pas entre ces diverses catégories d'individus. En Cochinchine, il y a mieux ou pis - au choix. Les Annamites naturalisés jouissent au moins d'un avantage dont ne jouissent pas les Français de naissance auxquels ils sont censés être assimilés. Chose paradoxale, mais effective. Les Annamites naturalisés, natifs de Cochinchine, ont, en effet, le droit d'option pour le collège électoral indigène, duquel ils sont censés être détachés, en raison de leur statut spécial. Ce droit-là est refusé aux Français de naissance et aux naturalisés originaires des pays de l'Union autres que la Cochinchine.

La conférence d'hier à l'Association des Industriels et Commerçants annamites

Ainsi que nous l'avions annoncé, M. Le van Gông exposa, hier soir, au siège de l'Association des Industriels et Commerçants annamites, son programme de développement économique de notre pays et son projet de fondation d'une banque. La salle était archi-comble. Dans l'auditoire, on remarquait Me Monin, l'ingénieur Luu van Lang, le Conseiller Truong van Bên, des commerçants, des Industriels, des Entrepreneurs, des fonctionnaires annamites. M. Bui quang Chiêu, retenu, n'arriva que vers le milieu de la conférence. M. Lê van-Gông parla en français, d'une voix claire, d'un accent impeccable et se fit applaudir à plusieurs reprises par les auditeurs enthousiasmés. Une discussion amicale eut lieu après la conférence sur la fondation et le fonctionnement de la Banque projetée, discussion qui fit ressortir le désir général d'organiser un établissement de crédit qui se confinera, pour commencer, aux simples opérations d'avances.

Avis à nos lecteurs de l'intérieur

Nous avons l'honneur d'informer nos lecteurs de l'intérieur, que notre encaisseur, M. Nguyên chanh-Chiêu, est chargé de recouvrer les montants des abonnements qui nous restent dus. Nous les prions de vouloir bien lui réserver bon accueil et de s'acquitter des factures qu'il leur présentera, dûment revêtues de la signature de notre administrateur. Il leur est loisible d'exiger de M. Nguyen-chanh-Chiêu la justification de son identité.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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