Evening Star
- イリノイ州の選挙戦、反禁酒派が大差で多数を占めるのは確実な情勢
- 私のアメリカの印象
- マン博士、野生動物1,700頭を連れて首都に到着
1926年10月26日付のイブニング・スター紙は、G・グールド・リンカーン記者のシカゴ発の記事を載せた。記事は、イリノイ州が11月2日の上院選で共和党の禁酒派フランク・L・スミスをおそらく当選させる一方、各州が酒類の定義を決められるようボルステッド法の改正を求める住民投票では反禁酒派が大差で勝つと予測した。記事によれば、反酒場連盟は住民投票を無意味で違憲だとして、禁酒派に参加しないよう呼びかけていた。紙面にはルーマニア王妃が署名したコラムの冒頭も載り、王妃は客船リヴァイアサン号との別れと、霧に包まれた自由の女神を初めて見た場面をつづった。マン博士が野生動物1,700頭を連れてワシントンに戻った記事は、助手のサイディが神経質なヒョウと同じ車両で一夜を過ごした様子を伝えた。
翻訳
イリノイ州の選挙戦、反禁酒派が大差で多数を占めるのは確実な情勢
イリノイ州シカゴ発、10月26日――イリノイ州は11月2日、共和党の禁酒派上院議員候補フランク・L・スミス大佐をおそらく当選させるだろうが、同時に投票が行われる住民投票では、疑いなく反禁酒派が大差の多数を積み上げるだろう。この禁酒をめぐる住民投票は、ニューヨーク州のものとほぼ同じである。この住民投票は、何が酔わせる酒類にあたり、何があたらないかを各州が決められるようボルステッド法を改正することを、イリノイ州の有権者が望んでいると表明するものになる。反酒場連盟の指導者たちは禁酒派に対し、住民投票に参加しないよう促してきた。指導者たちは、この住民投票には実質的な意味がなく、憲法に反しており、禁酒問題をめぐる本当の住民投票は禁酒派の候補者を公職に選ぶことで行われるのだと主張している。
私のアメリカの印象
アメリカに着くという心躍る興奮があったにもかかわらず、私たちが快適な海上の住まいであり、とても楽しい時を過ごした美しいリヴァイアサン号を離れるのがどれほど悲しかったか、皆さんには想像もつかないでしょう。ハートリー中佐に別れを告げたことは、私たちの旅の中でもかなり物悲しい出来事でした。天気はあまり愛想がよくなく、上陸するためにメイコム号に乗り込んだときには、私たちはみな少々湿っていました。何度も話に聞いていた自由の女神が見えてくると、女神は慎み深く霧に身を包んでいましたが、私たちはしかるべき敬意をもって女神に挨拶しました。少しして、私はアメリカの地に足を下ろしました。
マン博士、野生動物1,700頭を連れて首都に到着
そのほかの哺乳類、鳥類、爬虫類は急行貨車に積み込まれ、欠かせない存在のサイディは、飼育下で最大のヒョウの檻を載せた車両に閉じ込められ、そのヒョウに付き添ってワシントンまでやって来た。ヒョウは神経質になっている様子を見せており、マン博士がサイディに与えた最後の指示は、ヒョウが檻から逃げ出したら、自分が檻の中に飛び込んで内側から閂をかけろ、というものだった。しかしサイディは、人食い獣と一緒に閉じ込められて一夜を過ごすという任務を、さほど心配してはいなかった。
解説
イリノイ州上院選と禁酒をめぐる住民投票の結果
リンカーン記者による上院選の予測は当たった。上院歴史局によると、一部のイリノイ州共和党員は選挙戦の最中にスミスに候補を降りるよう求めたが、スミスはこれを拒み、11月の本選挙で6万票以上の差をつけて勝った。主な対立候補は、クック郡民主党委員長で民主党候補のジョージ・E・ブレナンと、無所属で立った元州上院議員ヒュー・S・マギルだった。住民投票について、タイム誌は1929年の記事で、リトル・エジプトと呼ばれるイリノイ州南部の農民が、地元選出の下院議員が禁酒派であったにもかかわらず、1926年の州全体の酒類住民投票で反禁酒の側に投票したと書いた。記事は反禁酒派の多数を疑いのないことと書き、反酒場連盟がこの投票を無意味で違憲だと退けて、スミスのような禁酒派候補の当選こそが禁酒への支持を示すと主張していたことも伝えた。
スミスが当選した議席に就けなかった理由
スミスは本選挙に勝ったが、上院議員として議席に就くことはなかった。上院歴史局によると、スミス陣営に向けられた告発の一つは、公益事業会社の有力な経営者サミュエル・インサルがスミスの予備選の選挙資金に12万5,000ドルを献金したというものだった。スミスは当時、公益事業を規制するイリノイ州商業委員会の委員長を務めていた。上院は長い調査の末、1928年1月19日に61対23の票決で、スミスには上院の議席を得る資格がないと決め、スミスは選挙不正の疑いのために一度も議席に就かなかった。この紙面の抜粋はスミスを共和党の禁酒派候補として紹介し、選挙戦を禁酒問題の構図で伝えており、最終的にスミスの行方を決めた選挙資金の問題には触れていない。
ルーマニア王妃がアメリカ到着をつづった背景
マリー王妃のコラムは、王妃がニューヨークに着いた8日後に紙面に載った。王妃は1926年10月18日にニューヨーク市に到着し、歓声を上げる群衆と紙吹雪のパレードに迎えられた。王妃は子どものニコラエとイレアナを連れて、合衆国を回る外交的な旅に出ていた。王妃のアメリカ人の友人サム・ヒルは、ワシントン州に建てた新しいメアリーヒル美術館の開館式で王妃が演説するよう招いていた。王妃は11月17日に国王フェルディナンドが病に倒れたという知らせを受け、旅を予定より早く切り上げた。ここで訳した一節が扱うのは、王妃自身が語る訪問の最初の場面だけである。王妃はリヴァイアサン号を降り、メイコム号で岸に向かい、霧に隠れた自由の女神に挨拶したと書いた。
原文
BIG WET MAJORITY SEEMS ASSURED IN ILLINOIS CONTEST
CHICAGO, Ill., October 26. - While Illinois probably will elect Col. Frank L. Smith, Republican and dry candidate for the Senate, on November 2, it will beyond a doubt roll up a big wet majority in the referendum which is to be voted upon at the same time. This wet and dry referendum is practically identical with that of New York. It would declare the desire of Illinois voters that the Volstead act be so amended as to permit the individual States to determine what is and what is not intoxicating liquor. The Anti-Saloon League leaders have urged the drys not to take part in the referendum, holding that it has no real significance, that it is unconstitutional and that the real referendum on the wet and dry question is to be had in the election of dry candidates for office.
My Impressions of America
You cannot imagine how sad we were, in spite of the pleasurable excitement of arriving in America, to leave the beautiful Leviathan, our comfortable floating home, upon which we had had such a happy time. Saying good-by to Comdr. Hartley was quite a melancholy incident in our journey. The weather was not particularly amiable and we all were rather damp when we got aboard the Macom to go ashore. When we came in sight of the Statue of Liberty, of which we had heard so often, we greeted her with all due respect, although she had modestly shrouded herself in mist. A little later I put my foot on American ground.
DR. MANN ARRIVES IN CAPITAL WITH 1,700 WILD ANIMALS
The others, mammals, birds and reptiles, were loaded into express cars and the indispensible Saidi was locked in the car containing the cage of the largest leopard in captivity, which he accompanied to Washington. The leopard showed signs of being nervous and Dr. Mann's last instructions to Saidi were, in case the leopard broke out of the cage, to dive into the cage himself and bar himself in. Saidi, however, was not particularly worried over his assignment of a night of captivity with a maneater.
紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料