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この日に発行された世界の新聞15紙の一面を、翻訳と解説で読めます。

Evening Star

ワシントンD.C.(アメリカ) · 英語

1926年10月19日付のイブニング・スター紙1面は、J・P・モルガンと、モンタギュー・ノーマンやヤルマール・シャハトら欧州の主要な銀行家・実業家が署名した宣言を、ニューヨーク発のAP電で大きく伝えた。署名者たちは、戦後の関税や許可制、新たに守りを固めた国境が欧州の復興を遅らせていると訴え、貿易は戦争ではなく交換だと政治家に説いた。同じ面は、ルーマニアのマリー王妃がアーリントンの無名戦士の墓に花輪を捧げ、大統領礼砲21発を受け、予定より15分早くマウントバーノンに着いた様子も報じた。G・グールド・リンカーン記者はカンザスシティーから、ミズーリ州上院選でのハリー・ホーズの勝敗が民主党の協調の行方と、ジェームズ・A・リード上院議員の1928年大統領候補指名への望みを左右すると論じた。

The Montgomery Advertiser

モンゴメリー(アメリカ) · 英語

1926年10月19日付モンゴメリー・アドバタイザー紙の1面は、ルーマニアのマリー王妃の米国第1日を伝えるAP電を大きく載せた。記事は、王妃が特別列車でワシントンに着き、ユニオン駅で海兵隊と軍楽隊と騎兵の出迎えを受け、照明された議事堂のドームに喜んだ様子を描いた。記事はまた、クーリッジ大統領が個人的な事情を理由に王妃との会見を翌日に延ばしたことを伝えた。オースティン発の記事は、テキサス州議会の調査委員会で道路請負業者が、ジェームズ・E・ファーガソン前知事から契約額の約1割にあたる7,500ドルを小額紙幣で求められたと証言したと報じた。ファーガソンはこの告発を安っぽい政治的なでっち上げだと否定した。地元の記事は、メンフィス綿花会議の南部全域計画に沿って、銀行家と農業団体の幹部が綿花プールを組織するためモンゴメリーで会合を開くと伝え、知事が作付面積削減週間を宣言する見通しも報じた。

London Evening Advertiser

ロンドン(カナダ・オンタリオ州) · 英語

この読み取りは、1926年10月19日付ロンドン・イブニング・アドバタイザー紙の一部を扱い、紙面ではオンタリオ州政治の記事が中心を占めた。カナディアン・プレス電は、ファーガソン州首相が州議会を解散し、地域選択制のもとで禁酒を政府管理の酒類販売に改める政策を掲げて12月1日の総選挙を呼びかけたと伝えた。同じ電報は、ニクル司法長官がこの酒類政策に同意できず閣僚を辞任したことも報じた。隣の記事の断片は、ニクル氏がオンタリオ禁酒法を擁護し、政府販売方式を「魅力的だが、人を欺くもの」と評した言葉を紹介した。ロンドン発の特電は、ライヒスバンク総裁シャハト博士が署名し、イングランド銀行総裁ノーマンも署名したとされる欧州実業界の自由貿易声明を伝えた。この声明は、関税が不経済な産業を支えていると批判していた。シカゴ発の短信は、71歳の社会主義指導者ユージン・V・デブスがサナトリウムで危篤に陥っていると報じた。

Vossische Zeitung

ベルリン(ドイツ) · ドイツ語

1926年10月19日付のフォス新聞第1面は、ブダペスト発の記事を先頭に置いた。記事は、ベトレン首相が再開した国民議会で政府の路線は変わらないと述べ、上院法案を最優先に据えたことを伝えた。同紙の通信員は、政府が摂政ホルティをハプスブルク時代の官職である宮中伯にする意向だと報じ、同紙自身は廃位法がある以上その復活は国法上不可能だと指摘した。記事は偽造フラン事件の被告をクリスマスに恩赦する構想も伝えた。別の記事は、大統領がドルプミュラーの国鉄総裁就任を承認し、エーザーの死後に続いた政府と国鉄の対立が管理理事会と交通相の協議手続きによって決着したと報じた。ケルン県知事アーデルマン伯爵の訃報も並んだ。社説は、エーアハルト大佐を迎えた鉄兜団の新路線と「国家の中へ」という合言葉を歓迎したケルン新聞を批判し、その路線を議会と民主主義への攻撃だと論じた。

Neue Freie Presse

ウィーン(オーストリア) · ドイツ語

1926年10月19日のウィーンのノイエ・フライエ・プレッセ紙は、新たに公表された自由貿易宣言を巻頭論説で取り上げた。論説は宣言を力強いラッパの一吹きと呼んだが、休戦から八年もたってようやく黄金の原則が唱えられたことを遅すぎると嘆いた。ルクセンブルク発の電報は、ロンドンでの会合で国際レール協定が調印されたと伝えた。電報によると、ドイツ代表団は委任元と協議するための猶予を求めたが、後から調印するとみられていた。協定はこれまでの暫定的な基礎の上に成立した。文芸欄はアルベルト・バッサーマンのエグモントを批評し、生を愛し、敵を知らず、ほほえみながら破滅へ向かう主人公の姿を描いた。

Prager Tagblatt

Czechia · ドイツ語

このページでは、1926年10月19日付プラーガー・ターゲブラット紙の一面から三つの記事を読む。イェザイアス・アーベルバッハの名を見出しにした社説は、オーストリアのキリスト教社会党を皮肉った。社説によると、党が創設した下オーストリア農民銀行ではパリでフランが売り崩され、党役員たちは偽名や妻の名義で投機口座を持ち、銀行の投機部門は千五百もの投機口座を抱えていた。社説はさらに、反ユダヤ主義を掲げて腐敗と戦うと称する党の側で、洗礼を受けていないユダヤ人が投機部門の助言者だったと書き、州首相ブレッシュも口座の名簿に載っていたと伝えた。ブダペスト発の記事は、ベトレン首相が再開した国民議会で内閣総辞職の理由を説明したと報じた。この総辞職はフラン偽造事件のさなかに出され、摂政ホルティが却下していた。記事の見出しは、ホルティが宮中伯になるのかと問いかけた。紙面はレーニンの遺書の一部も掲載し、スターリンを書記長から外すよう求めた1923年1月の追記を伝えた。

Journal de Genève

ジュネーヴ(スイス) · フランス語

ジュルナル・ド・ジュネーヴ紙の1926年10月19日付第1面は、ローマ特派員の報告として、イタリア国家と教皇庁の対立であるローマ問題がファシストとカトリックの新聞で再び論争の的になったと伝えた。特派員は、ファシスト政権が宗教と聖職者を優遇し、フリーメーソンと闘ったことで、国家と教会の和解が具体的な可能性になったと書いた。J. M.の署名がある社説は、連邦の小麦専売制に反対する同紙が農民の破滅を望んでいるという農業関係者の見方に反論し、戦前のスイス農業の危機から説明を始めた。新刊書を紹介した文章は、人口五百万足らずのギリシャが難民を定住させたことを「新ギリシャの奇跡」と呼び、難民自身とギリシャ国家と国際連盟が後援した借款の働きをたたえた。この文章は、定住に費やした総額を15,225,000ポンドと記した。

Politika

ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl

1926年10月19日のポリティカ紙の一面は、ベオグラードの政局危機を中心に組まれていた。社説「一つの強制」は、ステパン・ラディッチをめぐるザグレブ事件の結果が秘密議定書の中に葬られたと論じ、その議定書の価値はラディッチの約束と変わらないと断じた。社説は、事件が政府内の審議から内閣の危機と首相ウズノヴィッチの辞任へ進み、辞任後にラディッチへ条件が課された経過もたどった。別の記事は、民主同盟が内政、外交、経済危機について質問書を出す方針を決め、浸水被害地域への援助も話し合ったと伝えた。同じ記事は、議会の調査委員会がいわゆるスボティツァ事件の書類を読み続け、多くの委員がそれを時間の浪費と見ていると報じた。

Aftenposten

オスロ(ノルウェー) · ノルウェー語

1926年10月19日のアフテンポステン紙1面は、前日に行われた国民投票を大きく取り上げた。この国民投票は、ノルウェーの蒸留酒禁止を続けるかどうかを問うものだった。午前2時に書かれた社説は、禁酒法が「打ち砕かれ」、完全に否決されつつあると宣言した。社説はノール・トロンデラーグのローラからの最初の報告に始まり、ローガラン県とソグン・オ・フィヨーラネ県が持ちこたえた西部諸県を経て、トロンデラーグと東部地方に広がった変化をたどった。社説は国民の「健全な良識」を祝福した。別の記事は、同紙の選挙バロメーターを見ようとアーケシュ通りを埋めた群衆の様子を伝えた。このバロメーターは新しい数字を1919年の数字と並べて示した。記事は、最初に逆転した選挙区に群衆が歓声を上げたことや、警察が自動車をほかの通りへ誘導したことを報じた。3本目の記事は、オスロの有権者161,673人のうち75パーセント近くが投票したことを投票所ごとの数字とともに報じた。

Leidsch Dagblad

ライデン(オランダ) · オランダ語

1926年10月19日付のライツ・ダッハブラット紙は、デ・ヘイセラール市長が健康上の理由で翌年1月1日付の辞職を女王に願い出たことを1面で伝えた。同紙は市議会と市民の驚きを記し、市長をたたえる歌を引き、16年の在任中に実現した電気軌道や新しい高等市民学校、ライン=スヒー運河の付け替えなどの事業を挙げた。同紙は戦時の献身と市議会での議事運営の手腕もたたえた。1面の別の欄は、船KW.152の遭難で打撃を受けたカトワイクの家族のために同紙が集めた義援金の続報を載せ、企業や学校や個人からの少額の寄付で総額が1686.83½ギルダーに達したと報じた。同紙は主婦協会の展示会に関する市の公示も載せた。この読み取りでは、クルシウス生誕400年の記事は見出ししか確認できない。

時報

上海(中国) · 中国語

1926年10月19日の時報は、浙江の危機を時刻ごとの速報で伝えた。時報は、夏超の軍の前鋒が18日未明に突然引き返し、石湖蕩と楓涇にとどまらず嘉善へ戻ったと報じた。同じ記事は、嘉興の軍当局が機関車の待機を命じたことと、兵士300人を乗せた10両の兵員列車が杭州を出たことも伝えた。孫伝芳の側について、時報は前隊が石湖蕩に達し、歩哨が明星橋の外へ出て、1個小隊が松江に着き、各大隊が梅家弄と新龍華に駐屯していると報じた。北京発の電報は、斉燮元が済南で張宗昌と会い、表向きは江西と湖北の救援を話し合いながら東南の情勢も協議したと伝えた。同じ電報は、山東軍が蚌埠に着いたとの噂を時期尚早だと書いた。この読み取りは3本の記事を扱っており、紙面の多くの部分は判読できない。

世界日報

北京(中国) · 中国語

1926年10月19日火曜日付の北京『世界日報』のこの面には、主に告知と広告が並んだ。京漢鉄路管理局は9月11日付の布告で、車両を融通するために北京・石家荘間の第7・第8特別急行列車を止め、貨車を併結した第21・第22普通旅客列車に切り替えると伝えた。世界日報は自社の副刊を1か月ごとにまとめた合訂本を宣伝した。広告によれば、副刊は北京大学教授の劉半農博士が主編し、合訂本は1冊約120ページで150編以上の作品を収め、学生に向けたものだった。前門外の慶隆茶荘は、福州の珠蘭花で香りを付けた珍珠茶を秋節の贈答品として売り込んだ。

Diario La Nación

サンティアゴ(チリ) · スペイン語

この日の紙面は、サンティアゴで開催中の南米選手権を中心にスポーツ記事を載せた。紙面は、パラグアイのフットボール代表団が前夜に到着したことを報じた。記事は、代表団のアヤラ氏がパラグアイとチリの親密な友好関係、1921年に使節団書記官としてペルーへ向かう途中でチリを訪れた経験、5日間続いたつらい旅について語った言葉を伝え、パラグアイ・フットボール連盟を率いるアドリアノ・イララ氏をたたえた。短い記事は、宝石店ラ・エキタティバが青銅の獅子のトロフィーを、テアトロ・セティエンブレの支配人が勝利チームの主将へのカップを、チリ対パラグアイ戦のために贈ったことを伝えた。南米フットボール会議の未明の会合を報じた記事は、パラグアイの初戦延期、アルゼンチンとパラグアイが合意したという20日水曜日の試合、チリ側が提案した21日木曜日の試合をめぐって代表たちが議論し、2度の休憩をはさんだ様子を伝えた。

Crítica

ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語

1926年10月19日付のクリティカ紙は、外国発の記事3本を載せた。モンテビデオの通信員は、ウルグアイ政府庁舎で崩落が起き、ブランデンゲス・アルティガス大隊の騎兵14人が5メートル下の地下室へ転落したと伝えた。記事は負傷者5人の名前を挙げ、軍の医師が急行したと報じた。AP通信はフィラデルフィア発で、飛行機で北極点に到達した人物として飛行家バードの演説を伝えた。バードは南極点への飛行も試みるかもしれないが計画は未確定だと述べた。また、2000マイルの無着陸飛行が必要になるため、北極点への飛行よりはるかに難しいと語った。アウストラル通信はサンティアゴ発で、南米サッカー会議が紛糾した臨時会議の末にアルゼンチン対パラグアイ戦を翌日に延期したと報じた。見出しは、元の日程を組み合わせ表の誤りとした。

Il Piccolo

Italy · イタリア語

1926年10月19日付のイル・ピッコロ紙は、1面でファシスト党規約の新聞監督条項をめぐる「トリブーナ」紙の論評を伝えた。「トリブーナ」紙は党の指示への服従を当然のことと認めたが、一部の幹部がこの言葉を違う意味に解するおそれを指摘し、どの新聞が党の新聞にあたるのかを明確にするよう求めた。同紙はボローニャ発で、フィリッポ・ナルディがパリで逮捕され、引き渡し手続きを経てボローニャへ移送される見通しだと報じた。その後には、ベンチヴェンガ将軍に対する陸軍の懲戒手続きを伝える記事が始まっていた。ローマ発の記事は、イギリスのストライキが長引くなかで、国民経済省がポーランド炭を運ぶ貨車を増やしたと伝えた。その直前には、連合国の債務とドイツの賠償の削減を扱う記事の末尾が載っていた。

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