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· ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl

Politika

1926年10月11日付のポリティカ紙は、ステパン・ラディッチがザグレブ駅で起こした暴言騒ぎをめぐる政局を一面で大きく伝えた。同紙は、この騒ぎがウズノヴィッチ首相の政府を極めて苦しい立場に追い込み、急進党とラディッチ派の連立を一時危うくしたと報じた。同紙は政界筋の見方として、連立が決裂しなかったのは急進党が決裂後の見通しを持てなかったためだと書いた。見出しはラディッチが釈明のためにやって来ると伝えた。別の記事はラディッチが何らかの策略で言い逃れを図るだろうと予想し、ザグレブでチェコスロバキア議員団を迎えたジャニッチ博士とバザラ博士の態度も政界に苦い印象を与えたと伝えた。三つ目の記事は、雨の中で開かれたスロベニア人向けの集会で、ラディッチが聴衆に心のまなざしで昔から知り合っていると語りかけた演説の冒頭を載せた。

この読み取りは一面の断片的な抜粋三本を対象とする。多くの行が段の端で切れており、訳文では欠落部分を省略記号で示している。集会記事の冒頭数行は文字の崩れがひどく訳出できないため、訳文から省いている。ラディッチの演説は冒頭部分しか書き起こしておらず、見出しの「キリストに対するように……」に当たる箇所は含まれない。抜粋はジャニッチ博士とバザラ博士の名や具体的な言動を記しておらず、スロベニアでの集会の開催地も判読できない。

翻訳

ラディッチ氏、自らの暴言を釈明しに来る

1ディナール|編集部 20-94、9-53、6-56

情勢

ラディッチ氏が来る……

ザグレブ駅でのラディッチ氏の暴言は、ウズノヴィッチ氏の政府を異常なほど苦しい立場に追い込んだ。あまりに苦しく、一時は急進党・ラディッチ派の連立そのものまでが危ぶまれたほどである。政界筋の見方では、決裂に至らなかったのは、ひとえに急進党が決裂後にどうなるか見通しを持てなかったためであり、また政治情勢全体が総じて急進党にとって厳しいためである……最大の……急進党は……ないだろう……釈明によって……そして急進党は……そのような……許されないと……決裂に至っていただろう。

昨日、政界では……氏自身が……グラードに、それも明日……争いを収める……

ラディッチ氏は言い逃れを図るだろう

……筋には、ザグレブでチェコスロバキアの議員団を前にしたジャニッチ博士とバザラ博士の態度が苦々しい印象を与えた。

ラディッチ氏は言い逃れを図るだろう。

St.ラディッチ氏がザグレブ駅で騒ぎを起こし、政府内でそれが問題とされてラディッチ氏に釈明が求められるや否や、ラディッチ氏とその手口をよく知る政界の一部では、ラディッチ氏はきっと何らかの策略で苦境から抜け出そうとするだろう、とすぐに言われた。昨日政界で耳にできたところによれば、ラディッチ氏は実際に策略によって抜け出そうとする見込みがある。ラディッチ氏が最も非難されたのは、自らが今日……そしてその上での今後の態度……そしてラディ……に対して……

ラ……のもとで

ラディッチ派からは昨日……が到着したが、彼もまた……と同様、……HSS会議で何が……かを見越して、完全に口を閉ざしていた(彼の……は……日に到着する予定)。それでもなお、ラディッチ派の……さえ、……筋から伝わるところでは、……少しも満足して……ない。ラディッチ派は……自分たちの要求……そして、それが……となることを隠さない……決断するであろう……

キリストに対するように……

……招集者の予想を下回った。一晩中、集会の開会直前まで雨が降り続いたためである。集会は地元組織の会長スヴィテシッチ氏が開会した。同氏はただちにラディッチ氏に発言を譲り、ラディッチ氏はおおむね次のように述べた。

キリストに対するように……

親愛なるスロベニアの皆さん、敬愛するスロベニアの女性の皆さん、私たちはこれまで目で互いを知ることはありませんでしたが、心のまなざしではとうの昔から知り合っています。皆さんはクロアチア農民……の中で聞き、読んでこられました――

解説

急進党とラディッチの党が連立を組んだ経緯

ポリティカ紙は、急進党とラディッチ派の連立を、一度の暴言でほとんど決裂しかねない関係として描いた。この連立がもろかった理由は両党の過去にある。ステパン・ラディッチは生涯を通じて1918年の統一と、新国家におけるセルビア人の覇権に反対してきた。クロアチア農民党は1925年に方針を転じ、同年3月27日に議会全体の前で国王の統治とヴィドヴダン憲法を承認した。同党はセルビアの保守政党である人民急進党と協定を結び、権力を分け合う取り決めを交わした。この連立はかつての敵同士を結びつけたものであり、ポリティカ紙が駅での一件で連立そのものが一時危ぶまれたと書いた背景もそこにある。急進党が決裂を思いとどまったのは決裂後の見通しが立たなかったからだという記述は、同紙が匿名の政界筋の見方として伝えたものであり、読者は確定した史実とは区別して読む必要がある。

すでに苦境にあったウズノヴィッチ政権

ザグレブでの一件が起きた時点で、ニコラ・ウズノヴィッチは首相に就いてまだ半年ほどだった。1926年4月に汚職スキャンダルに直面したニコラ・パシッチ首相が辞任に追い込まれ、ウズノヴィッチがその後を継いだ。ウズノヴィッチは党内の対立に直面し、在任中には短命な内閣が次々と入れ替わった。ポリティカ紙が政治情勢全体が急進党にとって厳しいと書いた点は、この事情と符合する。分裂を抱えた急進党と予測しにくいクロアチア側の相手に支えられた内閣には、ラディッチとの公然たる対立を受け止める余裕が乏しかったと考えられる。同紙がラディッチの釈明を決裂の前触れではなく争いを収める手段として扱ったのも、この事情から理解できる。

ザグレブ訪問の背後にあるチェコとのつながり

ポリティカ紙は、ザグレブでチェコスロバキア議員団を前にしたジャニッチ博士とバザラ博士の態度が苦い印象を残したとだけ伝えており、判読できる部分は二人が具体的に何をしたかを記していない。同紙は二人の名を記していないが、ここでいうバザラ博士は哲学者アルベルト・バザラである可能性がある。クロアチアの少数民族文化を紹介するサイトは、アルベルト・バザラをチェコ系のクロアチアの偉人の一人で、同時代屈指の哲学著述家だと紹介している。ラディッチの周辺にもチェコとのつながりがあった。ラディッチはプラハに滞在し、そこで進歩青年派を短期間率いた。のちにウズノヴィッチ内閣で建設相に任命されたアウグスト・コシュティッチは、第一次世界大戦後にチェコスロバキアのブルノの技術学校で学び、技師となった。こうした結びつきを踏まえると、ベオグラードの政界はザグレブでのチェコスロバキア議員団の歓迎を政治的な意味を持つ行為と受け取りえたのであり、同紙がラディッチ問題と並べてこれを報じた理由もそこにうかがえる。

ラディッチの遊説とクロアチア人側からの批判

三つ目の記事は、一晩中の雨の後に開かれた集会でラディッチがスロベニア人に語りかけた様子を伝えた。ラディッチは、自分と聴衆が心のまなざしで昔から知り合っていると述べて演説を始めた。翌年の事情を扱った研究は、ラディッチがこうした集会を必要とした理由を示している。2019年に発表されたボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア農民党に関する研究によれば、対立するクロアチア人政党とカトリック聖職者の一部は、同党が共和主義を捨ててヴィドヴダン憲法を承認したと強調し、ラディッチがカトリック信仰と戦っていると非難した。同党の指導部は、有権者がいるあらゆる土地を訪ね、新しい支部を設ける攻勢的な選挙運動で応じた。この研究は1927年の選挙と別の地域を扱っており、スロベニアでの集会そのものを説明するものではない。それでもこの研究は、急進党と組んだラディッチが強い圧力の下で遊説していたことを示している。見出しの「キリストに対するように」という比喩は演説の後半に出てくるとみられ、判読できる部分はその箇所を含んでいない。

その後の連立の行方

連立は10月の対立の後もしばらく続いた。1926年12月24日にアウグスト・コシュティッチがウズノヴィッチ内閣の建設相に任命されており、ポリティカ紙の報道から2か月余りたっても連立が機能していたことがわかる。しかし連立は長くは続かず、クロアチア農民党は1927年2月1日に連立を離脱した。ラディッチはのちに議会で人民急進党の政治家プニシャ・ラチッチに撃たれ、その傷がもとで数週間後に死亡した。この結末から振り返ると、ポリティカ紙が1926年10月に描いた連立、すなわち急進党が代わりの道を見いだせないことで保たれていた連立は、すでに終わりに近づいていたことになる。

原文

Г. Радић долази да објасни свој испад

1 динар | Уредништво: 20-94; 9-53; 6-56 СИТУАЦИЈА Г. Радић долази д Испад г. Радића на загребачкој железничкој станици довео је владу г. Узуновића у изванредно мучан положај, толико мучан да је чак у један мах у питање дошла и сама коалиција радикално-радићевска. По мишљењу политичких кругова до раскида није дошло само због тога што радикали нису били начисто шта ће после тога раскида и што је уопште целокупна политичка ситуација тешка по радикале највећим да радикали нећ ље објашњењем к но, а радикали, в дили да се такво но не би смело п дошло до раскида Јуче се у полит дило да ће сам г град и то сутра изравна спор.

Г. РАДИЋ ЋЕ ПОКУШАТИ ДА СЕ ИЗВУЧЕ.

ке кругове направило мучан утисак држање др. Жанића и др. Базале пред чехословачким парламентарцима у Загребу. Г. РАДИЋ ЋЕ ПОКУШАТИ ДА СЕ ИЗВУЧЕ. Чим је г. Ст. Радић направио инцидент на загребачкој станици и чим је у влади од тога направљено питање и од г. Радића затражено објашњење, у оном делу политичких кругова који добро познају г. Радића и његове методе, одмах је речено да ће г. Радић већ покушати да се неким триком извуче из тешког положаја. Према ономе што се јуче могло чути у политичким круговима има изгледа да ће г. Радић заиста покушати да се извуче једним триком. Највише је г. Радићу замерено што је себе данас и на њој своје даље држа ма и према ради КОД Р Од радићевски је јуче допутова али је и он као био потпуно зак гледу онога шта седници ХСС. (треба да стигну њег дана). Па ипак и пор ћеваца, сазнаје кругова да ни с најмање задовољ јом. Радићевци с њихов захтев из кић и не крију, да ће то бити н који би се одлуч

КАО ХРИСТОСУ...

више средте Маоскора да ни ни пове. Си агреба остром Пернаед Вижена, мање него што су сазивачи очекивали, јер цело је ноћи па до самога отварања збора лила киша. Збор је отворио председник месне организације г. Свитешић. Одмах је дао реч г. Радићу, који је у главном рекао: КАО ХРИСТОСУ... Драги Словенци, поштоване Словенкиње, ми се до сада нисмо познавали очима, али се одавно познајемо душевним погледима. Ви сте чули и читали у хрватском сељач -

紙面の出典:Source: Narodna biblioteka Srbije / Digitalna NBS

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