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· ライデン(オランダ) · オランダ語

Leidsch Dagblad

1926年10月26日付のライデン日報は、ライデン結核撲滅協会が開いたバザーの開幕を伝えた。開幕式には理事会と運営役の婦人委員会、招待された当局者が列席し、会長のJ・ブライニング博士が歓迎の演説をした。同紙は演説の詳しい内容も載せた。同紙は「オランダにおけるローマの再興」と題する講演も報じた。講演者は、カトリック司教区が議会にはからずに復活したこと、抗議がトルベッケの働きもあって実らなかったこと、トルベッケが国民をプロテスタントでもカトリックでもなくオランダの国民と呼んだことを語った。さらに同紙は、鉄道・路面電車職員の禁酒運動の集会でカカオとチョコレートの宣伝映画が上映され、出席者に宣伝用の小包が配られた様子を伝えた。

翻訳

ライデン結核撲滅協会のバザー

アトラクションにも事欠かない。誰もが自分の好みに合うものを見つけられる。本日午後二時半、理事会と運営を担う婦人委員会、そして当局者数名を含む多数の招待客が列席するなか、バザーが正式に開幕した。その際、会長のJ・ブライニング博士が演説を行った。その詳しい内容を以下に掲載する。博士は、ライデン結核撲滅協会の会長として皆さんを心から歓迎できることをうれしく思うと述べた。

オランダにおけるローマの再興

続いて講演者は司教区の復活を取り上げ、それが全国議会にはからずに行われた経緯を論じる。これには激しい抗議の声が上がったが、自由主義の大臣トルベッケの働きもあって、抗議は何の成果も上げなかった。トルベッケは国民を、プロテスタントの国民でもローマ・カトリックの国民でもなく、オランダの国民と呼んだ。

鉄道・路面電車職員の完全禁酒運動

その後、ファン[?]社によるカカオとチョコレートのよく知られた宣伝映画の上映に移った。この映画については本紙がすでに以前詳しく紹介しているので、今回は、映像が全員の注目を集めたこと、そして上映後に同社の代表者が出席者に宣伝用の小包を配ったことを記すにとどめる。

解説

1926年秋に「ローマ」が政治問題だった理由

「ローマの再興」をめぐる講演が行われたのは、ローマ教皇庁との関係をめぐってオランダ政府が倒れた年の終わりである。オランダは1871年に廃止した教皇庁公使館を1915年に臨時の公使館として再開し、1920年には常設の公使館に改めた。多くのプロテスタントはこの措置に不満を抱いた。1925年11月、正統派プロテスタント政党SGPが公使館予算を削る修正案を出し、下院がこれを可決した。カトリックの閣僚4人が辞任し、第1次コレイン内閣は総辞職した。後を継いだ議会外内閣のデ・ヘール内閣は1926年3月に公使館の存続を改めて提案したが、下院はこれを否決した。これによってオランダはしばらく教皇庁に公使を置かなくなった。講演者は議会にはからずに復活した司教区からトルベッケの「オランダの国民」までの歴史を語ったが、聴衆はカトリックの公的な地位をめぐるこの争いを経験した直後だった。

改革派国家党とそのオランダ史観

この講演は、改革派国家党(HGSP)のライデン支部の招きで行われた。HGSPは1921年に結成された正統派プロテスタント政党で、聖書の規範に従って治められるプロテスタントのオランダを目指した。同党は1925年から1937年まで1議席の野党として下院に議席を持ったので、1926年10月の時点では議会に加わったばかりの政党だった。創設者たちは意図して19世紀を参照し、自分たちの抗議運動を1853年の「4月運動」にちなんで「6月運動」と名付けた。ここに引いた記事では、講演者がまさに司教区が復活しプロテスタントの抗議が実らなかったこの時代を語っている。全国議会が無視されたという主張やトルベッケの役割についての説明は、新聞が伝えた講演者の見方である。

カトリックの影響に反対したHGSPのリングベーク

1926年にHGSPの唯一の下院議員だったのは、党の指導者でオランダ改革派教会の牧師カスペル・アンドリース・リングベークである。リングベークは1925年の選挙で党が得た議席に就いた。彼は正統派の説教者として知られ、オランダ政治に対する「ローマ」の影響が大きすぎると激しく非難した。そのため彼は他の右派政党、とくにCHUからも嫌われた。下院では、司祭の兵役免除や修道会に属する教員への国庫補助に反対した。紙面によれば、ライデンでの「ローマの再興」の講演はリングベーク自身が行ったもので、彼が議会で訴えていた不満を一般の聴衆に向けて語るものだった。その不満とは、彼が本来プロテスタントの国と考えるオランダで、カトリックの少数派が公的な地位を着実に広げているというものだった。

1920年代オランダの結核対策の仕組み

ライデンのバザーは、戦間期のオランダが結核とどう闘ったかをよく示している。1940年以前、エックス線診断の普及を含む結核運動の活動は、主に宗派や政治的立場ごとに分かれた民間団体が担い、国が直接関わったのは一部にとどまった。全国的な仕組みでは、オランダ結核撲滅中央協会のような民間団体、地域の看護協会、療養所が、公衆衛生機関や工業企業と組み合わさっていた。国の定めた制度には、結核相談所のような医療援助団体への補助金も含まれていた。こうした仕組みのもとで、地方の協会は民間の自発的な取り組みに大きく頼っていた。理事会と婦人の運営委員会、地元当局者が列席して開いた慈善バザーがライデンで記事になった背景には、こうした事情がある。

原文

BAZAAR VAN DE VEREENIGING TOT BESTRIJDING DER TUBERCULOSE TE LEIDEN.

Aan attracties is er ook geen gebrek. Ieder vindt er iets van zijn of haar gading. Hedenmiddag te halfdrie werd de bazaar officieel geopend in tegenwoordigheid van het bestuur, het dames-comité voor de organisatie en tal van genoodigden waaronder eenige autoriteiten. De voorzitter dr. J. Bruining hield daarbij een rede. waarvan wij hier onder een uitvoerig verslag laten volgen. Het was hem een genoegen als voorzitter der Ver. t. b. d. t. b. c. te Leiden, allen van harte welkom te heeten.

DE WEDEROPKOMST VAN ROME IN NEDERLAND.

Spr. bespreekt vervolgens het herstel der bisdommen, hoe dit, zonder de Staten-Generaal hierin te kennen, is geschied. Hevige protesten heeft men hiertegen geuit, doch hadden deze, mede door den liberalen minister Thorbecke, géén resultaat. Thorbecke noemde de Natie noch een protestantsche, noch een roomsche, doch een Nederl. Natie.

GEHEELONTHOUDING ONDER SPOOR- EN TRAMWEGPERSONEEL.

waarna overgegaan werd tot de vertooning van de bekende reclame-film der firma Van [?], over cacao en chocolade, waarvan wij reeds eerder een uitvoerige beschrijving hebben gegeven. Wij volstaan daarom thans met de vermelding, dat de plaatjes aller aandacht wisten te trekken en dat na afloop aan de aanwezigen door den vertegenwoordiger der firma een reclame-pakketje werd verstrekt.

紙面の出典:Source: Erfgoed Leiden en Omstreken (leiden.courant.nu)

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