Il Piccolo
- ドゥーチェ、群衆に予告
- 下院、今月9日に召集
- アオスタ公への授与
1926年11月5日付のイル・ピッコロ紙は、ムッソリーニがローマの黒シャツ隊の群衆に感謝を述べ、今は演説の時ではないと語り、明朝には待ち望む行動が示されると約束したと伝えた。同紙は、群衆がこの言葉を熱狂的な歓呼で迎えた様子も報じた。同紙は下院が9日に召集されることを報じ、国王、王妃、摂政、皇太子、政府首班の生命を狙う者に極刑を復活させる法律が不可欠で急を要するとして、今やすべての者の見解が一致していると主張したアルフレード・ロッコの報告書を紹介した。同紙はまた、雨のなかトリノのサン・カルロ広場に正規軍と義勇軍の部隊が方陣を組み、アオスタ公に元帥杖が授与された式典の様子を伝えた。
翻訳
ドゥーチェ、群衆に予告
ようやくのことで静粛が得られると、ムッソリーニ閣下は次のように述べた。「諸君に三つのことを言いたい。第一に、諸君の歓呼に感謝する。私はその歓呼のうちに、首都のすべての黒シャツ隊員を奮い立たせている熱情と誠実な信念を感じる。第二に、今は演説をしている時ではない。第三に、明朝、諸君は待ち望んでいる実際の行動を手にするだろう」。圧倒的な賛同の叫び、熱狂的な歓呼、狂おしいばかりの万歳がドゥーチェの言葉を迎え、ドゥーチェはその後、自らの執務室へ退いた。
下院、今月9日に召集
ロッコ議員の報告書は非常に広範かつ詳細なものである。報告書はまず死刑を復活させるべきかという問題を検討し、国王、王妃、摂政、皇太子、そして政府首班の生命を狙うことによって国家の安全と……の平穏を重大に脅かすすべての者に対して極刑を復活させる法律の制定は、不可欠であり先送りできないという点で、今やすべての者の見解が一致している、との結論に達している。
アオスタ公への授与
雨模様の天候にもかかわらず、アオスタ公殿下への元帥杖授与の式典はきわめて壮大なものとなった。八時から、トリノに駐屯する各部隊と義勇軍の各部隊がサン・カルロ広場に続々と集まり始め、一面に旗で飾られた広い広場に方陣を組んで整列する。
解説
約束された「行動」の背後にあるボローニャの狙撃事件
ムッソリーニが翌朝の「行動」を約束した背景には、1926年10月31日にボローニャで起きた狙撃事件がある。ムッソリーニの車がリッツォーリ通りを進んでいたとき、1発の銃弾が彼の襟を貫いた。発砲したのは15歳の無政府主義者アンテオ・ザンボーニとされ、ムッソリーニを支持するファシストたちはその場でザンボーニを殴り、刃物で刺して殺した。この事件を扱った記録は、事件が秘密警察の創設や政治的反対派の解散を含む一連の抑圧的な立法の口実になったと述べている。イタリアオッジ紙は、1926年の襲撃事件を論じたミンモ・フランツィネッリの研究を書評で取り上げ、一連の襲撃が特別法を通し、わずかに残っていた自由な制度を解体するために利用されたという同書の主張を伝えている。イル・ピッコロ紙の記事は群衆の歓呼だけを伝え、約束された行動の中身を書いていない。こうした経緯を踏まえると、ムッソリーニがローマの黒シャツ隊に語った言葉は、直後に打ち出される例外的な措置を公に予告したものと読むのが自然である。
9日に召集された下院が可決を求められた法律
同紙が伝えた下院の9日召集は、国家防衛のための法案が議会で審議なしに可決された1926年11月9日と一致する。上院は11月20日にこの法律を審議し、法律は1926年11月25日に施行された。法律は8か条から成り、第1条と第2条が死刑を導入し、第7条が特別裁判所を設置した。紙面が引用したロッコの報告書は、王族と政府首班の生命を狙う者に極刑を復活させることについて、すでにすべての者の見解が一致していると述べている。この一致は報告書自身の主張であり、法案が下院を審議なしに通過したという記録は、その主張が下院では公開の討論を経なかったことを示している。政権はこの法律と並行して反ファシストの新聞を禁止し、ファシストの支配の外にあるすべての政党と団体を解散させ、裁判なしに反対者を僻地へ送る警察流刑の制度を設けた。こうして政権は反ファシストへの弾圧を制度として固めた。
特別裁判所と死刑の適用
ロッコの主張を実行に移した法律は、通常の司法の外に置かれた裁判所も設けた。政権によるこの特別機関の設置は、当時なお形式上有効だったアルベルト憲章と相いれないものだった。アルベルト憲章の第71条は、何人も本来の裁判官から引き離されないと定め、特別の法廷や委員会を設けることを禁じていた。法律第2008号は、裁判長のほかの5人の裁判官を国防義勇軍(MVSN)だけから選ぶと定めた。特別裁判所の記録は、この法律が復活させた極刑が実際に適用されたことを示している。特別裁判所は42件の死刑判決を下し、そのうち31件が執行された。執行のうち9件は1928年から1932年の間に行われ、残りは1941年と1942年に行われた。
イタリア元帥の位とアオスタ公の元帥杖
トリノで授与された元帥杖は、ファシスト政権自身が創設した位に属していた。ムッソリーニは1924年、第一次世界大戦の指揮官だったルイジ・カドルナとアルマンド・ディアスの両将軍を顕彰するためにイタリア元帥の位を設けた。この位は1926年から1943年にかけて他の将官にも与えられた。イタリア元帥の一覧には、アオスタ公エマヌエーレ・フィリベルト王子も1926年6月25日付の昇進として名を連ねている。記事はアオスタ公を殿下と呼び、サン・カルロ広場に正規軍の部隊と義勇軍の部隊が並んで整列した様子を伝えている。この式典では、サヴォイア家の一員がムッソリーニの設けた位を受け、その場に義勇軍も加わった。この位は1946年にイタリア共和国が成立したときに廃止された。
原文
Un annunzio del Duce alla folla
Ottenutosi a gran fatica il silenzio, S. E Mussolini ha pronunciato le seguenti parole: «Voglio dirvi tre cose: prima di tutto vi ringrazio per il vostro saluto nel quale sento l'ardore e la fede sincera che anima tutte le camicie nere dell'Urbe; seconda, che non è l'ora di fare discorsi; terza, che domani mattina avrete i fatti che attendete». Un urlo formidabile di approvazione e acclamazioni entusiastiche ed evviva frenetici accolgono le parole del Duce che si è quindi ritirato nella sua stanza da lavoro.
La Camera convocata per il 9 corr.
relazione dell'on. Rocco è molto ama e dettagliata. Essa esamina in primo luola questione dell'opportunità del ripristidella pena di morte, per concludere che mai tutti sono concordi nel ritenere indiensabile e improrogabile l'emanazione di na legge che ristabilisca la pena, capitale r tutti coloro che attentando alla vita l Sovrano, della Regina, del Reggente, l Principe Ereditario e del Capo del Goerno vengono a compromettere gravemente sicurezza dello Stato e la tranquillità del
La consegna al Duca d'Aosta
Malgrado il tempo piovoso, la manifestazione per la consegna del bastone di maresciallo a S. A. R. il Duca d'Aosta è riuscita imponentissima. Fin dalle otto i vari reparti delle truppe di stanza a Torino ed i reparti della Milizia incominciano ad atfluire in piazza S. Carlo, disponendosi in quadrato nell'ampia piazza tutta adorna di bandiere.
紙面の出典:Source: Internet Archive