世界日報
- 京漢鉄路管理局の緊要広告
- 『世界日報』副刊の合訂本
- 秋節の贈り物をお買い求めください
1926年10月19日火曜日付の北京『世界日報』のこの面には、主に告知と広告が並んだ。京漢鉄路管理局は9月11日付の布告で、車両を融通するために北京・石家荘間の第7・第8特別急行列車を止め、貨車を併結した第21・第22普通旅客列車に切り替えると伝えた。世界日報は自社の副刊を1か月ごとにまとめた合訂本を宣伝した。広告によれば、副刊は北京大学教授の劉半農博士が主編し、合訂本は1冊約120ページで150編以上の作品を収め、学生に向けたものだった。前門外の慶隆茶荘は、福州の珠蘭花で香りを付けた珍珠茶を秋節の贈答品として売り込んだ。
この版は、紙面で判読できた鉄道の布告、副刊の広告、茶の広告の3件を訳している。OCRの文字は大きく乱れていたため、画像と食い違う箇所では画像の読みを採っている。区画r0c2、r1c2、r2c2、r3c2にある黒地の薬の広告は大部分が判読できず、訳していない。小さな活字の書目や目次は一部がぼやけており、訳の対象から外している。そのため、四部叢刊の予約募集のような出版社の告知がその中にあっても、この版は扱っていない。区画の端で切れた文字も省いている。
翻訳
京漢鉄路管理局の緊要広告
京漢鉄路管理局緊要広告 第246号。謹んで申し上げる。本路は現在、車両を融通して輸送の便を図るため、本日より北京・石家荘間を往復する第7・第8特別急行列車の運行を停止し、別に第21・第22普通旅客列車を編成して貨車を併結し、毎日北京・石家荘間を往復させて旅客と貨物を運ぶこととする。ここに急ぎ布告し、広く周知させる。以上布告する。中華民国15年9月11日
『世界日報』副刊の合訂本
世界日報。世界日報副刊合訂本。世界日報副刊は北京大学教授の劉半農博士が主編し、執筆を担う者も多くが当代の学識ある人士である。合訂本は1か月分の掲載作品を集めて1冊に装丁したもので、印刷も装丁もきわめて美しく、古新聞を綴じただけの粗末な体裁のものとはまったく異なる。各冊は約120ページ、収める作品は150編以上にのぼり、内容は豊富で、学問と趣味をともに重んじている。青年が課業の余暇に一人一冊ずつ手にすべきものである。
秋節の贈り物をお買い求めください
火曜日。秋節の贈り物をお買い求めください。珍珠茶、1缶大洋4角。この茶は中国各省の名山から摘んで都へ運び、特に招いた腕利きの技師が福州の珠蘭の花で香りを付けたものである。味は清らかに香って口当たりがよく、飲めば唾液を生じて渇きを止め、暑気を払い、脾胃を丈夫にする。まことに夏季に最も衛生的な飲み物である。総卸売所 北京前門外香廠路 慶隆茶荘。電話 南局4651、5567。
解説
京漢鉄路の成り立ちと運営者
この布告を出した京漢鉄路管理局は、北京と長江沿いの漢口を結ぶ幹線を運営していた。ベルギー系の会社であるソシエテ・ベルジュ・ド・シュマン・ド・フェール・アン・シーヌが、1897年から1906年にかけてこの鉄道を建設した。全長1,214キロメートル、125駅の全線は1905年11月14日に開通した。この鉄道は1909年1月1日に中国側の管理下に入った。したがって1926年にこの布告を出した管理局は、外国の利権会社ではなく中国側の機関だった。布告にある北京・石家荘間の列車は、首都とそれを支配する政府に最も近い北部区間を走っていた。
1926年9月の京漢鉄路沿線の情勢
京漢鉄路管理局はこの布告を1926年9月11日付で出し、運行変更の理由を車両の融通と輸送の便宜とだけ説明している。この時期、京漢鉄路の沿線は内戦の中心にあった。国民革命軍の北伐は1926年7月9日に正式に始まり、同じ年に呉佩孚の軍は湖南北部、湖北、河南を押さえていた。呉佩孚の軍の多くは夏の間、北京近くの南口で国民軍と戦っていた。9月初めに国民革命軍が武昌に迫ると、呉佩孚は軍の大半を率いて北の河南へ逃れ、残った部隊は城壁に囲まれた武昌を1か月以上守った。呉佩孚は1923年にも、京漢鉄路の労働組合連合の成立大会を軍警に妨害させ、軍閥がこの路線を強く支配していることを示していた。布告そのものは、この路線で軍が車両を接収したことには触れていない。そのため、急行停止の原因を軍事に求める見方は、時期の一致から導いた推測にとどまる。それでも、急行を廃して貨車を併結した普通列車に切り替えたことから、管理局が車両不足に直面していたと読み取れる。
劉半農とはどんな人物か
広告が副刊の主編として名を挙げた劉半農は、五四世代を代表する文学者の一人だった。劉半農の作品は1916年に、五四新文化運動で最も影響力のあった雑誌『新青年』に初めて載った。劉半農はその後海外で学び、1925年にパリのソルボンヌ音声学研究所で博士号を取得し、同じ年に帰国して大学で教え始めた。広告が劉半農を北京大学教授の劉半農博士と呼んだのは、この博士号と北京大学での教職を踏まえている。1926年の時点で、劉半農は北京に戻ってまだ1年ほどだった。世界日報は劉半農の名を前面に出し、合訂本を新聞の単なる綴じ直しではなく、学生向けの本格的な読み物として宣伝した。
世界日報とその副刊
世界日報は1926年の時点で創刊から間もない新聞だった。新聞人の成舍我が1925年に夕刊の世界晩報とともに世界日報を創刊し、張恨水に二つの副刊『明珠』と『夜光』を編集させた。成舍我を紹介した近年の記事は、陳独秀、魯迅、李剣農、劉半農、銭玄同を寄稿者として挙げている。この記事は劉半農を寄稿者として扱い、主編とはしていない。そのため、劉半農がここで売られた副刊を主編したという説明は、世界日報自身の広告によるものである。世界日報は創刊2年目に危険な状況にも置かれた。世界日報が軍閥の張宗昌による著名記者林白水の銃殺を報じると、成舍我自身が命の危険にさらされた。こうした事情を踏まえると、この合訂本の広告は、軍閥の圧力を受けていた新聞が、学問と娯楽をそろえた副刊で学生読者をつなぎ止めようとした試みとも読める。
原文
京漢鐵路管理局緊要廣告
京漢鐵路管理局緊要廣告第二百四十六號啓者本路現因調濟車輛便利運輸起見自即日起將往來北京石家庄之第七八兩次特別快車停止開行另組第二十一及二十二兩次尋常客車附挂貨車逐日往來北京石家庄間載運客貨合亟佈告俾衆週知此佈中華民國十五年九月十一日
世界日報副刊合訂本
世界日報世界日報副刊合訂本世界日報副刊, 爲北大教授劉半農博士主編, 担任撰述者, 亦多一時績學之士, 合訂本乃彙集一月所載, 裝爲一冊, 印刷裝潢, 均極精美, 與尋常以舊報裝訂, 形式粗劣者, 完全不同, 每冊約一百二十頁, 作品在一百五十種以上, 內容豐富, 講學與趣味并重, 青年課餘, 所當人手一編也。
請購秋節之禮品
星期二請購秋節之禮品珍珠茶每桶大洋四角此茶係由中國各省名山採運來京特請高等技師用福州珠蘭花燻製而成其味清香適口飲之能生津止渴祛暑熱健脾胃洵爲夏季最合衛生之飲料也總批發處北京前門外香廠路慶隆茶莊電話南局四六五一五五六七