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· ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl

Politika

この日の『ポリティカ』は、国内政治の論争、ギリシャの政局、火星をめぐる珍しい話題を並べた。ドラグ・S・コイッチ博士は署名コラムで、ドラギシャ・ラプチェヴィッチが3日付の同紙に書いたユーゴスラヴィアの議会政治論を取り上げた。コイッチは論説の大半を受け入れたが、独裁論の原因を議会秩序の軽視だけに求める結論については、政治現象の順序を逆にした誤りだと批判した。「S.」の署名記事は、ギリシャで君主制派の宣伝が広がり、共和制と結びついた軍部が憂慮していると伝えた。同じ記事によれば、コンディリス将軍の政府は憲法の変更を禁じ、民主派を強めるために比例代表制で選挙を行うと決めた。短信は、ロンドンのロビンソン博士が火星からモールス符号のMにあたる信号を受信したというイギリスの新聞の主張を紹介した。

この版は第一面から三つの抜粋を読んでいる。OCRの文字が大きく崩れていたため、編集部は抜粋を紙面の画像から書き起こした。紙面の下部では折り目が一部の行を傷めており、ギリシャの記事は画像の境目で段の端が切れているため、翻訳はこの記事の判読できる冒頭部分に限られる。この版が利用できる背景資料には1926年の火星信号の主張や天文学者の反応を扱うものがないため、火星の記事には解説を付けていない。

翻訳

わが国の議会政治

尊敬すべきドラギシャ・ラプチェヴィッチ氏は、その政治経歴を急進党の陣営で始め、議会政治についての正しい見解も急進党のヤヌスのかたわらで形づくり始めた人物であるが、今月3日付の『ポリティカ』に、わが国の議会政治について非常に興味深い論説を寄せた。もしラプチェヴィッチ氏が、わが国では議会の秩序が尊重されないことだけが原因で、そして議会政治の弱体化の結果として、独裁が語られ始めているのだと結論づけていなかったならば、氏のこの論説に特段の異論を差し挟む余地はなかったであろう。ラプチェヴィッチ氏のこうした結論は誤りである。なぜならこの結論は、その重要性からしてわが国の世論が見過ごすはずのなかった一連の政治現象を、まったく逆の順序に並べているからである。

共和制か、君主制か?

君主制派の宣伝活動の広がりは、情勢の成り行きから共和制の統治形態と結びついている軍部勢力を深刻に憂慮させた。そのためコンディリス将軍の政府は、上から与えた自由にもかかわらず、共和制の諸制度を守る目的で一定の措置を講じざるを得なかった。これら一連の措置の第一は、公布済みの憲法と現状の変更を認めないという政府の決定であった。続いて、選挙を比例代表制で実施するという決定が下された。この制度は、新議会における民主派勢力の立場を強めるためのものである。

火星がわれわれに信号を送っているのか?

イギリスの新聞が火星について奇妙なニュースを伝えている。その主張を信じるとすれば、先週の金曜日、赤みを帯びたこの惑星が地球に最も近づいたとき、ロビンソン博士なる人物が数人の専門家とともに、ロンドンのある家屋にある無線電信の受信所で、20時3分45秒(正確を期そう)に火星からの無線電信の呼びかけを受信した。それはモールス符号でMの文字にあたる一つの信号であった。

解説

ラプチェヴィッチの経歴とコラムが描く人物像

コイッチのコラムは、ラプチェヴィッチが2日前の『ポリティカ』に寄せた論説に答えたもので、冒頭でラプチェヴィッチが急進党の陣営から政治経歴を始め、「急進党のヤヌス」のかたわらで見解を形づくったと皮肉を込めて書いている。もっとも、よく知られたラプチェヴィッチの経歴は社会主義運動のものである。ラプチェヴィッチはディミトリエ・トゥツォヴィッチとともにセルビア社会民主党を創設した一人である。ラプチェヴィッチは1905年から1908年まで、また1912年から1919年までセルビア議会の議員を務め、戦時予算に反対票を投じて国際的に名を知られた。戦後、ラプチェヴィッチらの改良派は反ボリシェヴィキ宣言を出したために1920年に新しい社会主義政党から除名された。ラプチェヴィッチは1920年代初めに政界と労働運動から身を引いた。1926年のラプチェヴィッチは、党の指導者としてではなく、引退した社会主義者で歴史家として議会政治を論じていたことになる。コイッチが急進党での出発を持ち出したのは論争上の一手であり、1926年には主に社会主義者として知られていた人物に向けられたものだった。

1926年の独裁論から1929年の王制独裁へ

コイッチは、ユーゴスラヴィアで独裁が語られていることを認めたうえで、その原因を議会規則の軽視と議会の弱体化だけに求めるラプチェヴィッチの説を退け、因果の順序が逆だと主張した。実際の王制独裁は、この論争の2年あまり後に始まった。1928年6月、クロアチア農民党の指導者スティエパン・ラディッチが議会内で暗殺された。暗殺したのはモンテネグロ出身のセルビア人で人民急進党の政治家プニシャ・ラチッチであり、人民急進党はコイッチのコラムがラプチェヴィッチの出発点として挙げた党である。国王アレクサンダル1世はこの危機を口実にヴィドヴダン憲法を廃止し、1929年1月6日に議会を停会させて国家の実権を握った。国王は自分だけに責任を負う内閣を任命し、新聞に厳しい検閲を課した。『ポリティカ』自身も1929年1月6日付の第一面に国王とその布告を載せた。1926年の紙上の論争は、議会政治の行き詰まりと独裁の問題が、国王の行動の数年前から公の場で議論されていたことを示している。この論争そのものが国王の決定を導いたことは、ここに挙げた資料からはわからない。

コンディリス政権と1926年11月7日のギリシャ総選挙

「S.」の署名記事は、ギリシャの1926年11月7日の投票の2日前に掲載された。コンディリスは熱心なヴェニゼロス派の軍人で、1920年には国王コンスタンティノス1世の復位に反対していた。コンディリスは1926年8月22日に無血クーデターでテオドロス・パンガロスの独裁政権を失脚させ、11月の選挙を布告したが、コンディリス自身の党はこの選挙に参加しなかった。記事は比例代表制を民主派の立場を強めるためのものと説明した。1926年の選挙は、実際にギリシャで初めて比例代表制のもとで行われた選挙である。どの党も過半数を得られず、第一党の自由同盟の議席は286議席中108議席だった。12月4日には、議員ではないアレクサンドロス・ザイミスを首相とする政府が発足し、自由同盟、民主同盟、人民党、自由思想党が連立に加わった。この連立には、新憲法を承認していなかった人民党も加わっていた。

コンディリスによる1935年の王政復古

「S.」の記事は、軍部とコンディリス政権を、君主制派の宣伝から共和制を守る側として描いた。コンディリス自身は、9年後に王政復古を主導した。1935年10月10日、コンディリスは他の将校とともにパナギス・ツァルダリス首相を訪ね、辞任を強いた。同じ日にコンディリスはアレクサンドロス・ザイミス大統領を辞任させ、自ら摂政を名乗り、共和制を廃止して11月3日の国民投票を決めた。公式集計は投票者の98%がゲオルギオス2世の帰国を支持したと示したが、この不自然に高い数字は不正によって得られた可能性が高い。ザイミスは1926年の選挙後に連立政権を率いた人物でもある。記事が共和制の制度を守る政権の長として描いた将軍は、のちに第二共和制を終わらせた人物となった。

原文

Наш парламентаризам

Уважени г. Драгиша Лапчевић, који је своју политичку каријеру зачео у редовима радикала, а своја правилна гледишта о парламентаризму почео израђивати уз радикалног Јануса, дао је у " Политици " од 3 о. м. један врло интересантан чланак о нашем парламентаризму. Томе његовом чланку не би се могли учинити нарочити приговори, да г. Лапчевић није закључио, да се само због непоштовања парламентарног реда ствари у нас - и као последица слабљења парламентарности - не почиње говорити о диктатури. Тај и такав закључак г. Лапчевића погрешан је, јер он поставља у сасвим обрнути ред извесне политичке појаве, које по својој важности нису могле бити незапажене у нашој јавности.

Република или монархија?

Развој монархистичке пропаганде озбиљно је забринуо војне факторе, који су, силом прилика, везани за републикански облик владавине, и влада генерала Кондилиса морала је, у пркос октроисаних слобода, предузети извесне мере у циљу заштите републиканских установа. Прва у низу ових мера била је владина одлука да не дозвољава измену објављеног устава и постојећег стања ствари. Затим је дошла одлука да се избори изврше по пропорционалном систему, који треба да појача положај демократских елемената у новоме парламенту.

Марс нам шаље сигнале?

Енглеске новине доносе о Марсу чудновату вест. Ако њиховом тврђењу поклонимо вере, прошлог петка, када је црвенкаста планета била најближа нашој земљи, извесни доктор Робинсон, са неколицином стручњака, у пријемној радиотелеграфској станици у једној кући у Лондону, у 20 часова, 3 минута и 45 секунди (будимо тачни), примио је радиотелеграфски позив с Марса, један знак који у Морзеовом систему одговара слову М.

紙面の出典:Source: Narodna biblioteka Srbije / Digitalna NBS

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