Leidsch Dagblad
- 熱帯植民地経済学。
- 労働者啓発協会。
- ライデン救助隊。
1926年11月5日付のライデンの紙面は、学術、労働運動、市民生活の話題を伝えた。熱帯植民地経済学の講義を紹介する記事は、理論経済学の図式が植民地でどこまで通用するかを講義が問い、外来企業と現地住民の領域に分かれる植民地環境の説明から始めると報じた。別の記事は、ザーンダムのK.テル・ラーンが労働者啓発協会ライデン支部の催しで人民会館の大勢の聴衆を前にムルタトゥーリの労働者階級にとっての意義を語り、ダウエス・デッケルの時代の民衆の悲惨な状態と、クレーメルが描いたライデンの工場の子どもたちの姿から話を始めたと伝えた。ライデン救助隊は、ある橋の救助用の鉤が6回続けて破壊されたと訴え、運河が凍る前に安全な用具を整えたいと呼びかけた。
翻訳
熱帯植民地経済学。
講義内容の中心をなすのは、理論経済学で一般に認められている図式が熱帯植民地という環境にどこまで妥当するのか、またそこに現れる経済現象の説明に役立てるにはどのような補足や修正が必要なのか、という問題の検討である。最初の2回の講義は、この熱帯植民地環境の特徴づけに充てられる。この環境は二つの部分に分かれる。すなわち、外来の企業活動とそれが現れるさまざまな形態、次いで独自の性格をもつ現地住民の領域である。
労働者啓発協会。
ヘーレングラハトの「人民会館」で、昨晩、ザーンダムのK.テル・ラーン氏が、大勢の聴衆で埋まった会場を前に、上記協会のライデン支部のために「労働者階級にとってのムルタトゥーリの意義」と題して講演した。講演者はまず、ムルタトゥーリ、すなわちエドゥアルト・ダウエス・デッケルが生き、活動していた当時にオランダ国民が置かれていた悲惨な状態を指摘した。ライデンの工場住民に関していえば、その状態は小説家クレーメルが小品『工場の子どもたち』の中で描いている。
ライデン救助隊。
短期間のうちに6回続けて、ある橋に取り付けた救助用の鉤が破壊された。私たちはその場所に救助用具を改めて設置することを断念せざるを得なかった。冬が来る前に、私たちの運河がしばしば油断のならない氷の層に覆われる前に、私たちは救助用具を整えておきたいし、用具が無事であるという確証もぜひ得たいのである。
解説
ザーンダムから来た講演者K.テル・ラーンの経歴
紙面が「ザーンダムのK.テル・ラーン氏」とだけ紹介した講演者は、社会民主労働党の政治家コルネリス・テル・ラーンである。テル・ラーンはフローニンゲン出身の元教員で、1901年に社会民主労働党の下院議員となり、1914年には同党初の市長としてザーンダム市長に就き、1937年までその職にあった。テル・ラーンは1918年、1922年、1925年の下院選挙で、ハーグとライデンの選挙区の党名簿の筆頭に立った。ライデンの聴衆は、自分たちの選挙区で党名簿の筆頭に立つ人物の話を聞いたことになる。講演の題目はテル・ラーンの文筆活動とも重なる。テル・ラーンは政治活動のかたわら、ムルタトゥーリ、民俗、フローニンゲン、言語について30冊を超える本を出した。記事によれば、テル・ラーンはダウエス・デッケルの時代のオランダ民衆の悲惨な状態から話を始め、クレーメルの『工場の子どもたち』を引いてライデンの工場住民の状態と結びつけた。テル・ラーンはこうして、聴衆になじみのある社会状況を通してムルタトゥーリの意義を示した。
講演を主催した労働者啓発協会と労働運動の結びつき
記事は主催者を労働者啓発協会のライデン支部と記しており、協会の全国指導部の顔ぶれは協会の立ち位置を示している。ローエル・ステンハイスは1924年から1928年まで協会の会長を務めた。ステンハイスは労働組合連合NVVの会長も務め、その任期は1919年から1928年までだった。ステンハイスは1925年からは社会民主労働党の下院議員でもあった。ステンハイスはNVV会長として労働組合連合と社会民主労働党の緊密な協力を支持し、この講演と同じ1926年には両組織の合併まで試みた。社会民主労働党の市長で下院議員でもあるテル・ラーンが協会の催しとしてライデンの人民会館で文学者について講演した夜は、党と労働組合と労働者教育が密接に結びついていた当時の関係の中に位置づけられる。
熱帯植民地経済学の講義と統計家ファン・ヘルデレン
抜粋そのものは講師の名を挙げていないが、紙面上の同じ記事の冒頭は講師を、休暇で帰国中のオランダ領東インド中央統計局長J.ファン・ヘルデレンとしている。ファン・ヘルデレンは1911年にアムステルダム市統計局の書記として働き始め、1920年から1928年までバタヴィアの中央統計局の局長を務めた。ファン・ヘルデレンは1927年11月からオランダ領東インドの1930年国勢調査委員会の委員長を兼ね、1927年にはオランダ王立芸術科学アカデミーの通信会員となり、1928年9月にはバタヴィアの法科大学で経済学の臨時の員外教授に就いた。ファン・ヘルデレンは理論家でもあり、サロモン・デ・ウォルフとともに50年から60年の長期景気循環を唱えた。この循環は現在コンドラチェフの波と呼ばれている。講義が掲げた問いは、理論経済学の図式が外来企業と現地住民の領域に分かれた植民地環境でどこまで通用するかというもので、植民地経済を数字で把握する統計家が向き合った課題と重なる。
ライデン救助隊とオランダの救助隊運動
ライデン救助隊は紙面で自ら訴え、ある橋の救助用の鉤が短期間に6回破壊されたこと、その場所への用具の再設置をあきらめたことを伝え、運河に氷が張る前に用具を整えたいと述べた。救助隊運動は1926年当時まだ歴史の浅い運動だった。各地の救助隊はその数年前に、地元で起きた溺死事故をきっかけに設立された。1917年9月16日、デン・ボス、アムステルダム、ブレダ、ハーグ、ハールレムの5つの救助隊が全国連盟の設立集会を開き、この連盟が現在のオランダ救助隊連盟になった。連盟は救助の教材と方法を統一することを目指し、運動はその後「誰もが泳げるわけではない限り、泳げる人は皆、人を救えなければならない」という長く続く標語を育てた。ライデンの救助隊は創設団体に含まれていない。ライデン救助隊の訴えは、運河の多い町で橋に置いた鉤などの固定用具を維持し、破壊から守る仕事も救助隊が訓練とあわせて担っていたことを示している。
原文
TROPISCH-KOLONIALE STAATHUISHOUDKUNDE.
Het middelpunt der leerstof vormt de behandeling van de vraag, in hoeverre de algemeen aanvaarde schemata der theoretische economie geldigheid bezitten voor het tropisch-koloniale milieu en welke aanvullingen of wijzigingen zij behoeven om voor de verklaring van de daarin optredende economische verschijnselen te kunnen dienen. De eerste twee lezingen zijn gewijd aan een karakteristiek van dit tropisch-koloniale milieu, dat in twee deelen uiteenvalt, en wel: het uitheemsche bedrijfsleven en de verschillende vormen, waaronder dit optreedt, en vervolgens de inlandsche sfeer, met haar eigen aard.
INSTITUUT VOOR ARBEIDERSONTWIKKELING.
Voor een goed gevulde zaal van het " Volksgebouw " aan de Heerengracht sprak gisteravond de heer K. ter Laan van Zaandam voor de afdeeling Leiden van bovenstaand Instituut over: " De beteekenis van Multatuli voor de arbeidersklasse ". Spreker begon met te wijzen op den ' ellendigen toestand waarin het Nederlandsche volk verkeerde toen Multatuli - Eduard Douwes Dekker - leefde en werkte; een toestand welke, voor wat de fabrieksbevolking van Leiden aangaat, door den novellist Cremer is beschreven in zijn werkje " fabriekskinderen ".
LEIDSCHE REDDINGSBRIGADE.
Zesmaal achtereen in een kort tijdsbestek werd de reddingshaak op een der bruggen vernield; wij hebben er van moeten afzien op die plaats opnieuw reddingsmateriaal aan te brengen. Vóór dat de winter komt, vóór dat onze grachten met die vaak verraderlijke ijslaag bedekt zijn, willen wij onze reddingsmiddelen in orde hebben, willen wij ook graag zekerheid dat het materiaal veilig is.
紙面の出典:Source: Erfgoed Leiden en Omstreken (leiden.courant.nu)