Diario La Nación
- パラグアイ・フットボール代表団、昨夜サンティアゴに到着
- パラグアイ対チリ戦にトロフィー
- 南米フットボール会議、本日未明に開かれる
この日の紙面は、サンティアゴで開催中の南米選手権を中心にスポーツ記事を載せた。紙面は、パラグアイのフットボール代表団が前夜に到着したことを報じた。記事は、代表団のアヤラ氏がパラグアイとチリの親密な友好関係、1921年に使節団書記官としてペルーへ向かう途中でチリを訪れた経験、5日間続いたつらい旅について語った言葉を伝え、パラグアイ・フットボール連盟を率いるアドリアノ・イララ氏をたたえた。短い記事は、宝石店ラ・エキタティバが青銅の獅子のトロフィーを、テアトロ・セティエンブレの支配人が勝利チームの主将へのカップを、チリ対パラグアイ戦のために贈ったことを伝えた。南米フットボール会議の未明の会合を報じた記事は、パラグアイの初戦延期、アルゼンチンとパラグアイが合意したという20日水曜日の試合、チリ側が提案した21日木曜日の試合をめぐって代表たちが議論し、2度の休憩をはさんだ様子を伝えた。
この版は、1926年10月19日付紙面の部分的な読み取りに基づき、スポーツ記事3本を訳している。対象はパラグアイ代表団の到着、チリ対パラグアイ戦のトロフィー、南米フットボール会議の報告である。紙面は湾曲しており、画像の区切りで切れているため、最初の2本の冒頭と会議記事の書き出しは断片しか残っていない。訳文ではそれらの箇所を[…]で示しており、断片中の人名と数字は確かではない。見出しが欠けたウルグアイ主将ホセ・ナサッシのチリ対ウルグアイ戦に関する記事は選ばれた抜粋に含まれていないため、この版は同記事が扱う審判と観客をめぐる論争を取り上げていない。
翻訳
パラグアイ・フットボール代表団、昨夜サンティアゴに到着
[…]代表団長、2 ペドロ・ロドリ[…]、4 モデスト・デニス、5 マヌエル・レ[…]、モデスト[…]領事[…]代表[…]、[…]セオアネ、サン[ティアゴ][…]チリのフットボール[…]および[…]パラグアイによる[…]使節団[…]、アドリアノ・イララ氏である。イララ氏は兄弟国で最も名声ある指導者の一人であり、類いまれな手腕でパラグアイ・フットボール連盟の行く末を導いている。
「この美しい国に到着できたことは、私たちにとって大きな喜びです」とアヤラ氏は私たちに語る。「パラグアイはこの国ときわめて親密な友好関係を育んでいます。1921年、私はパラグアイ政府がペルーに派遣した使節団の書記官として、ペルーへ向かう途中にチリを訪れる光栄に浴しました。ですから、この国の名高いもてなしの心はすでに知っていました。私たちは5日間続けての非常につらい旅をしてきましたが、その苦労は[…]満足によって報われます[?]」
パラグアイ対チリ戦にトロフィー
[…]リオ・ラミレス、5 アマデオ・オルテガ、6 マリオ[…][…]協会。[…]催し[…]ラ・ナ[シオン][…]
宝石店ラ・エキタティバは、青銅製の勇ましい獅子をかたどった見事なトロフィーをチリ連盟に提供した。このトロフィーは、選手権の公式戦として行われるチリ代表とパラグアイ連盟代表チームの試合で争われる。また、テアトロ・セティエンブレの支配人アルメイダ氏は、この同じ試合に勝ったチームの主将に贈るカップを寄贈した。18
南米フットボール会議、本日未明に開かれる
[…]フットボール選手権、AR[…]間[…]選手たちに[…]、したがって第1試合の延期のみを求め、その後の日程は変えないとしている。アルゼンチン代表のドゥッカ氏は、自分たちとパラグアイ側との間で試合を20日水曜日に定める合意があると表明する。チリ代表は、パラグアイが21日木曜日にチリと対戦するという提案を繰り返す。ドゥッカ氏は日程表の変更に反対する。議長は、まずパラグアイが試合を行える日付を決めなければならないと述べる。カサビアンカ氏は、重大な反対理由がないのであれば、アルゼンチン対パラグアイ戦を水曜日に定めるよう求める。チリ代表の要請により、会議は合意を図るため休憩に入る。会議が再開されると、日程表の変更の解釈をめぐっていくつか意見の食い違いが生じ、これを受けてアルゼンチン代表団が再び休憩を求める。
解説
1926年サンティアゴ大会の成り立ちと日程の組み方
1926年の南米選手権は、南米サッカー連盟CONMEBOLの加盟国による第10回の選手権だった。チリが開催国となり、大会は1926年10月12日から11月3日まで行われ、全試合がサンティアゴで開かれた。ブラジルが開幕前に出場を辞退したため、加盟6か国のうちアルゼンチン、ボリビア、チリ、パラグアイ、ウルグアイの5か国が参加した。大会は総当たり方式で行われ、各チームがほかの全チームと1回ずつ対戦し、全試合の勝ち点の合計で優勝が決まった。各チームがほかの全チームと対戦するため、主催者は10試合すべてを一つの日程表に収める必要があった。ラ・ナシオン紙が10月18日夜のパラグアイ代表団到着を報じた時点で、大会はすでに1週間進んでいた。この事情が、この号の会議で代表たちが後の日程を変えずにパラグアイの初戦を既存の日程表に入れる方法をめぐって議論した背景にある。アルゼンチンは1925年大会を制した前回王者として大会に臨んでいた。
会議が争った日程はその後どうなったか
この号の会議記事によれば、アルゼンチン代表のドゥッカ氏はパラグアイ側との合意を挙げて10月20日水曜日の試合を主張し、チリ代表はパラグアイ対チリ戦を10月21日木曜日に行う提案を繰り返した。大会記録によれば、アルゼンチン側の日付がそのまま実現した。アルゼンチンは、ウルグアイが10月17日にチリを破った3日後にパラグアイと対戦し、ガビノ・ソサの4得点などで8対0で勝った。チリ対パラグアイ戦は21日には行われなかった。この試合は11月3日に大会全体の最終戦として開かれ、ダビド・アレジャノがハットトリックを決めてチリが5対1で勝った。この試合が、同じ号がラ・エキタティバの青銅の獅子と、テアトロ・セティエンブレが勝利チームの主将に贈るカップを用意したと伝えた選手権の公式戦である。
パラグアイの大会成績
アヤラ氏が5日間続けてのつらい旅を経て到着したと語った代表団は、4試合のうち1試合しか勝てなかった。パラグアイはアルゼンチンに0対8で敗れた後、10月23日にボリビアを6対1で破った。ウルグアイは自国の最終戦でパラグアイを6対1で下し、この勝利で6度目の優勝を決めた。パラグアイはその2日後、大会最終戦となったチリ戦に1対5で敗れた。この号が伝えたトロフィー付きの試合は、優勝がすでに決まった後に行われたことになる。
試合会場となったニュニョアのカンポス・デ・スポーツ
1926年大会の全試合は、サンティアゴのエスタディオ・スポルト・デ・ニュニョアで行われた。チリ国立図書館のメモリア・チレナは、この競技場をカンポス・デ・スポーツ・デ・ニュニョアとして紹介している。篤志家ホセ・ドミンゴ・カーニャスは遺言で、ニュニョアにある所有地の一部を若者のための競技場に充てるよう望んだ。1918年、その土地の上、現在のカンポ・デ・デポルテス通りとホセ・ドミンゴ・カーニャス通りの場所にカンポス・デ・スポーツが建設された。メモリア・チレナは、1920年と1927年の南米陸上競技選手権と並べて、1926年の南米サッカー選手権をこの競技場で開かれた記憶に残る催しに数えている。この競技場は国立競技場の建設直前に取り壊され、国立競技場は同じ土地に建てられた。会議が争った日程も、ラ・ナシオン紙が伝えたトロフィー付きの試合も、すべてこの競技場での試合を指していた。
原文
La Delegación Paraguaya de Football llegó anoche a Santiago
presidente de la delegación, 2 Pedro Rodrig egado, 4 Modesto Denis, 5 Manuel Re Modesto Cónsul es Rorespecdelegatina; el nanente ericana Seoane; en Sanoot-Ball de la Chile y ionados un capros de ida por aguaya en el la embjaada, señor Adriano Irala, uno de los dirigentes más prestigiosos del país hermano que con singular acierto preside los destinos de la Liga Paraguaya de Foot-Ball. - Es un grato placer para nosotros - nos dice el señor Ayala-llegar a este bello país, con quien el Paraguay cultiva tan estrechas relaciones de amistad. En 1921 tuve el honor de conocer a Chile, a mi paso para el Perú, en mi carácter de secretario de la Embajada que el Gobierno del Paraguay envió a aquel país, de manera que ya conocía su proverbial hospitalidad. Hemos hecho un viaje muy penoso, cinco días consecutivos, pero estos esfuerzos compensan la satiscalc crifi sent P [?]
Un trofeo para el match Paraguay con Chile
lio Ramírez, 5 Amadeo Ortega, 6 Mario El dederosaciación. función ina y que la. cias de La Naortavoz s a los ón herago un las fanos rea frona deva ida por ormada los Cacelo de Un trofeo para el match Paraguay con Chile La Joyería La Equitativa ha puesto a disposición de la Federación Chilena un hermoso trofeo, consistente en un brioso león de bronce, para que sea disputado entre el cuadro nacional y el representativo de la Liga Paraguaya en el match oficial por el Campeonato. A su vez el administrador del Teatro Setiembre, señor Almeida, ha obsequiado una copa para el capitán del equipo vencedor de esta misma partida. 18
EN LA MADRUGADA DE HOY SE REUNIO EL CONGRESO SURAMERICANO DE FOOTBALL
FOOTBALL CAMPEONATO, ENTRE ARte a los jugadores y que por lo tanto, sólo piden postergación del primer partido, pero sin alterar las fechas siguientes. El delegado argentino señor Ducca declara que existe un acuerdo entre ellos y los paraguayos para fijar el partido para el Miércoles 20. El delegado chileno reitera su ofrecimiento de que Paraguay juegue con Chile el Jueves 21. El señor Ducca se opone a la modificación del fixture. El presidente dice que debe solucionarse primero la fecha en que pueda jugar el Paraguay. El señor Casabianca pide, que no habiendo motivos graves que se opongan, se fije el match Argentina-Paraguay para el Miércoles. A petición del delegado chileno, se pasa a cuarto intermedia para ponerse de acuerdo. Reabierta la sesión, se producen algunos desacuerdos para interpretar la modificación del fixture, lo que motiva un nuevo pedido de cuarto intermedia por parte de los delegados argentinos.
紙面の出典:Source: Internet Archive