時報
- 贛西・鄂東で大戦
- 慈祥花箋
この紙面の判読できた部分には、北伐の江西戦線に関する戦況記事があった。記事によると、南昌から退いた南軍が全線で攻勢に転じ、両軍の運命を決する主力同士の衝突になっていた。紙面は、南軍の旺盛な士気と巧みな作戦を挙げる一方で、先の戦闘で手柄を立てる機会がなかったことに不満を抱く孫伝芳直轄軍が死力を尽くすだろうと伝えた。そのうえで多数の死傷者を予想し、およそ一週間で勝敗が決すると報じた。部分的にしか読めないもう一件は、ある慈善団体の告知だった。花箋の購入を勧める葉書を受け取った人には、十月中旬に一、二元分を届けるとし、追加購入や辞退を望む場合はすぐ返事するよう求めていた。
この読み取りは、確実に判読できた二つの抜粋だけを対象としている。OCRには無関係な縦書きの行が混ざり、人名の誤読もある。細かい活字、画像の区切れ目での続き、かすれた文字のため、紙面のほかのいくつかの記事は書き起こせない。慈善団体の告知は信頼度が低い。冒頭部分と団体名が欠けており、見出しでは「簽」、本文では「箋」の字が使われている。1926年に慈善団体が郵送による花箋販売をどう活用したかを示す信頼できる資料は見つからなかったため、この告知は解説で扱っていない。
翻訳
贛西・鄂東で大戦
[?] ◎南昌方面から退却した南軍は南昌の奪回をもくろみ、現在攻勢に出て、全線で激戦を続けている。この戦いは両軍主力の衝突であり、その勝敗は両軍の運命を決するに足るものである。南軍は兵力の分散を免れないものの、士気は極めて旺盛で、作戦もなかなか巧妙である。彼らの意気は非常に盛んで、白兵戦になることも辞さない。聯軍側では、孫伝芳直轄の部隊が先日の戦闘で手柄を立てる機会がなかったことにかなり不満を抱いており、今回の戦闘では死力を尽くしてその実力を示すつもりである。したがって戦闘が猛烈なものになることは予想でき、死傷者の数も必ずや非常に多くなるだろう。およそ一週間以内に勝敗が決する見込みである。[?]
慈祥花箋
[?] 花箋の購入をお勧めする葉書をすでにお受け取りの方には、本会より十月中旬ごろに花箋一、二元分をお届けいたします。さらに多くご購入を希望される場合、またはご購入を望まれない場合は、間違いを避けるため、ただちにご返事くださいますようお願いいたします。[?]
解説
南昌の「南軍」と「聯軍」とは誰か
記事に登場する両軍は、北伐の経過から特定できる。「南軍」は広州の国民党政府の国民革命軍、「聯軍」は孫伝芳の率いる連合勢力で、記事はそのうち孫伝芳直轄の部隊を取り上げている。1926年の孫伝芳勢力は福建・浙江・江蘇・安徽・江西の五省を支配し、最盛期には20万人を超える兵力を擁していた。本拠は南京にあり、省都南昌を抱える江西は五省のうち最も西に位置していた。国民党側が孫に矛先を向けたのはその直前のことだった。孫は広州政府から不可侵協定を持ちかけられながらも、自らの統治を国民党の支配下に置くことを拒んだ。このため蔣介石は、武昌の包囲がまだ続いていた1926年9月4日に江西省境を越えて攻撃を開始した。記事が両軍の運命を決する主力同士の衝突と呼んだ戦いは、孫の権力を支える五省の一つをめぐる争いだった。
この記事の前に南昌で何が起きていたのか
南軍が南昌から退却し、その奪回をねらっているという記事の前提は、江西作戦で最初に起きた形勢の逆転と一致する。北伐の初期、国民党側は孫伝芳を刺激しないようにしており、孫も国民党軍が呉佩孚の地盤に進むのを傍観した。国民党軍が江西に矛先を向けると、孫配下の将軍の一人である頼世璜(Lai Shih-huang)の寝返りもあって、9月19日までに九江と南昌がともに国民党の支配下に入った。しかし9月21日に孫伝芳が援軍を率いて南京から到着すると、国民革命軍の攻勢は退却に追い込まれた。孫は失った地域の大半を取り戻し、学生や教員、国民党員と疑われた人々を数百人殺害して支配を固め直した。孫の到着から2週間もたたないこの記事の時点で、国民党軍はこの挫折を覆そうとしていたことになる。ただし、9月の戦闘で孫のどの部隊が戦ったのかは資料からはわからない。そのため、直轄軍にはこれまで手柄を立てる機会がなく、それを不満に思っていたという記事の記述は、資料と照らし合わせて確かめることができない。
戦いは本当に一週間で決着したのか
紙面はおよそ一週間で勝敗が決すると見込んだが、江西の戦闘はその後1か月以上続いた。10月に入っても江西では血みどろの戦いが続き、同月末までに孫伝芳軍は再び江西・福建で退却に転じていた。国民党軍は11月初めに長江の港である九江と湖口の攻略に動き、1926年11月9日までに南昌を奪回した。孫軍は退却の際に大量の軍需品を遺棄し、それが装備の乏しい国民革命軍を補強した。その国民革命軍は、南昌への最後の攻勢だけで2万人の死傷者を出した。記事の予想どおり死傷者は非常に多くなったが、一週間という見通しは外れた。記事が描いた戦いの重大さは現実のものだった。軍が押し戻されるのと並行して、孫は奉天派の援助を求めて天津に向かい、1926年12月1日には張作霖を総司令とする新たな安国軍の副司令の一人となった。
原文
贛西鄂東大戰
[?] ◎ 從南昌方面退却之南軍、 意欲奪回南昌、 現取攻勢、 正在全線劇戰、 此戰係兩軍主力之衝突、 其勝負足以決定兩軍之運命、 南軍雖不免分散兵力、 然士氣極旺盛、 且其作戰又頗巧妙、 彼等意氣甚豪、 縱至短兵相接、 亦所不辭、 聯軍方面、 孫傳芳直轄之軍隊、 因日前戰鬥無立功機會、 頗爲不平、 將於此次之戰鬥、 出死力以顯其能、 故戰鬥之猛烈可以預料而死傷之數亦必甚多、 約在一星期以內可以決定勝負也、 [?]
慈祥花簽
[?] 尊處如已接到勸購花箋之明信片本會於十月中旬前後即將花箋一二元檢送尊處如需多購或不願購用務請即日示覆以免錯誤 [?]