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· ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語

Crítica

1926年10月16日付のクリティカ紙は、チリのサンティアゴで開かれていた南米サッカー選手権の様子をアウストラル通信の電報で伝えた。主な記事は、ニュニョアで行われたアルゼンチンとボリビアの初戦を扱った。この記事によると、ボリビアは初戦で負けており、誰もがその弱さを当然と見ていたため、入場料を下げても観客はわずかしか集まらなかった。記事は、この試合を優勝候補の実力と地元チリの勝算を測る機会として描いた。別の電報は、チリの新聞上で起きた論争を報じた。ボニファシオは「ディアリオ・イルストラド」紙で、バルパライソでの試合開催にアルゼンチン代表団がウルグアイ側と組んで反対したと主張し、カントーニ博士とゴメス博士の発言を否定した。紙面には両チームの先発メンバーも載った。ウルグアイ代表がカウケネスで3日間、人前に出ずに厳しい練習をして戻ったという短信も並んだ。

この版は、紙面に載ったアウストラル通信の電報3本を部分的に読んだものである。抜粋には、紙面で隣り合う記事の断片がそのまま含まれている。具体的には、数字を判読できない結果表が付いた試合記事の末尾、天気の記事、両チームの先発メンバーである。読み取れなかった部分もある。ボリビア勢のサン・ベルナルド訪問予定を伝える囲み記事の左端、マリーニの記事の第1段落にある薄れた行、写真の横にある細い欄の断片は判読できない。紙面の中ほどから下は写真が大きく占めている。切れた部分の人名や数字は推測で補っていない。

翻訳

アルゼンチン勢、苦もなく大差でボリビア勢を破る

……ケロによって……(アウストラル通信)サンティアゴ・デ・チレ、16日 第9回南米サッカー選手権を争う第2試合は、本日午後、ニュニョアにあるサンタ・ルシア競技場で行われたが、観客はわずかだった。実のところ、今日の試合で関心を集めたのは、今大会の最有力優勝候補と目されるアルゼンチン・チームの登場だけだった。ボリビア勢は先週日曜日の試合で力の乏しさを露呈しており、アルゼンチン勢にとって相手にならないことは、誰もが絶対に確信していた。この確信があったため、入場料が引き下げられたにもかかわらず、ファンは期待されたほどの数は集まらなかった。それでもこの一戦はある程度の関心を呼んでいた。ラ・プラタのチームの勝利を予想する点ではあらゆる意見が一致していたが、人々はその実力を見極め、今日の結果をもとに、初戦でボリビア勢に大差の決定的な勝利を収めた地元イレブンの見込みを測りたいと望んでいたのである。

前座試合 アルゼンチン時間16時10分に、……終了した

ボニファシオ、カントーニ博士に反論

……デスとハーフのサインス。試合の最終結果は次の通りだった。アルゼンチン ボリビア

ボニファシオ、カントーニ博士に反論
アルゼンチン代表団は開催地の件でウルグアイ代表団と合意のうえで行動したと主張
事の経緯
(アウストラル通信)サンティアゴ・デ・チレ、16日 ボニファシオ氏は「ディアリオ・イルストラド」紙に書簡を寄せ、ゴメス博士とカントーニ博士がバルパライソで述べ、同港の「ラ・ウニオン」紙に掲載された見解に反論している。この一件の発端は、カントーニ、ゴメス両博士が、南米サッカー選手権の一部の試合をバルパライソで行うことに自分たちは反対しなかったと述べたとされることにある。これに対しボニファシオ氏は、アルゼンチン代表団がウルグアイの代表たちと合意のうえで反対に回ったと主張している。

国内全域で気温が上昇した。高気圧域は北西へ移動し、……に位置している

ウルグアイ勢、本日カウケネスから帰還

アルゼンチン ディアス/ビドリオ、ムッティス/メディチ、バッカロ、フォルトゥナート/タラスコーネ、ケロ、ソサ、ミゲル、デルガード。ボリビア ベルムデス/ララ、サインス/ウレラゴイティア、ホルヘ・ソト、バル……

ウルグアイ勢、本日カウケネスから帰還
(アウストラル通信)サンティアゴ・デ・チレ、16日 ウルグアイ勢は今朝早く、3日間を過ごしたカウケネスから戻った。この間、彼らは厳しいトレーニングを課され、あらゆる催しや祝宴から完全に遠ざかっていた。

解説

1926年選手権の会場と回数

紙面の電報は、この大会を第9回南米選手権と呼び、会場をニュニョアにあるサンタ・ルシア競技場と記した。現代の大会記録は、1926年大会をCONMEBOL加盟国による10回目の選手権と数え、全試合がサンティアゴのエスタディオ・スポルト・デ・ニュニョアで行われたと記している。CONMEBOLの回顧記事は、この大会がチリで開かれた2回目の選手権だったと伝えている。これらの記録はサンタ・ルシアという名称を使っておらず、紙面の呼び名が記録上の競技場名とどう対応するかは確かめられない。一方で記録は、総当たり戦の全試合がニュニョアの一つの会場で行われたことを示しており、アルゼンチン対ボリビア戦が特別な会場に移された事実は見当たらない。紙面が回数を一つ少なく数えた理由について、これらの資料は説明していない。記事がボリビアの弱さを当然視した背景には大会の顔ぶれがある。ブラジルは開幕前に出場を取りやめ、参加国は5か国になった。ボリビアはこの大会で初めて選手権に参加した。

アルゼンチンの5対0の初戦と大会の行方

紙面に印刷された結果表はここでは判読できないが、大会記録によると、1925年大会を制した前回王者アルゼンチンは、1926年10月16日の初戦でボリビアを5対0で破った。ケロが2点を挙げ、ソサ、デルガード、デ・ミゲルが1点ずつ決めた。この4人はいずれも紙面の先発表に載った前線の選手である。記事が勝算を測りたいとした地元イレブンはチリである。チリは10月12日の開幕戦で、ダビド・アレジャーノの4得点によりボリビアを7対1で下していた。アルゼンチン代表の戦績記録はボリビア戦の観客を5000人としている。同じ記録は、8日後にアルゼンチンがウルグアイに0対2で敗れた試合の観客を1万5000人としている。この差は、観客がわずかだったという記事の記述と合っている。記事はアルゼンチンを最有力の優勝候補と見ていたが、実際にはウルグアイが全勝で優勝し、アルゼンチンは2位に終わった。

バルパライソ開催をめぐる争いと関係者

紙面が伝えたのは書簡による応酬だけである。カントーニ、ゴメス両博士は、バルパライソの「ラ・ウニオン」紙で、一部の試合をバルパライソで行うことに反対しなかったと述べたとされる。ボニファシオは「ディアリオ・イルストラド」紙で、アルゼンチン代表団がウルグアイ側と合意のうえで反対したと主張した。今回の記録は論争そのものを記していないが、開催地の問題の決着は示している。1926年大会の全試合はサンティアゴで行われた。バルパライソ周辺は以前にも選手権を開いたことがある。チリが1920年大会を開いた際、アルゼンチンの試合はビニャ・デル・マルのバルパライソ・スポーティング・クラブで行われ、ウルグアイ戦には1万7000人が集まった。シルビア・サイッタはクリティカ紙の歴史研究でアルド・カントーニ博士という人物に触れている。サイッタが引用したヘルビオ・ボタナの回想によれば、この人物は兄弟フェデリコが築いたサンフアンのブロキスモ運動に社会的な方向性を与えた。同じ回想は、カントーニが1926年にクリティカ紙の経営者ナタリオ・ボタナをサッカー協会の会長に推した一人だったと述べている。これらの資料は、この人物がチリにいたカントーニ博士と同じ人物であることを示しておらず、ボニファシオとゴメスの身元も明らかにしていない。

クリティカ紙が選手権を大きく報じた背景

クリティカ紙は急成長した大衆紙で、経営者ナタリオ・ボタナはスポーツを紙面の大きな呼び物にしていた。サイッタによれば、同紙は1920年代前半に1日14万5000部を発行するまでに伸びた。クリティカ紙は、サッカーチームに記者を同行させて国外へ送ったアルゼンチン最初の新聞でもあった。同紙はそのチームの見送りをファンに呼びかけ、選手たちが崇高なスポーツ上の、そして愛国的な使命を背負って海外へ向かうと書いた。1926年には、ボタナ自身がサッカー界と直接関わった。ボタナは同年2月27日にアルゼンチン・フットボール協会の会長に選ばれ、8月に辞任した。当時のアルゼンチンのサッカー界は、アルゼンチン・フットボール協会とアマチュア・フットボール協会の二つの団体に分かれていた。この紙面に載ったサンティアゴからの記事は、同紙の記者ではなくアウストラル通信が送ったものである。ただし、アルゼンチンが苦もなく勝ったという見出しは同紙自身が付けたものである。この見出しは、国外へ向かうアルゼンチンのチームを国の威信を担う存在として描いた同紙の書き方と通じている。

ウルグアイ代表の合宿後の戦績

カウケネスについての短信は、アルゼンチンが試合をしている間にウルグアイ代表が静かに準備を進めていたことを伝えた。ウルグアイ代表は紙面の翌日にあたる10月17日に初戦を迎え、チリを3対1で破った。ウルグアイは10月24日にアルゼンチンを2対0で下し、11月1日にはパラグアイを6対1で破って無敗のまま大会を終えた。ウルグアイは、この紙面の記事がアルゼンチンを本命と見た大会で、6度目の南米選手権優勝を果たした。今回の記録はカウケネスでの合宿に触れておらず、合宿が結果にどう影響したかはこれらの資料からは分からない。

原文

LOS ARGENTINOS VENCEN A LOS BOLIVIANOS SIN NINGUN ESFUERZO POR ELEVADO SCORE

por Cherro a (Agencia Austral) SANTIAGO DE CHILE, 16. - El segundo match por la disputa del noveno Campeonato Sudamericano de Football, realizado esta tarde en el field de Santa Lucía, situado en Nuñoa, reunió a escasa concurrencia. A decir verdad, lo que sólo interesaba del match de hoy era la presentación del conjunto argentino, sindicado como el más probable vencedor en el actual torneo. Se tenía la absoluta seguridad de que los bolivianos, después de la demostración de escaso poderío de que dieron muestra en su match del domingo último, no eran rivales de consideración, para los argentinos. Ante esta certeza, los aficionados no concurrieron en el número que era de esperar, a pesar de que los precios de las entradas fueron rebajados. Sin embargo el encuentro había despertado cierto interés, y si bien todas las opiniones coincidían en vaticinar el triunfo del team del Plata, se deseaba aquilatar su poderío y calcular, por medio del resultado de hoy, la chance de eleven local, que en su primera presentación había obtenido tan amplio como rotundo triunfo sobre los bolivianos. El preliminarA las 16. 10, hora argentina, terminó

BONIFACIO HA REFUTADO AL DR. CANTONI

dez y el half Sains. El resultado final del match fué e siguiente: ARGENTINOS BOLIVIANOS BONIFACIO HA REFUTADO AL DR. CANTONI Sostiene que la delegación argentina obró de común acuerdo con la uruguaya respecto a la sede LA INCIDENCIA (Agencia Austral) SANTIAGO DE CHILE. - 16. - El señor Bonifacio publica una carta en el " Diario Ilustrado " refutando las apreciaciones hechas por el doctor Gómez y el doctor Cantoni en Valparaíso, y que fueron publicadas en el diario " La Unión " de ese puerto. El origen de la incidencia es que los doctores Cantoni y Gómez habrían declarado, que ellos no se habían opuesto a que algunos partidos del Campeonato Sudamericano de Football fuesen jugados en Valparaíso, mientras que el señor Bonifacio sostiene que la delegación argentina obró de común acuerdo con los delegados uruguayos en la oposición. La temperatura ha experimentado un ascenso en todo el país Al área de alta presión se ha corrido hacia el noroeste y se encuentra en el

Los uruguayos regresaron hoy de Cauquenes

Argentinos: Díaz; Bidoglio y Muttis; Médici, Vaccaro y Fortunato; Tarasco ne, Cherro, Sosa, Miguel y Delgado. Bolivianos: Bermúdez; Larra y Sainz; Urrelagoitía, Jorge Soto y ValLos uruguayos regresaron hoy de Cauquenes (Agencia Austral) SANTIAGO DE CHILE, 16. - Los uruguayos regresaron esta mañana temprano de Cauquenes, donde han pasado tres días. Durante este lapso, han estado sometidos a un riguroso entrenamiento, habiéndose alejado por completo de toda clase de manifestaciones y fiestas.

紙面の出典:Source: Internet Archive / Biblioteca Nacional de la República Argentina

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