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この日に発行された世界の新聞15紙の一面を、翻訳と解説で読めます。

Evening Star

ワシントンD.C.(アメリカ) · 英語

イブニング・スター紙は1926年10月16日付の1面で、ケンタッキー州の上院選、ワシントンの塗装工争議をめぐる判決、郵便強盗に対する連邦政府の対応を伝えた。G・グールド・リンカーン記者は、キャントリル家やスタンリー元上院議員がアルベン・バークリー判事の支持に回ったと報じ、産業の成長とともに同州では共和党が伸びてきたと論じた。同紙は、コロンビア特別区最高裁のスミス判事がメイフラワー・ホテルの工事でニューヨーク並みの賃金を求めた塗装工への差し止め請求を退け、脅しを伴わない集団での賃上げ要求は違法ではないと判断したと伝えた。同紙はまた、ニュージャージー州エリザベスの郵便強盗を受けてニュー郵政長官が軍の手を借りてでも郵便を守るよう命じ、郵便物への武装襲撃を死刑の対象とする立法を議会に求める考えを示したと報じた。

The Montgomery Advertiser

モンゴメリー(アメリカ) · 英語

アドバタイザー紙の1面は、メンフィス発のAP電で、南部全域の綿花救済運動の執行委員会がすべての綿花生産者を訪ねる史上初の体系的調査を計画したと伝えた。同紙によると、委員会は郡や投票区の単位まで小委員会を置いて作付面積削減の誓約を集め、説教壇、新聞、銀行家、供給商人に協力を求めた。同紙はまた、オスカー・ジョンストン氏とB・W・キルゴア氏が余剰綿花の販売資金についてユージン・マイヤー・ジュニア氏の率いるクーリッジ大統領の委員会と協議するため、ワシントンへ向かう予定だと報じた。ニューヨーク発の記事は、主要な鉄道株と工業株が4〜11ポイント下げ、出来高が200万株を超えた数か月来の急落を伝え、綿花安による南部の購買力低下を弱気材料の一つに挙げた。オーロラに伴う磁気嵐が電信と海底ケーブルの通信をまひさせたとの見出しも1面に並んだ。

London Evening Advertiser

ロンドン(カナダ・オンタリオ州) · 英語

オンタリオ州ロンドンの夕刊紙のこの紙面は、英国と米国からの通信記事を載せた。ニューヨーク・ヘラルドのロンドン特電は、南ウェールズのポート・タルボット近郊のグリンシマー炭鉱で、700人のストライキ参加者が少数の就労者を止めようとして警官隊に山の上へ押し返されたと伝えた。この乱闘では警官12人、炭鉱労働者30人、女性3人が重傷を負い、女性たちも抵抗に加わった。別の見出しはアスキス卿の決断にも英国政界は平穏だと報じたが、その下で読める本文は密造酒業者の抗争とキンカーディンのホテル火災の記事だった。ニュージャージー州サマービル発の記事は、ホール=ミルズ殺人事件の州側証人で「豚の女」と呼ばれたジェーン・ギブソンが、豚73頭と鶏の半数を毒殺され、銀行にも融資を断られたと訴えたことを報じた。

Neue Freie Presse

ウィーン(オーストリア) · ドイツ語

1926年10月16日の紙面は、ウィーン発の長い論説でラメク首相の内閣が最終的に総辞職し、ザイペルが後継になったことを伝えた。論説は官吏のストライキ問題がまだ解決していないことも報じた。筆者はラメクを評判より優れた政治家だと評価し、官吏との十六時間に及ぶ交渉での忍耐や、行政改革、国際連盟による監督の終結、ドイツやチェコスロヴァキアとの関係改善を功績に挙げた。筆者は、内閣が社会民主党の寛容な態度とザイペルの舞台裏の働きに支えられていたと論じ、学校問題と中央銀行の破綻の後にその両方が失われたと書いた。短い電報は、社会民主党が前皇帝ヴィルヘルム二世のドイツ立ち入りを禁じる法案を帝国議会に提出し、その法案がプロイセンとホーエンツォレルン家の財産調整に結びついていたことを報じた。別の電報は、ワルシャワの労働者地区で三日間に四件の政治的殺人が起き、共産主義者とその敵対者の抗争だったと伝えた。

Prager Tagblatt

Czechia · ドイツ語

プラハのドイツ語日刊紙は1926年10月16日の1面に、デビッド・ロイド・ジョージの署名入りで「帝国会議」と題する論説を載せた。この見出しの下に収めた行は、紙面では上部のアスキスの肖像に添えた説明文で、アスキスがイングランド自由党の指導者の地位を退くと伝えた。残りの記事はいずれもオーストリアの政局を伝えた。「シュタイアーバンクの泥沼」と題する記事は、同行の問題を指導的政治家や高官と結びつけて報じた。ラーメク内閣の総辞職を告げる見出しの下では、10月15日付のウィーン電が閣議の対応を伝えた。この電報によると、郵便中央委員会と25人委員会と技術者連合は、政府の最新の譲歩を不十分だと表明していた。同じ欄の断片は、州の著名な官吏に対する債権償却が1925年10月29日以降になってようやく行われたと伝えた。断片はザイペルの名も、途中で切れた「おそらく」という語とともに挙げた。

Journal de Genève

ジュネーヴ(スイス) · フランス語

1926年10月16日付のジュルナル・ド・ジュネーヴ第1面は、スイス国内の論争と二つの外国通信を並べた。J. M.の署名入り論説は、連邦の小麦専売案を社会主義者の計画の第一歩だと攻撃した。筆者は、社会主義者が1918年に暴力で奪えなかったものを、いまは憲法上の手段とブルジョワの一部の支持によって少しずつ手に入れようとしていると論じ、一つの専売が別の専売を呼ぶと警告した。Aug. V.のベルギー通信は市町村選挙の結果を分析し、復員軍人派、中産階級派、フロント派の当選者がほぼ姿を消したことと、比例代表制のもとで共産党が議席を得たことを伝えた。通信はブリュッセルでの各党の得票数も挙げた。別のコラムは、同胞から寄せられたフォン・ゼークト将軍の個人的な思い出を紹介した。コラムは、将軍が元皇太子の息子の演習参加を承認する誤りを犯したため、辞任が避けられなくなったと報じた。

Politika

ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl

1926年10月16日付のポリティカ紙は、ベオグラードの内閣危機を一面で追った。1本目の記事は、王室が提出済みの辞表についてまだ決定を下していないと伝えた。同紙は、新しい組み合わせが整うか、現在の組み合わせが小さな人事変更で存続できると判明するまで決定が持ち越されるとの見方を示した。記事は、ステパン・ラディッチがその日のうちの解決とザグレブへの早期帰還を楽観的に予告してベオグラードに着き、ウズノヴィッチ首相と会見した様子を報じた。2本目の記事は、ラディッチが12時40分にP・ラディッチを伴って国王への拝謁から退出した場面を描いた。ラディッチは不機嫌な様子でジュネーヴの話をしただけだと述べ、国王の質問の中身を明かさず、指導者の地位を退くことをきっぱり否定した。

Aftenposten

オスロ(ノルウェー) · ノルウェー語

アフテンポステンは、リクスホスピタルの創立100年に合わせ、院長シンディング=ラーセン博士の署名入りの歴史記事を載せた。第1節は、ストーティングが1816年4月に病人150人の一般病院と産婦30人の産院の設立を決め、治療と医師・助産婦の実地教育を目的としたことを伝えた。第2節は、アーケシュ通りの病院が既存の建物を寄せ集めて始まり、グルッベ通りに面した自前の新棟が1842年にようやく完成し、小児病棟や梅毒の男性患者用に借りたソルゲンフリなどの増築が1854年まで続いたことを記した。第3節は、建築家シルメルの提案による作業が1866年に始まった一方、建物の計画は9年間争われ、リスターの防腐法が1870年代にノルウェーの大学病院に届く直前に作られたと論じた。

Leidsch Dagblad

ライデン(オランダ) · オランダ語

1926年10月16日付の Leidsch Dagblad 紙1面は、ライデンからかつて失われた森林公園ライツェ・ハウトを再建しようという呼びかけの第二回を掲載した。N. C. de Gijselaar、A. G. Bosman、B. F. Krantz が連名で署名したこの呼びかけは、市民 D. J. J. de Koster 氏が一年余り前に市へ f 11,500 を寄贈して計画のきっかけを作ったと称えた。呼びかけは f 25,000 の基金がすでに集まったと伝え、内々で協議中の計画があることをほのめかし、読者一人ひとりに何を差し出すのかと問いかけた。同じ欄の冒頭には、「KW. logger 152」と記した寄付金の総額が f 1176.56 に達したという告知が載った。労働法のより柔軟な運用を求める見出しの下で読み取れる本文は、ドロベルやタルタランから『サフォ』まで、ドーデの小説と人物像を論じた講演の報告だった。

時報

上海(中国) · 中国語

時報の1926年10月16日付紙面は、孫伝芳の聯軍と北伐中の南方軍との戦争を三つの方向から伝えた。南京発の記事は聯軍日報を引用し、江西の戦況が緩和して双方が停戦に向かい、孫伝芳が各軍に守勢を命じたと報じた。同じ記事は、周鳳岐の第三師の留守部隊が夜に南京を出たこと、南京市内で戒厳が強化され、合言葉が変えられ、駅や埠頭や城門で荷物が検査されたことも伝えた。褚慧僧や虞洽卿ら浙江の有力紳士は九江の孫伝芳に打電し、即時停戦と緩衝地帯の設定、浙江軍の浙江帰還を求めた。紳士たちは、浙江の防備が手薄なこと、冬の警備の時期が来たこと、山東軍が通過するという噂を理由に挙げた。北京発の電報は、張作霖が慎重な姿勢を保ち、山海関を越える意思を持たず、中央の首領に推されても断るだろうと伝えた。

世界日報

北京(中国) · 中国語

1926年10月16日付の世界日報の一部を読み取ると、次の3件が載っていた。正言晩報は10月17日に北京で創刊すると告知し、大判1枚の紙面が既存の夕刊紙の2倍の大きさになると主張して、1部、1か月、1年の価格と原稿募集を載せた。同じ欄の冒頭には、軍団長の張学良と韓麟春が商人に向けて秘密の厳守を約束した布告の末尾が残っていた。世界日報は劉半農が主編する自紙の副刊を1か月ごとに綴じた合訂本を宣伝し、1冊が約120ページで作品は150編以上だと伝えた。紙面はさらに、セント・ジョンズ大学で英語を教えた編者による全6冊の英語読本を、直接法と口演法を用いる教材として広告した。

東亞日報

ソウル(現韓国) · 朝鮮語

1926年10月16日の東亜日報1面は、秋の収穫期とともに始まる小作争議を論じた社説を載せた。社説は、絹を着る者は蚕を育てる人ではないと詠んだ古い中国の詩を引き、朝鮮はいまだ農業国で民族の大多数が小作農民だと論じた。社説は、団結を弱者の武器と呼び、小作人が小作料の分配について公平な基準をそろえ、冷静に行動するよう求めた。短い記事は、英国炭坑夫の地方投票の結果を伝え、炭坑争議が再び起きるかと問いかけた。別の記事は、英国労働党の年次大会が中国万県への英国艦隊の砲撃に抗議する決議を可決したと報じた。紙面には国籍別の人数、関税会議、ケロッグ米国務長官に関する東京電の断片も残っていた。判読できたのは、傷みの大きい紙面の一部だけだった。

Diario La Nación

サンティアゴ(チリ) · スペイン語

1926年10月16日付のラ・ナシオン紙は、サンティアゴの春の祭典で学生たちが開いた催しを伝えた。工学部学生センターはサンタ・ルシアでの午後の仮装マチネーを告知し、オーケストラ、アロサメナ劇団の演芸、仮装や楽隊のコンテストを予告した。同センターは「サンタ・ルシアの狂乱の夜」の2夜目として「愛の夜」も用意した。紙面はモネダ街815番地での学生のダンシング・ティーと、リナレスとラ・セレナから届いた電報記事も載せた。リナレスの通信員は、スタジアムで行う花の行列が最高の出し物になりそうだと報じた。紙面はクアシモド1世王が臣下の礼を受けた場面を描いた。法学部の学生は女子リセオ第2校で仮装舞踏会を開くと告知し、入場料を女性4ペソ、男性6ペソと定めた。本版が訳すのは、紙面のうち3本の抜粋である。

Crítica

ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語

1926年10月16日付のクリティカ紙は、チリのサンティアゴで開かれていた南米サッカー選手権の様子をアウストラル通信の電報で伝えた。主な記事は、ニュニョアで行われたアルゼンチンとボリビアの初戦を扱った。この記事によると、ボリビアは初戦で負けており、誰もがその弱さを当然と見ていたため、入場料を下げても観客はわずかしか集まらなかった。記事は、この試合を優勝候補の実力と地元チリの勝算を測る機会として描いた。別の電報は、チリの新聞上で起きた論争を報じた。ボニファシオは「ディアリオ・イルストラド」紙で、バルパライソでの試合開催にアルゼンチン代表団がウルグアイ側と組んで反対したと主張し、カントーニ博士とゴメス博士の発言を否定した。紙面には両チームの先発メンバーも載った。ウルグアイ代表がカウケネスで3日間、人前に出ずに厳しい練習をして戻ったという短信も並んだ。

Il Piccolo

Italy · イタリア語

1926年10月16日の『イル・ピッコロ』は、ローマ進軍4周年に向けた国家ファシスト党の指令を詳しく伝えた。指令は28日にローマで集会と観閲式を開いてムッソリーニが演説すると定め、閣僚と党幹部を各地の式典に割り振った。党は党員93万7967人という自らの数字を示し、新しい規約に基づく党員の再審査と除名を予告した。同じ指令は代議士2人の復帰と1人の除名を発表し、女性ファッショの援護事業も報告した。ウィーン発の記事は、公務員のストライキ通告と銀行スキャンダルを受けてラメク内閣が総辞職し、ザイペルの復帰が見込まれると報じた。パリ発の記事は、9000万ドルのモルガン基金の再建がフラン相場を落ち着かせたと伝え、ポアンカレの本当の試練は翌年2月に来るとも書いた。ベルリン発の短信はダンツィヒの組閣交渉を伝えた。

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