Le Petit Matin
- 外交政策
- 首相とシャハト氏、ヒンデンブルク大統領に財政計画案を説明
- プリンス・オブ・ウェールズ、パリに到着
1926年10月29日付のル・プティ・マタン紙の一面は、トワリー会談の余波を大きく扱った。アンリ・バルドは署名入りの外交コラムで、トリブーナ紙やコリエーレ・デラ・セーラ紙などのイタリア紙に反論した。イタリア紙は、イタリア大使のブリアン訪問を前に、仏独接近は難航しており、フランスはイタリアへ向き直るだろうと論じていた。バルドは、トワリー会談はイタリアも署名したロカルノ条約の枠内にあると主張した。ベルリン電は、首相とシャハト氏がヒンデンブルク大統領にトワリーの財政計画を説明したと伝えた。同電は、メロン=ベランジェ協定の批准が延期されたため交渉は長引くとドイツ政界がみていると報じた。短い記事は、プリンス・オブ・ウェールズがパリの駅を出る場面で、写真師がマグネシウムをたき、郊外の群衆が歓呼した様子を伝えた。
翻訳
外交政策
イタリア大使ロマーノ・アヴェッツァーナ男爵は、ローマから帰任してブリアン氏を訪問したばかりであるが、この訪問はイタリアの新聞で前もって盛んに論評されていた。とりわけトリブーナ紙とコリエーレ・デラ・セーラ紙は、この件について記事を掲載し、仏独接近はきわめて困難に見えるという趣旨を述べた。両紙によれば、フランスはイタリアの方へ向き直ることを不満には思わないだろうという。仏独接近がイタリアに対抗する方向へ向けられうるという作り話が信じられるようになるのを許さないことが、何よりも重要である。ブリアン、シュトレーゼマン両氏のトワリー会談は、当然ながら、イタリアが英国と同様に署名したロカルノ条約の枠内に位置づけられるものである。
首相とシャハト氏、ヒンデンブルク大統領に財政計画案を説明
ベルリン、10月28日発。ヒンデンブルク大統領は本日、首相とシャハト氏を引見し、両氏はトワリー会談から生じた財政計画に関する交渉の現状を大統領に説明した。政界では、メロン=ベランジェ協定の批准が先送りされたため、これらの交渉は長期にわたるだろうという見方が一般的である。この批准こそが、いかなる形であれアメリカの信用供与を求めるための第一の条件であると、引き続き考えられている。
プリンス・オブ・ウェールズ、パリに到着
大勢の写真師がマグネシウムをたき、たくさんの写真を撮る。皇太子が駅から出てくると、駅の周辺に詰めかけた郊外の住民の群衆が皇太子を熱烈に歓呼し、皇太子はほほえんで会釈する
解説
トワリー会談の合意内容とロカルノ体制
アンリ・バルドのコラムは、トワリー会談をロカルノ条約の枠内に置くことで会談を擁護した。1926年、フランス外相アリスティード・ブリアンとドイツ外相グスタフ・シュトレーゼマンは、フランスの村トワリーで会談した。この会談でシュトレーゼマンはフラン安定のための物的支援を約束し、ブリアンはザール地方のドイツへの早期返還と、ラインラントの軍事管理と占領の早期終了に同意した。両外相がトワリーでまとめた包括的な合意は、両国で強まった国民的な反対のために実現しなかった。歴史家はトワリー会談を、ロカルノ政策の頂点であると同時に終点とみなすことが多い。仏独接近はイタリアに向けたものではないというバルドの主張と、イタリアが英国と同様にロカルノ条約に署名したという記述は、同紙自身の論である。バルドはこの論で、仏独路線がすでに行き詰まっているというイタリア紙の見方に反論した。
メロン=ベランジェ協定の批准がアメリカの信用の前提とされた理由
ベルリン電は、トワリー会談の財政面をアメリカ側の条件に結びつけた。1926年4月29日のメロン=ベランジェ協定は、フランスがアメリカに負った戦時債務の額と返済の割合を定めた協定である。駐米フランス大使アンリ・ベランジェは、フランス議会の批准を条件としてこの協定に署名した。アメリカはその一方で、債務返済の問題が未解決である限り、フランスへの民間および公的な融資を目立たない形で阻み始めていた。このアメリカのやり方が、批准をアメリカの信用を求める第一の条件とみるドイツ政界の見方の背景にある。同紙の報道に従えば、トワリーの財政計画はフランス議会の採決を待たなければならなかった。協定はフランスで強い不評を買い、フランスの人々はアメリカが債務を放棄すべきだと考えた。フランス議会の批准は1929年7月まで遅れた。
1926年のタンジールとイタリアの参加要求
バルドは、フランスがイタリアへ向き直ると描いたイタリア紙に反論しており、この年に仏伊間で動いていた問題の一つがタンジールである。1926年8月中旬の電報で、在スペイン米国大使はスペイン政府の説明を本国に伝えた。スペイン政府によれば、スペインと英国は、イタリアがタンジール国際管理地区の規約に加わることを条件に、イタリアの地区行政への参加を認めることで合意していた。そのための交渉はローマで進んでおり、フランスはまだこの提案に同意していなかった。抜粋は、アヴェッツァーナ男爵がブリアンと何を話したかを伝えていない。この電報が示すのは、大使の訪問の約2か月前の時点で、イタリアのタンジール参加にまだ同意していなかった国がフランスだったという事実である。
駅頭のマグネシウム閃光
この記事は、写真師たちがプリンス・オブ・ウェールズの到着に際してマグネシウムをたいたと伝えたが、これは当時ごく普通の報道写真の技法だった。マグネシウム粉末と塩素酸カリウムを混ぜた閃光粉は、ドイツの発明者アドルフ・ミーテとヨハネス・ゲーディケが1887年に導入したものである。1920年代を通じて、閃光撮影とは通常、職業写真師がT字形の閃光ランプの受け皿に粉をまいて点火することを意味した。点火した閃光粉は、短く強い光とともに煙と音を出した。閃光電球は1929年にドイツで初めて商業生産されたので、1926年10月に皇太子を迎えた写真師たちはまだ開放式の閃光粉を使っていた。記事の描写は、多数の写真師がマグネシウムをたき、駅を出る皇太子の周囲で閃光と煙が繰り返し上がった光景を伝えている。
原文
La politique extérieure
La visite que vient de faire à son retour de Rome l'ambassadeur d'Italie, le baron Romano Avezzana à M. Briand a été par avance fort commentée dans la presse italienne. Particulièrement la Tribuna et le Corriere della Sera ont à ce propos publié des articles qui disaient en substance que le rapprochement franco-allemand apparaissait fort difficile. La France ne serait pas mécontente de se retourner vers l'Italie. Il importe au plus haut point de ne pas laisser s'accréditer cette légende que le rapprochement franco-allemand pourrait être tourné contre l'Italie. Les conversations de Thoiry entre MM. Briand et Stresemann se situent naturellement dans le cadre des contrats de Locarno que l'Italie a signés comme la GrandeBretagne.
Le chancelier et M. Schacht exposent au président Hindenburg les projets du plan financier
BERLIN, 28 octobre. - Le président Hindenburg a reçu aujourd'hui le Chancelier et M. Schacht qui lui ont exposé l'état des négociations relatives au plan financier qui découle des conversations de Thoiry. L'opinion générale dans les milieux politiques est que ces négociations seront de longue durée à cause de l'ajournement apporté à la ratification de l'accord Mellon-Bérenger. On continue à croire que cette ratification est la condition première de tout appel de crédit américain sous quelque forme que ce soit.
Le Prince de Galles est arrivé à Paris
De nombreux photographes font marcher le magnésium et prennent de nombreuses photographies. Lorsque le Prince sort de la gare, la foule des banlieusards se pressant aux environs de la gare acclame chaleureusement le Prince qui sourit et salue