新聞を読み込んでいます… / Loading the edition…

· ジュネーヴ(スイス) · フランス語

Journal de Genève

1926年10月17日付のジュルナル・ド・ジュネーヴの一面には、三本の論説が並んだ。W. M.は、遠い加盟国を武力で守れない国際連盟が保健事業によって普遍性を示せると論じた。W. M.は、シンガポール疫学局が無線で港に送る警報をたたえ、ロックフェラー財団の資金やマラリアと乳児死亡への取り組みを紹介し、アフリカが同様の努力を求めていることも伝えた。J. M.は、ジュネーヴ州国務院が提案した遺産税を、相続人に二度目の負担を課して貯蓄意欲をさらに失わせるものとして批判した。ソルボンヌのアンリ・リヒテンベルジェ教授は、ウィーンで開かれる知識人連合連盟の大会に寄せて、ロカルノ後の仏独和解には戦争とインフレで傷ついた両国の知識人の支持が必要だと説いた。

翻訳

諸国民の健康

政治の領域では、純粋な無私の上には何も築けない。国際生活は利益の交換の上にしか成り立たない。ヨーロッパは、自らの経済的・政治的困難を解決するために、他の大陸の協力を必要としている。国際連盟は、存続し、その力を十分に発揮するために、普遍的でなければならない。では、連盟は自らが求める奉仕と引き換えに、ヨーロッパ以外の諸国民に何を提供できるのか。政治の領域では、ほとんど何もない。ラテンアメリカの国々、すなわちボリビア、ペルー、コスタリカ、ニカラグアが国際連盟に助けを求めるたびに、連盟はモンロー主義を留保する規約第21条によって、麻痺とまではいかなくとも、身動きを妨げられてきた。アジアでも、別の理由から、おそらく同じことになるだろう。国際連盟は中国のために何ができるのか。規約第10条は、アジア、アフリカ、オセアニアの諸国家の「領土保全と現在の政治的独立」をあらゆる外部からの侵略に対して保障しているが、それを守らせるために何千キロも離れた土地へ軍隊を送る気のある加盟国は、ほとんど見当たらない。この点について、いかなる幻想も抱いてはならない。しかし、それは普遍性の原則を断罪する理由にはならない。それはただ、政治以外のどの分野で連盟が「外部の加盟国」に奉仕できるかを探す理由になるだけである。保健機関が国際連盟の最も重要な部門の一つとみなされるべきなのは、この観点からである。われわれのところでは、このことが十分に知られていない。幸いなことに、世界のほかの地域ではもっとよく知られている。ヨーロッパでは、大新聞は戦争の観点からしか物事を考えない。戦う危険がないときには、何も起きていないように見える。病気で死ぬ人々は、たとえその病気が何百万もの命を刈り取る疫病であっても、われわれの同業者の関心を引かない。アメリカの名誉のために言っておかねばならないが、大洋の向こう側ではそうではない。戦争の脅威がないので、人々の心はほかの関心事にも開かれている。労働力が乏しく人口も限られているので、人命には大きな価値がある。だからこそ、国際連盟の活動のうちで、軍縮を別にすれば、保健委員会の仕事ほどアメリカ人の注目と共感を集め、連盟に威信をもたらしているものはない。ロックフェラー財団が国際連盟に提供した多額の資金が、その証しである。この観点から見れば、保健の仕事は長い目で見て、一般に想像されているよりはるかに大きな政治的意義を持ちうる。アジアでも同じである。国際連盟がシンガポールに設置した疫学局は、すでにアジアの諸国民に多大な貢献をしてきた。疫学局は、航行中の船内で発生しうる伝染病の症例を無線ですべての港に知らせ、疑いのない船には無用の検疫を免れさせ、陸上の住民を伝染から効果的に守ることを可能にしている。疫病ほど国際的なものはない。1918年のインフルエンザを思い起こしてみればよい。そして、世界を荒廃させてきた大災厄の多くは、極東の人口密集地で生まれた。したがって、国際連盟がアジアのために行っている仕事は全体の利益にかなう仕事であり、総会第4委員会が、いつもこれほど賢明だったわけではないにせよ、その負担を全面的に引き受けることを受け入れたのは称賛に値する。今日、アフリカは自分たちのためにも同様の努力をしてほしいと求めている。これは、現在ジュネーヴで会合中の保健委員会に付託された問題の一つである。その解決は容易ではあるまい。問題はアジアよりアフリカのほうが難しい。疫病は海や港を通じて広がるのではなく、一般に内陸からやって来るからである。さらに、赤道地帯の必要は北部や南部の必要とは異なる。最後に、アフリカに領土を持つ国々は互いに意見が一致していない

遺産税か?

……マラリア。住民全体が活動を麻痺させられ、非常に豊かな地方が事実上使いものにならなくなっている。現在、ハンブルク、パリ、ロンドンにマラリア学の講座と奨学金を設けること、そして世界のキニーネ生産を増やす方法を研究するための特別会議を開くことが検討されている。実際、キニーネの不足と価格の高さは、マラリアとの闘いが直面する最大の障害の一つである。保健委員会は、乳児死亡についても同様の事業を考えている。乳児死亡は、出生率の低い一部の国々、たとえば南米や、さらにはフランスのいくつかの地方にとっても恐るべき災いである。これらの事業の意義を十分に明らかにするには、ここで示せる以上の技術的な詳細を述べる必要があるだろう。それでも、ジュネーヴを中心とするこの事業が全人類にとっての恵みであるという確信を読者の心に生じさせることができたなら、われわれの目的は達せられたことになる。W. M.

遺産税か?――また新しい税である。われわれのところには税がまだ足りなかったとでもいうのだろうか。実際、国務院の税制案の中には、これまでジュネーヴでは知られていなかった新しい税、すなわち遺産税を創設するものがある。われわれにはすでに相続税がある。これは非常に累進的な税で、相続人の親等に応じて異なる税率表を持つ。相続税は、相続人に帰属する取り分の額に基づいて計算される累進で相続人に課される。一例を挙げよう。50万フランの財産が5人の子に均等に分けられる場合、各人は10万フランの取り分に対応する税率を払う。これは10万フランの財産をただ一人で相続する者とまったく同じ額である。国庫のほうは、一人分ではなく五人分を受け取ることになる。これらの原則は正しく公平である。10万フランを受け取る5人の直系相続人の一人が、同じ額を受け取る一人っ子より多く払わねばならない理由がどこにあるだろうか。財産が分割されるのは国家にとって損失である、と『ル・ジュヌヴォワ』は要するに言う。分割後は、より低い税率に基づく5人の子の納税額を合計しても、かつての財産全体より国庫に入る額が少なくなるからだという。それは自明のことだが、累進の原則から必然的に生じる結果である。そして逆の例を挙げることもできる。その場合は国庫の得になるのだが、国務院の機関紙はそれについて口をつぐんでいる。子のない男が死に、その兄弟が相続する。この事実だけで、生存する納税者は……遺産税案において、われわれの目から見てまったく不公正なのは、同じ親等の相続人が同額を受け取る場合に、それが大きな財産の一部であるか、より慎ましい財産の全体であるかによって扱いが異なるという不平等を、この案が公認してしまうことである。この税は遺産全体、言い換えれば死者に課されるのだといくら言っても、実際に打撃を受けるのは生者である。生者はまず一度打たれ、そのうえ現にあって今後も存続する、すでに非常に重い相続税によって、もう一度しかるべく搾り取られる。しかも、将来この税が引き上げられる危険は特に大きい。国家は、投票権を持ち続ける生者からよりも、もはや不平を言えない死者から奪っているように見えるほうを、ためらわないだろうからである。現代の不幸の一つは、倹約の精神が瀕死の状態にあることである。「国家がそれに手をかけるのなら、貯蓄すること、あるいは少なくとも自分の財産を子どもや甥たちのために手つかずで残すことに何の意味があるのか。稼いだ分をそのつど使い、遺産を食いつぶしたほうがましだ。少なくとも自分は楽しめる!」と人々は言う。さらにこう付け加える者もいる。「私を働かせていた原動力は、自分が耐えねばならなかった生活よりも楽な生活を相続人に用意してやろうという考えだった。その原動力が少しずつ粉々にされるのなら、そんなに働いて何になるのか。自分が生きていけるだけのものがあれば、それで十分だ!」意気消沈、勤労意欲の欠如、貯蓄は幻想だという考えは、今日多くの階層に広く行きわたり、国の経済全体に甚大な損害を与えている。それらは、戦争によって大きな打撃を受けた富の再建を妨げるからである。そして、この再建なしには国家の財政再建は不可能である。この意気消沈を強めるようなものはどれも害をなす。だからこそ、新しい諸税に加えて遺産税を設けることは、とりわけ時宜を得ないのである。J. M.

2面――民主主義への歩み、スターリンとその反対者たち。――B. N. 短信。連載小説『アンドラ』。3面――情勢。ポアンカレ氏のアルザス訪問。

知識人連合連盟の役割

――10月17日から20日までウィーンで開かれる知識人連合連盟の第3回大会に際し、ソルボンヌ教授アンリ・リヒテンベルジェ氏のこの意義深い論文を掲載できることを喜びとする。ドイツに関する同氏の研究と、仏独接近のための実り多い活動は、シャルル・ド・ロアンの事業についての同氏の判断に特別な重みを与えている。

ドイツの国際連盟加盟とロカルノ協定の発効によって、仏独接近の観点から決定的な一歩が踏み出された。ジュネーヴの総会の満場の喝采の中で、ブリアンは「われわれの間の戦争は終わった……銃も機関銃も大砲も下がれ! 和解と仲裁と平和に道を譲れ!」と叫ぶことができた。しかし、この成果だけでは十分ではありえない。政府同士が公式の協定を結んだこと自体は申し分ない。だが、この協定が現実のものとなり、われわれが期待できる実を結ぶためには、和解が政治家同士や外交官同士で行われるだけでなく、国民世論そのものによって承認されなければならない。このことは双方でよく理解されており、各方面の人々がこの困難な仕事に取りかかっている。両国では、議員、平和主義者、実業家や産業人、あらゆる種類の知識人が、接近を綱領に掲げる数多くの団体に結集している。これらの団体の中で最も有益な役割を果たしうるものの一つは、私の考えでは知識人連合連盟である。もちろん、その活動が熱意と同じだけの慎重さをもって展開されればの話である。実際、知識人の世界こそがここ数年の出来事によって最も深く揺さぶられたことを、われわれは隠すべきではない。戦争は武器の戦争であっただけでなく、精神の戦争でもあった。腕の動員があったのと同じように、知性の動員があった。とりわけドイツでは、教授や作家たちは、すでに戦前から多数が戦闘的ゲルマン主義と強国政治の代弁者となっており、愛国宣伝と戦争目的をめぐる論争に大きな役割を果たした。こうした状況では、彼らが敗北の屈辱をことのほか苦く感じ、その後、ヴェルサイユ条約、ドイツ有罪という伝説、履行政策に対する闘いに格別の熱意をもって加わったのは、十分に理解できる。多くの者にとって、軍の動員解除は精神の動員解除を伴わなかった。彼らは自分たちの手にある手段で、ただ単に戦争を続けたのである。さらに付け加えれば、教授や知識人はインフレ危機によって非常に残酷な打撃を受けた。物質的な境遇を損なわれ、蓄えた富の破壊によってプロレタリア化し、困窮によって職業生活でも研究でも妨げられた彼らは、この零落を反抗なしには受け入れず、個人的な不遇が敗北の残した怨恨をさらにかき立てた。したがって、彼らの多くが右派の反対派、ヴェルサイユ条約がつくり出した事態の断固たる敵の陣営に加わったとしても、驚くには当たらない。同様の理由がフランスの知識人の世界にも作用していることは、ほとんど付け加えるまでもない。ただし、その力はより弱いと私は確信している。わが国にも、ドイツに対する不信の精神を保ち続け、ライン川の向こうの知識人の間に現れている復讐の意志を告発する機会を決して逃さず、平和の説教をまやかしとみなし、軍備縮小を危険とみなしがちで、こうした理由から、学術の分野で仏独協力が対等の立場で再開されることを抵抗なしには受け入れない作家や大学人に事欠かない。また言うまでもなく、両国のそれぞれで、相手国の国家主義的で好戦的な宣伝が、責任を隣国に転嫁し、仏独合意へのあらゆる希望をユートピアや妄想として退けるための論拠をふんだんに提供している。このように、知識人連合の任務は容易ではない。双方でこの連合を支えているのは、堅固でまとまりのある良識ある人々の一団であり、彼らはヨーロッパの救いが仏独の和――

解説

シンガポール疫学局による港への通報

W. M.がたたえた「疫学局」は、国際連盟保健機関が1925年にシンガポールに設けた東方局である。この局の設置は、地域を調査したノーマン・ホワイトがシンガポールに中央の疫病情報局を置くよう勧告したことに始まる。保健機関の医務局長ルドヴィク・ライヒマンは、1925年にシンガポールに疫学情報の発信拠点として「東方局」を設けるよう働きかけた。東方局は週1回の疫学速報を無料で無線放送し、その放送にはサイゴンのフランスの無線局などを使った。港湾当局は感染した船を知ることで感染していない船も知ることができ、海上貿易に対する不要な検疫を減らすことができた。論説が書いた「疑いのない船に無用の検疫を免れさせる」効果は、この仕組みを指している。この論説が出た1926年の時点で、東方局が連絡を持つ港は66港だった。この連絡網は1931年までに、アジア、アフリカ、太平洋の50の国と地域の135港に広がった。

ロックフェラー財団の資金と国際連盟保健機関

国際連盟は1921年に保健機関を設立した。アメリカ合衆国は連盟に加盟しなかったが、ロックフェラー財団をはじめとするアメリカの団体は保健機関と協力した。シンガポール東方局の設立と運営の費用は、大部分をロックフェラー財団の助成金がまかない、加盟地域の年ごとの拠出金がそれを補った。W. M.が挙げた財団の「多額の資金」は、こうした具体的な助成と結びついている。保健機関はマラリア対策として蚊の駆除運動を行い、非常に高価だったキニーネに代わる手段を探った。論説がキニーネの不足と価格をマラリアとの闘いの最大の障害の一つと書いたのは、保健機関のこの問題意識と一致する。保健事業がアメリカの共感を集め、やがて連盟に政治的な重みをもたらすという主張は、W. M.自身の議論である。資料が裏づけるのは、その背後にある資金面の協力までである。

アフリカ向けの事業が難しかった理由

W. M.は、アフリカがアジアより難しい理由を三つ挙げた。病気が港を通じてではなく内陸から来ること、赤道地帯と北部・南部で必要が異なること、植民地を持つ国々の意見が一致しないことである。保健機関はすでにアフリカでの経験を持ち、1922年にアフリカの睡眠病を調査していた。シンガポールの連絡網もアフリカに及び、1931年までにアジア、アフリカ、太平洋の港と連絡を持っていた。論説が予想した植民地保有国の不一致は、のちにより鋭い形で表れた。イギリス、フランス、オランダは自国の植民地での保健機関の活動に疑いを向け、現地の人々の声を聞こうとする保健機関の姿勢を体制を揺るがしかねないものとみなした。

ロアン公と知識人連合連盟

リヒテンベルジェが「シャルル・ド・ロアン」と呼んだ人物は、カール・アントン・ロアン公である。ロアンは1922年にウィーンで「文化同盟」を創設し、この団体は特にフランスとの接触に力を入れた。1924年末にはパリで知識人連合連盟が結成され、ロアンが事務局長に就いた。連盟のヨーロッパ年次大会は1924年から1934年まで開かれ、主にドイツとルクセンブルクの大実業家とフランスの出版者が資金を出した。ホーフマンスタール、ヴァレリー、ランジュヴァンといった知識人や芸術家がこの大会に関わった。新聞が第3回大会と書いた1926年10月のウィーン大会は、1924年に始まったこの年次大会の順番と合う。リヒテンベルジェは連盟を仏独和解の担い手として紹介した。ロアン自身は民主的・自由主義的な理想を退け、保守的な「西洋」の理念を唱えた。ロアンは1932年以降、カトリック、ファシズム、ナチズムの同盟を唱えるようになった。

原文

La santé des peuples

La santé des On ne construit rien, dans le domaine politique, sur le désintéressement pur. La vie internationale ne peut être basée que sur un échange d'avantages. L'Europe a besoin, pour résoudre ses propres difficultés économiques et politiques, de la collaboration des autres continents. La Société des nations a besoin, pour exister et avoir son plein rendement, d'être universelle. Que peut-elle offrir aux peuples extra-européens en échange des services qu'elle leur demande? Très peu de chose dans le domaine politique. Chaque fois que des pays de l'Amérique latine: la Bolivie, le Pérou, le Costa-Rica, le Nicaragua, ont appelé la Société des nations à leur aide, celle-ci s'est trouvée gênée, sinon paralysée, par l'article 21 du pacte qui réserve la doctrine de Monroe. Il en serait vraisemblablement de même, pour d'autres raisons, en Asie. Que peut faire la Société des nations pour la Chine? On ne voit guère les pays membres de la Société des nations qui seraient disposés à envoyer des troupes à des milliers de kilomètres pour faire respecter «l'intégrité territoriale et l'indépendance politique présente» des Etats d'Asie, d'Afrique ou d'Océanie, garantie par l'article 10 du pacte contre toute agression extérieure. On ne doit se faire aucune illusion à cet égard. Mais ce n'est pas une raison pour condamner le principe de l'universalité. C'en est une seulement pour chercher dans quels domaines, autres que la politique, la Société des nations peut rendre des services à ses «membres extérieurs». C'est à ce point de vue que l'organisation d'hygiène doit être considérée comme l'une des branches les plus importantes de la Société des nations. On ne s'en doute pas assez chez nous. On le sait heureusement davantage dans le reste du monde. En Europe, la grande presse ne pense qu'en termes de guerre. Lorsque l'on ne risque pas de se battre, rien ne semble se passer. Les gens qui meurent de maladie n'intéressent pas nos confrères, même si cette maladie est une épidémie qui fauche les existences par millions. Il faut dire, à l'honneur de l'Amérique, qu'il n'en est pas ainsi de l'autre côté de l'Océan. La guerre n'étant pas menaçante, les esprits restent accessibles à d'autres préoccupations. La main-d'œuvre étant rare et la population restreinte, la vie humaine a une grande valeur. C'est pourquoi, parmi les activités de la S. d. N., il n'y en a pas, à côté du désarmement, qui attire davantage l'attention et la sympathie des Américains, ni qui assure à la Société plus de prestige que l'œuvre de la commission d'hygiène. Les fonds considérables mis à la disposition de la Société des nations par la fondation Rockefeller en témoignent. A ce point de vue, l'œuvre de l'hygiène peut avoir, à la longue, une portée politique beaucoup plus considérable qu'on ne l'imagine communément. Il en est de même en Asie. Le Bureau épidémiologique, installé à Singapore par la Société des nations, a déjà rendu aux peuples asiatiques des services considérables. Il prévient par T. S. F. tous les ports des cas de maladies contagieuses qui peuvent se produire à bord des bateaux en mer, évite aux navires qui ne sont pas suspects des quarantaines inutiles et permet de protéger efficacement la population de la terre ferme contre la contagion. Rien n'est international comme une épidémie - qu'on songe à la grippe en 1918 - et la plupart des grands fléaux qui ont désolé le monde sont nés au sein des agglomérations humaines de l'Extrême-Orient. L'œuvre que la Société des nations accomplit pour l'Asie est donc une œuvre d'intérêt général, et il faut féliciter la quatrième commission de l'Assemblée - qui n'a pas toujours été aussi bien inspirée - d'avoir accepté d'en assumer entièrement le poids. Aujourd'hui, l'Afrique demande que l'on fasse pour elle un effort analogue. C'est l'une des questions soumises à la commission de l'hygiène, qui siège en ce moment à Genève. La solution n'en sera pas aisée. Le problème est plus difficile en Afrique qu'en Asie, parce que les maladies épidémiques, au lieu de se répandre par mer et dans les ports, viennent en général de l'intérieur. En outre, les besoins de la zone équatoriale ne sont pas ceux du Nord et du Sud. Enfin, les pays qui ont des possessions en Afrique ne s'entendent pas entre eux

Taxe successorale ?

paludisme. Des populations entières sont paralysées dans leur activité, des régions très riches pratiquement inutilisables. On envisage maintenant la fondation de cours et de bourses de malariologie à Hambourg, Paris et Londres et la réunion d'une conférence spéciale, dans le but d'étudier les moyens d'augmenter la production de quinine dans le monde. La rareté et le prix de la quinine sont en effet parmi les plus grands obstacles auxquels se heurte la lutte contre le paludisme. La commission d'hygiène songe à une œuvre analogue en ce qui concerne la mortalité infantile - plaie affreuse de certains pays à basse natalité, par exemple dans l'Amérique du Sud, et même dans plusieurs régions de la France. Il faudrait donner sur ces travaux plus de détails techniques que nous ne pouvons le faire ici pour en bien éclairer l'intérêt. Notre but, cependant, sera atteint si nous avons fait naître la conviction que cette œuvre, dont le centre est à Genève, est une bénédiction pour l'humanité entière. W. M. Taxe successorale? - Encore un impôt: peut-être n'en existait-il pas assez chez nous? Parmi les projets fiscaux du Conseil d'Etat, il en est un, en effet, qui institue une taxe nouvelle, ignorée jusqu'ici à Genève, la taxe successorale. Nous avons déjà l'impôt sur les successions, impôt très progressif, avec échelle différente suivant le degré des héritiers. Elle frappe ces derniers avec une progression calculée sur le montant de la part qui leur revient. Un exemple: une fortune de 500. 000 fr. est divisée également entre cinq enfants; chacun paiera le taux correspondant à sa part de 100. 000 fr., exactement la même somme que l'héritier unique d'une fortune de 100. 000 fr. Le fisc, lui, touchera cinq portions au lieu d'une. Ces principes sont justes et équitables: pourquoi l'un des cinq héritiers directs touchant 100. 000 fr. paierait-il plus que l'enfant unique qui reçoit la même somme? Le fait qu'une fortune se partage est au détriment de l'Etat, dit en substance le Genevois, parce que désormais les contributions additionnées des cinq enfants, basées sur des taux moins élevés, rapporteront moins au fisc que l'ancienne fortune totale. C'est l'évidence même, mais cela résulte inévitablement du principe de la progression. Et l'on peut invoquer l'exemple inverse, qui alors est au bénéfice du fisc et dont se garde de parler l'organe du Conseil d'Etat: un homme meurt sans enfants, et son frère hérite de lui. Par ce seul fait, le contribuable surviCe qui, à nos yeux, est parfaitement injuste dans le projet de taxe successorale, c'est l'inégalité de traitement qu'il consacre entre héritiers du même degré de parenté recevant une somme identique, suivant qu'il s'agit d'une fraction d'une grande fortune ou de l'intégralité d'une fortune plus modeste. On a beau dire que cette taxe est prélevée sur la masse successorale, autrement dit sur le mort, en fait ce sont les vivants qu'on atteint une première fois, avant de les saigner, congrûment une seconde fois par l'impôt successoral déjà très lourd qui existe et qui subsistera. Et les dangers d'augmentation de cette taxe dans l'avenir sont particulièrement grands, parce que l'Etat aura moins de scrupules à avoir l'air de dépouiller un mort, qui ne peut plus se plaindre, plutôt que les vivants, qui conservent le droit de vote. L'un des malheurs du temps présent est l'agonie de l'esprit d'épargne: «A quoi bon, dit-on, économiser, ou tout au moins maintenir intacts mes biens pour mes enfants, ou pour mes neveux, si l'Etat met le grappin dessus? Autant dépenser au fur et à mesure ce que je gagne, et manger mon héritage: au moins j'en profite!» Et d'autres ajoutent: «Le levier qui me faisait travailler, c'était l'idée de préparer à mes héritiers une vie moins difficile que celle que j'ai dû supporter. Si, ce levier, on le met peu à peu en morceaux, à quoi bon tant travailler? Pourvu que j'aie de quoi vivre moimême, c'est tout ce qu'il me faut!» Le découragement, le manque d'entrain au travail, l'idée que l'épargne est un leurre sont aujourd'hui très répandus dans beaucoup de milieux et causent un tort considérable à l'économie générale du pays, parce qu'ils entravent la reconstitution des richesses qui ont été durement atteintes par la guerre. Et, sans cette reconstitution, le relèvement financier de l'Etat est impossible. Tout ce qui tend à accentuer ce découragement est funeste. Et c'est pourquoi l'institution d'une taxe successorale, venant s'ajouter aux impôts nouveaux, est particulièrement inopportune. J. M. En 2me page - La marche vers la démocratie: Staline et ses adversaires. - B. N. Echos. Feuilleton: Andorra. En 3me page - La situation. Le voyage de M. Poincaré en Alsace.

Le rôle de la Fédération des Unions intellectuelles

- A l'occasion du troisième congrès de la Fédération des Unions intellectuelles, qui se tient à Vienne du 17 au 20 octobre, nous sommes heureux de publier cet article significatif de M. Henri Lichtenberger, professeur à la Sorbonne, dont les travaux sur l'Allemagne et l'action féconde pour un rapprochement franco-allemand donnent une autorité particulière au jugement qu'il porte sur l'œuvre de Charles de Rohan. Par l'entrée de l'Allemagne dans la Société des nations et la mise en vigueur des accords de Locarno, un pas décisif en avant a été fait au point de vue du rapprochement franco-allemand. Aux applaudissements unanimes de l'Assemblée de Genève, Briand a pu s'écrier: «C'est fini la guerre entre nous... Arrière les fusils, les mitrailleuses, les canons! Place à la conciliation, à l'arbitrage et à la paix!» Ce résultat, toutefois, ne saurait suffire. Que les gouvernements aient conclu un accord officiel, rien de mieux. Mais pour que cet accord devienne une réalité et porte les fruits que nous pouvons en espérer, il faut que la conciliation se fasse, non pas seulement entre les hommes d'État et en diplomates, mais qu'elle soit ratifiée par l'opinion nationale elle-même. On sait cela très bien de part et d'autre et on s'est attelé des divers côtés à cette tâche difficile. Dans les deux pays, les parlementaires, les pacifistes, les hommes d'affaires et industriels, les intellectuels de toute sorte se sont groupés en une foule d'associations qui se donnent pour programme le rapprochement. Parmi ces groupements, un de ceux qui peuvent jouer le rôle le plus utile est, je crois, la Fédération des Unions intellectuelles. A condition, bien entendu, que son activité se développe avec autant de prudence que de zèle. Ne nous dissimulons pas, en effet, que le monde des intellectuels a été le plus profondément remué par les événements de ces dernières années. La guerre n'a pas été seulement une guerre des armes, mais aussi une guerre des esprits. Il y a eu une mobilisation des intelligences comme il y a eu une mobilisation des bras. En Allemagne spécialement, les professeurs et les écrivains, qui, avant la guerre déjà, avaient été en grand nombre les porte-parole du germanisme militant et de la politique des puissances, prirent une part importante à la propagande patriote et aux controverses sur les buts de guerre. Dans ces conditi [?] ns, il est très compréhensible qu'ils aient ressenti avec une spéciale amertume l'humiliation de la défaite et qu'ils aient pris part ensuite avec une particulière ardeur à la lutte contre le traité de Versailles, contre la légende de la culpabilité allemande, contre la politique d'exécution. Pour beaucoup, la démobilisation militaire ne s'est pas accompagnée d'une démobilisation des esprits; ils ont purement et simplement continué la guerre par les moyens dont ils disposaient. Ajoutons que professeurs et intellectuels ont été très cruellement frappés par la crise de l'inflation; atteints dans leur situation matérielle, prolétarisés par suite de la destruction de la richesse acquise, entravés par la gêne dans leurs carrières et dans leurs études, ils n'ont pas accepté sans révolte cette déchéance, et leur disgrâce personnelle a attisé encore chez eux les ressentiments laissés par la défaite. On ne peut donc s'étonner que beaucoup d'entre eux se soient rangés dans le camp de l'opposition de droite et des ennemis décidés de l'état de choses créé par le traité de Versailles. J'ai à peine besoin d'ajouter que des raisons analogues agissent - avec moins de force toutefois, j'en suis convaincu - sur le monde intellectuel français. Chez nous non plus, il ne manque pas d'écrivains ou d'universitaires qui entretiennent l'esprit de défiance vis-à-vis de l'Allemagne, ne perdent pas une occasion de dénoncer la volonté de revanche qui se fait jour parmi les intellectuels d'outre-Rhin, inclinent à considérer comme une duperie la prédication de paix et comme un danger le désarmement militaire, et, pour ces motifs, n'acceptent pas sans résistance la reprise sur pied d'égalité de la coopération franco-allemande dans le domaine scientifique. Il va de soi aussi que, dans chacun des deux pays, la propagande nationaliste et belliciste de l'autre pays fournit en abondance des arguments pour rejeter la faute sur le voisin et rejeter comme une utopie et chimère tout espoir d'un accord franco-allemand. On le voit: la tâche de l'Union intellectuelle n'est pas aisée. Elle est de part et d'autre soutenue par un groupe solide et cohérent de bons esprits convaincus que le salut de l'Europe dépend de la conciliation franco-al -

紙面の出典:Source: Le Temps archives / Journal de Geneve

万国一面について →

本日の新聞一覧

街を巡る ↑
100%
原紙を拡大して読む

つまんで拡大 · 指で紙を動かす