新聞を読み込んでいます… / Loading the edition…

· ロンドン(カナダ・オンタリオ州) · 英語

London Evening Advertiser

ロンドン・イブニング・アドバタイザーは1926年10月26日付の紙面で、地元ロンドン市の選挙区問題を伝えた。首席選挙管理官アラン・ダイモンドは、1925年選挙区再編法の文言をめぐる一週間の混乱を経て、1912年以降の併合地区をロンドン北選挙区に入れる裁定を下したと同紙は報じた。この裁定は2,000人近い有権者に関係していた。同紙はまた、イレアナ王女を含む女王の一行がナイアガラ川の鋼鉄アーチ橋を渡ってカナダに入り、両岸のナイアガラフォールズの市長が女王を歓迎したことを伝えた。ヘンリー・サマヴィルの英国発の記事は、炭鉱労働者の指導者クックが演説を続け、各地の空気が一触即発になっていると報じた。同じ記事は、雪の降ったロンドンでガス工場の前に粗末な身なりの子供たちがコークスを買うために並ぶ様子を描いた。

この版は紙面の一部だけを読んでいる。OCRの文字データは崩れがひどく使えないため、三本の抜粋は画像の判読できる部分から書き起こしている。ナイアガラの記事と英国情勢の記事は冒頭が失われており、その箇所を[?]で示している。画像の区切りで切れたグエルフの踏切事故、ファーガソンの選挙区の記事、鉄道当局が首をかしげる記事、殺人罪の起訴の記事は翻訳していない。取得した背景資料は女王のカナダ訪問の公式な扱いや英国の石炭とコークスの価格を扱っていないため、解説はこれらの点に触れていない。

翻訳

公式裁定、併合地区をロンドンの選挙区に編入

首席選挙管理官アラン・ダイモンドが一週間の不確かな状態を経て本日下した公式裁定により、併合地区は確定的にロンドン北選挙区に入ることになった。影響を受ける有権者は2,000人近くにのぼる。この不確かさは1925年選挙区再編法の文言から生じた。同法は、ロンドン北選挙区がダンダス通り以北の市域のすべてを含み、西はテムズ川の中心線まで、そこからこの線に沿って市の西端に至ると定めていたが、1912年以降に市に併合された部分は除くとしていたのである。

カナダ人、女王を歓迎

[?] イレアナ王女と一行は今朝、ナイアガラ川に架かる上流の鋼鉄アーチ橋を渡ってカナダの地に入った。これは、ニューヨーク州ナイアガラフォールズでの朝食の直後に始められた観光の自動車旅行の途中のことである。その朝食の席で、女王陛下はニューヨーク州ナイアガラフォールズのウィリアム・ラフリン市長と、オンタリオ州ナイアガラフォールズのH・P・スティーブンズ市長の歓迎を受けた。

英国の情勢、険悪

[?] 彼は、目下の空気は一触即発であり、その集会は騒乱を招くおそれがあったと考えていたという。クックの演説を全面的に禁じる措置は出ておらず、彼は今週もこれまでどおり精力的に活動するだろう。スタッフォードシャーの当局者が懸念したとおり、多くの場所で空気が一触即発になっているという信頼できる情報がある。天候は厳しい寒さに変わった。ロンドンでは昨日雪が降った。粗末な身なりの子供たちがガス工場の外に長い列を作り、紙袋に入れたわずかな量のコークスを買おうと待っている光景は痛ましい。

解説

ロンドン市の併合地区に選挙区の裁定が必要になった理由

同紙によれば、混乱の原因は1925年選挙区再編法の文言にあった。同法はロンドン北選挙区をダンダス通り以北の市域と定め、西の境をテムズ川の中心線としたが、1912年以降に市が併合した部分をすべて除外していた。この除外規定のために、併合地区の2,000人近い有権者は所属する選挙区を確かめられず、首席選挙管理官アラン・ダイモンドがロンドン北選挙区への編入を裁定するまで待つことになった。オンタリオ州議会は1925年と1926年に選挙区再編法を成立させ、選挙区の区割りを改めた。この再編でオタワ、ハミルトン、ロンドン、ウィンザーはそれぞれ議席を1つ増やし、人口の伸びが鈍い農村部から急成長する都市部へ議席が移った。ロンドン市は再編前には州議会の1選挙区だったので、ロンドン北選挙区の登場は市が州議会の2選挙区に分かれたことと合う。抜粋そのものは州と連邦のどちらの選挙区かを明記しておらず、州の選挙区とする見方は時期と再編の記録から導いた推測である。

裁定の背景にあった1926年12月1日のオンタリオ州選挙

ダイモンドの裁定は、オンタリオ州の有権者が投票する約5週間前に出された。オンタリオ州は1926年12月1日に総選挙を行い、州議会の議員112人を選んだ。この選挙の最大の争点は、州政府がオンタリオ禁酒法を廃止し、禁酒制度を政府による酒類販売の管理に置き換えるという提案だった。ロンドン市の州議会の議席は1925年8月から空席で、最後に保守党の議員が占めていた。このため、ロンドン市の有権者は新しい区割りのもとで改めて代表を選ぶ段階にあった。禁酒派と反禁酒派が鋭く対立する選挙で、併合地区の2,000人近い有権者がどの選挙区に属するかは、彼らがどの名簿に載り、どの候補者に投票できるかを決める問題だった。

ナイアガラで国境を越えた女王の素性

ナイアガラの記事に登場する女王は、ルーマニア国王フェルディナンド1世の妃マリーである。マリー女王は英国王室に生まれ、ヴィクトリア女王の孫にあたる。マリー女王は1926年に子のニコラエとイレアナを伴って米国への外交旅行を行った。同紙の記事で橋を渡る一行にイレアナ王女の名が挙がるのは、この同行のためである。マリー女王は王妃としてルーマニア国内でも国外でも非常に人気があり、1926年の旅行でも子どもたちとともに人々から熱狂的に迎えられた。

1926年の女王の北米旅行の経過と結末

マリー女王は1926年10月18日にニューヨークに到着した。この到着はこの紙面の8日前にあたる。マリー女王はその後、特別列車ロイヤル・ルーマニアン号で米国とカナダをジグザグに巡り、7週間と2日をかけて8,750マイルを移動した。各地で大勢の群衆が女王を迎えたが、クーリッジ大統領はホワイトハウスで女王と13分だけ会い、席を立って会見を終えた。同紙が伝えたナイアガラでの越境は、両岸の市長の歓迎を受けた朝食の直後に始めた観光ドライブであり、この旅の序盤の行程の一つである。旅の終わりには暗い影が差した。フェルディナンド国王は女王に帰国を望むと伝えた。女王が帰国すると国王は重い病にかかっており、数か月後に死去した。

クックの経歴と1926年10月の英国が一触即発だった理由

ヘンリー・サマヴィルの記事に登場するクックは、アーサー・ジェームズ・クックである。クックは1924年から1931年に死去するまで英国炭鉱労働者連盟の書記長を務めた。クックは1926年のゼネストの際、「賃金は1ペニーも下げない、労働時間は1分も延ばさない」という標語と強く結びついていた。労働組合会議は9日でゼネストを打ち切ったが、クックはその後も数か月にわたって炭鉱労働者の抵抗を率い、ストライキは最終的に敗北に終わった。サマヴィルの記事はこの後半の時期を伝えている。炭鉱労働者はなお抵抗を続け、クックは演説を禁じられずにこれまでどおり活動する見込みで、スタッフォードシャーの当局者は少なくとも一つの集会を危険と判断していた。サマヴィルはこうした政治的な緊張を、急な寒波、ロンドンの雪、ガス工場で紙袋入りのコークスを買う粗末な身なりの子供たちの列と並べて描いた。

原文

OFFICIAL RULING PUTS ANNEX IN LONDON RIDING

Official ruling of Allan Dymond, chief election officer, handed down today after a week of uncertainty, places annexed districts definitely in the riding of London North. Nearly 2, 000 voters are affected. The uncertainty was occasioned by the wording of the Redistribution Act of 1925, which said that London North embraced all that part of the city lying north of Dundas street, westerly to the centre line of the Thames River and thence along this line to the westerly limits of the city, except that portion of the city annexed since 1912.

Canadians Welcome The Queen

[?] Princess Ileana and party, crossed the upper steel arch bridge over the Niagara River to Canadian soil this morning, in the course of a sight-seeing motor trip which was undertaken immediately after the breakfast at Niagara Falls, N. Y., when her majesty was welcomed by Mayor William Laughlin of Niagara Falls, N. Y., and Mayor H. P. Stephens of Niagara Falls, Ont.

Situation In Britain Menacing

[?] that he thought the atmosphere was explosive at the moment, and that the meeting would have threatened disorder. There is no general prohibition against Cook's speaking, and he will be as active as ever this week. There is reliable information that the atmosphere is explosive in many places, as the Staffordshire officer feared. The weather has turned bitterly cold. It was snowing in London yesterday, and it is a pitiable sight to see the long queues of ill-clad children waiting outside the gas works to buy small quantities of coke in paper bags.

紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料

万国一面について →

本日の新聞一覧

街を巡る ↑
100%
原紙を拡大して読む

つまんで拡大 · 指で紙を動かす