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· ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl

Politika

判読できる部分で中心となっていたのは、国際連盟が後押ししたブルガリアの避難民借款を論じた「K.」署名の論説だった。論説は、ギリシャ、ルーマニア、セルブ・クロアート・スロヴェーン王国から来た無一文の避難民がブルガリアの経済の重荷となり、国内の混乱を招き、対外的な不信を生んでいると論じた。一方で、20万人を超える人々が定住すれば沼地や森林が農地に変わり、道路や鉄道も整い、国は経済的にも政治的にも強くなると説いた。さらに、ジュネーヴ議定書を重視しているのはソフィアだけでなく、アテネ、ブカレスト、ベオグラードも同様だと指摘した。もう一つの断片的な記事「レカの遺言」は、アルバニア人の反乱の際、プリズレン最後のオスマン帝国のムテサリフが銃を手にひとり広場に立ち、リュマの者たちに発砲した逸話を伝えた。

この読み取りは部分的なものである。論説の抜粋は文の途中で始まり文の途中で終わっており、「レカの遺言」は紙面右下のかすれた短い断片しか残っていない。この断片にはムテサリフの名前が出てこない。彼が誰なのかも、描かれた反乱の時期も信頼できる資料で確認できなかったため、解説では扱っていない。

翻訳

ブルガリア借款

ブルガリアにとって何年も前から重要な問題となっている、ギリシャ、ルーマニア、セルブ・クロアート・スロヴェーン王国からの避難民の定住。資力のない避難民は大きな害悪である。経済的には、マイナスの要素である。政治的にも同様だ。経済全体においては、周囲の社会の重荷となる。国内政治においては、混乱の温床となる。対外政治においては、不信の原因となる。避難民が定住すれば、避難民問題は消える。避難民問題が消えれば、それに伴う害悪も消える。二十万人を超える男、女、子どもが国民の生活に加わり、その強化に寄与する。共有の荒れ地、沼地、森林から、耕された畑が生まれる。集落が立ち上がる。道路が切り開かれる。鉄道が敷かれる。国民の経済力が高まる。経済力とともに、政治力も高まる。昨日までマイナスの量であった要素が、今やプラスの量となる。経済全体においては、社会の一部となる。国内政治においては、混乱への抵抗となる。対外政治においては、信頼の根拠となる。とはいえ、ジュネーヴ議定書の調印を重視しているのはソフィアだけではない。アテネも、ブカレストも、ベオグラードもこれを重視している。議定書はブル-

レカの遺言

[?] しかし彼は主として、無謀なまでの勇気と前代未聞の激しい気性で名高い。プリズレン・サンジャクの最後のムテサリフとして、アルバニア人の反乱の際、彼はプリズレンのシャドルヴァンのそばで、銃を手にリュマの者たちを迎え撃った。兵士や憲兵、志願した市民たちが物陰から撃っているあいだ、彼はひとり広場の真ん中に立ち、群衆がひるむまで撃ち続けた。世間の誰もが驚いた――

解説

避難民借款が安全保障の問題でもあった理由

定住できない避難民は国内では「混乱の温床」、対外的には「不信の原因」だという論説の主張は、国際連盟自身の論理とよく重なる。ブルガリアは1926年5月3日に連盟に支援を求めた。連盟の財政委員会は、避難民がブルガリア財政の重い負担であるうえ国内外の政治的不安の源でもあるとして、政治・経済の両面から借款を勧告した。ベオグラードやアテネにとっての利害は具体的だった。マケドニアやトラキアから来た避難民の多くは、家族を残して単身で来た、マケドニア革命組織とつながる男性だった。彼らは主に国境近くで武装集団をつくり、ユーゴスラヴィアやギリシャの領内を襲撃していた。定住によって「マイナスの量」が「プラスの量」に変わるという論説の期待は、土地と生計を得た避難民はもはや財政委員会が挙げた国内外の不安の源ではなくなる、という連盟自身の借款の論拠と響き合っていた。

争われた避難民の数と国境付近への定住制限

論説は「二十万人を超える」人々が国民の生活に加わると書いた。この数字は、1913年から1925年までにブルガリア国籍の221,191人が入国したとする1926年のブルガリア政府公式発表と一致する。ただし、そのうち定住計画に適するとされたのは約12万人にすぎなかった。数字は当時から争われていた。国境での一連の事件の後、周辺国は政府の数字に異議を唱え、真の狙いは戦略鉄道の建設だと主張した。さらにブルガリア国内の管理委員会に自国の代表を加えるよう求めた。この対立は連盟理事会の仲介で収まった。理事会は1926年9月7日に計画を採択し、ブルガリアは翌日に署名した。論説のいう「ジュネーヴ議定書」がこれである。連盟弁務官には、国境沿いへの大規模な避難民定住や戦略施設の建設を阻む権限が与えられた。ベオグラード、アテネ、ブカレストも議定書を重視したという論説の指摘は、こうした経緯から理解できる。借款はその後1926年12月21日に発行され、募集額を大きく上回る申し込みを集めた。

ブルガリアのジュネーヴ議定書に先立つギリシャの前例

ブルガリアの計画は先行する手本にならったものだった。ブルガリアの世論は当初、外国の銀行に直接働きかけることに傾いていたが、結局は「ギリシャの例の影響」が勝った。手本となったのは、1924年9月に調印されたジュネーヴ議定書に基づく、連盟後援のギリシャ避難民借款である。この議定書でアテネは、生産的目的や講和条約上の義務の履行に充てない借款について、自国の歳入を担保に差し出さないと約束した。1926年11月の英国の覚書は、ギリシャが避難民の流入に対処するのを助けることの政治的・人道的重要性を理由に、英国がこの取り決めに同意したと説明している。ポリティカの論説が扱ったのは、再定住のための国際資金を財政上・政治上の条件と結びつける、バルカン諸国政府にとってすでになじみのある連盟の枠組みだった。

原文

Бугарски зајам

смештају избеглица из Грчке, Румуније, Краљевине Срба, Хрвата и Словенаца које за Бугарску већ годинама представљају важан проблем. Избеглице, без средстава, велико су зло. Економски, негативни су елеменат. Политички, исто тако. У општој привреди на терету су средине. У унутрашњој политици легло су расулу. У спољашњој узрок неповерењу. Смештајем избеглица нестаје проблем избеглица. Нестанком избегличког проблема нестаје зло које га прати. Преко две стотине хиљада људи, жена, деце ступа у живот нације и доприноси њеном јачању. Из утрина, мочвара, шума ничу обрађена поља. Дижу се насеобине. Просецају друмови. Граде железнице. Економска моћ нације повећава се. С економском повећава се и политичка. Елементи који су до јуче представљали негативну количину представљају сада позитивну. У општој привреди део су средине. У унутрашњој политици отпор расулу. У спољашњој разлог поверењу. Није пак Софија једина која потпису Женевског Протокола придаје значај. Значај му придају и Атина, Букурешт, Београд. Протокол у Буго -

Лекино завештање

[?] Али је у главном знаменит по лудој храбрости и невиђеној плаховитости. Као последњи мутесариф призренскога санџака, он је за време арнаутске побуне дочекао Љумане код Шедрвана у Призрену са пушком у руци. И док су војници, заптије и добровољни грађани пуцали иза заклона, он је стајао насред трга усамљен и пуцао у гомиле док се нису поколебале. Сав се свет зачуди ка -

紙面の出典:Source: Narodna biblioteka Srbije / Digitalna NBS

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