Le Petit Matin
- 商業所有権法について
- チェンバレン、ブリアン両氏、ケ・ドルセーで対外情勢、とりわけ仏独関係を検討
- 鉄鋼カルテルと米国の世論
チュニスの「プティ・マタン」は1926年10月3日付で、まず地元の法律問題を論じた。チュニス民事裁判所が、商業用賃貸借に関するフランスの1926年6月30日法は保護領に適用されないと判断した2日後のことで、社説は保護領当局が同等の規則をベイの裁可に付すと見込み、管轄をフランスの裁判所に限り、控訴は多忙なアルジェ控訴院ではなくチュニスで扱うよう主張した。国際電報欄は、ロカルノ協定とトワリー会談を経て、チェンバレン英外相がパリに立ち寄りブリアン仏外相と会談した模様を伝えた。ブリアンは英伊が対抗勢力を作るという見方を否定し、占領地域で起きた事件の解決を求めた。さらに、新たな欧州鉄鋼カルテルに対する米国の控えめな反応を、ホワイトハウス、フーヴァー商務長官、ゲーリー判事の発言を交えて報じた。
翻訳
商業所有権法について
電報:[?] - チュニス 購読料:チュニジア - コンスタンティーヌ 3か月……17» 6か月……32» 1年……62»
商業所有権法について
1926年9月27日、本紙はこの法律のチュニジアにおける適用について記事を掲載し、その適用方法に関していくつかの考えを示した。保護領の設置によって摂政国に生じた特殊な状況を踏まえ、適用方法は修正されるべきだというものである。
この記事が出た時点では、摂政国の裁判所が、フランス人に対して、また広く管轄下にある者すべてに対して、この法律をチュニジアでそのまま(de plano)適用できると判断するのではないか、という疑問がまだあり得た。
フランス法がチュニジアで当然に適用されるかというこの複雑な問題に通じた一部の見識ある人々と同様、チュニス民事裁判所は1926年10月1日に下した判決で、1926年6月30日法はチュニジアには適用されないと判断した。新たな権利を創設する法である以上、その適用を決定できるのは立法者のみである。
この法は商工業に関してモラトリアム体制に終止符を打ち得るものであるから、国の経済的繁栄を案じる保護領当局が、「商業用または工業用の建物・施設の賃貸借契約の更新に関する賃借人と賃貸人の関係」を今後規律する同じ法原則を盛り込んだ法文を、ベイ殿下の裁可に付すことを自らの務めとするであろうことは疑いない。
しかし、チュニジアにおいて同じ法の「実質」を適用する道義的責務があると考え得るとしても、その適用規則はこの国の組織に合わせて形作ることができるし、またそうすべきである。
9月27日の本紙記事は、チュニジアの裁判所を除外し、フランスの裁判所に管轄を与えることが望ましいとの見解を示した。商標に関する法制(1889年6月3日デクレ第25条)や文学的・美術的所有権(1889年6月15日デクレ第11条)と同様に、判例を統一することには利点がある。同じ問題が、フランス人裁判官に訴えるか現地人裁判官に訴えるかで異なる判断を受けることがあってはならない。商工業にとっては、施設所有者の要求について見通しが立つことが重要である。フランスの裁判所とイタリアの裁判所ほどにも互いに無縁で、異なる見解をとりかねない二元的な裁判所体制のもとでは、最悪の失望を招くことになる。
だが、控訴審のためにアルジェまで行くのを避けようとして、終審としての判決を下させるほうが得策だと考える人々とは、われわれはまったく意見を異にする。第二審制は久しく公正な裁判の保障であり、この法律が引き起こし得るほど重要な紛争において、ただ一人の裁判官の判断に委ねるべきだとは考えない。
控訴手続きに避けがたい遅延についての彼らの懸念は、われわれも共有する。とりわけ多忙なアルジェ控訴院は、新たな訴訟で審理予定表があふれることになろう。所有者も賃借人も一刻も早く自らの地位が確定することを望んでいる。しかしわれわれの土地の訴訟好きな気風からすれば、控訴院の審理を経ずに済む案件はまれだろう。さらに言えば、アルジェリアの経済状況はチュニジアと同じではなく、二つの首都の間のこれほど大きな距離を思えば、控訴院の高位の裁判官たちがチュニジアの実情をいくらか見失ったとしても無理はない、と断言できる。
では、どうするのか、とあなたは言うだろう。この種の事件をアルジェ控訴院の判断に委ねずに、どうやって控訴の権利を保つのか、と。
1926年6月30日法の仕組みを検討すると、それは可能だと私は考える。方法はこうである。
この新法によれば、当事者間で合意に至らない場合、賃貸人と賃借人は建物所在地の民事裁判所長の前に出頭しなければならず、所長は鑑定を経たうえで理由を付した命令によって裁定し、この命令に対しては送達から15日以内に控訴することができる。
裁くのが裁判所ではなくその一構成員である以上、——適用方法の問題についてはチュニジアの立法者が主権を持つのだから——この仲裁者の役割を、チュニス裁判所については副所長に担わせ、スース裁判所については所長にそのまま委ね、これらの命令に対する控訴はチュニス民事裁判所第一部に持ち込ませることができるのではないかと私には思われる。案件は迅速に、しかもこの国の事情と人々についてわが裁判官たちが持つ経験をもって解決されるだろう。
レームは蹄鉄をしっかり打たれている
いくつかの快挙
チェンバレン、ブリアン両氏、ケ・ドルセーで対外情勢、とりわけ仏独関係を検討
ONS RAPIDES
チェンバレン、ブリアン両氏、ケ・ドルセーで対外情勢、とりわけ仏独関係を検討
パリ、10月2日発――地中海クルーズを終え、リヴォルノでムッソリーニ氏と会談した英国外相が、きょう午後3時35分にパリに到着した。
ブリアン氏はリヨン駅に出向き、列車から降りるサー・オースティン・チェンバレンを出迎えた。チェンバレン氏には夫人、令息、秘書らが同行していた。ブリアン氏には、官房長のレジェ氏と駐仏英国大使クルー卿が付き添っていた。
ブリアン氏はチェンバレン夫妻を車まで見送り、夫妻は大使館公邸に向かった。
英外務省の長は、午後4時30分ごろ、ケ・ドルセーで外相と会談する予定である。
⁂
パリ、10月2日発――チェンバレン氏は、ブリアン氏との1時間半にわたる会談を終え、午後6時にケ・ドルセーを後にした。会談中、両外相は紅茶を共にした。
会談終了後、次のコミュニケが発表された。
「ブリアン、チェンバレン両氏は本日午後に会い、ケ・ドルセーで会談した。その中で両氏は、現在提起されている国際問題の解決に向けて、見解と行動を共にしていることを確認し、その内容を明確にした」
「チェンバレン氏はジュネーヴで、フランスの同僚がドイツ外相と行った会談について報告を受けていたが、トワリー会談の前に会議を退席しなければならず、およそ2週間の地中海クルーズで静養していた」
「ロンドンに戻って外務省との連絡を再開する前に、同氏はぜひパリに立ち寄ってブリアン氏と話し合いたいと考えた」
「両政治家は対外情勢、とりわけ仏独関係について検討した。その方向性はロカルノ協定とトワリー会談によって明確にされている」
「会談は、両外相の個人的な関係に支えられた好ましい雰囲気の中で進められた」
「両氏は、平和に奉仕する両者の協調がかつてないほど緊密で、心のこもった、信頼に満ちたものであり続けていることを確認した」
ブリアン氏の談話
ブリアン氏は夜、報道陣を迎えて次のように語った。
「コミュニケにあるとおり、チェンバレン氏と私の間には心からの完全な合意が引き続き存在している」
「われわれの良好な関係が揺らいでいないことを、改めて確かめた」
「チェンバレン・ムッソリーニ会談を、仏独接近の効果を相殺しようとする試みと見る向きもあったが、これほど事実に反することはない」
「チェンバレン氏がムッソリーニ氏と会う予定であることを私は知っていたし、同氏も私とシュトレーゼマン氏との会談の目的を知っていた」
「私の印象では、検討されたのは一般的な問題よりも、主として英国の政策とイタリアの政策にかかわる問題だった」
「私としては、二人の同僚と会えたことを大変うれしく思う。この種の対話は平和の事業に役立つばかりである」
「私のほうでは、仏独接近に至るはずの対話を再開するつもりだ」
「しかし、両国の間に現実の不和を生んでいるいくつかの摩擦点の解消に努めなければならない。占領地域で起きた遺憾な事件は速やかに解決されねばならない。それらはおそらく誇張されていたのだろう」
「両国政府は、同様の事態の再発を防ぐための措置を講じなければならない」
「ロカルノ協定は何か目新しいものというわけではない。条約は、それが適用される精神によってのみ価値を持つ」
「署名国の間に敵対が続けば、その適用は不確かなままとなる」
「反対に、双方に明らかな善意があれば、その履行は容易になる」
タンジールについて、ブリアン氏は次のように述べた。「状況は変わっていない。会議は予定されておらず、その見込みもない。必要があれば、外交上の対話を通じて必要な調整を加えることができる」
「この問題は、きっと好ましい解決を見るだろうと確信している」
デ・リベラ将軍、自分は人生学の博士だと語る
鉄鋼カルテルと米国の世論
10時22分:[?] 10 [?] [?] 11時00分:173 10 35 67 12時00分:173 14 35 67
鉄鋼カルテルと米国の世論
ワシントン、10月2日発――鉄鋼協定の調印は、米国の各界で控えめに受け止められた。
スチール・コーポレーション取締役会長のゲーリー判事は、欧州の実業家たちが米国の鉄鋼業者に対して友好的な感情しか抱いていないと確信していると述べている。
「ニューヨーク・タイムズ」の社説に表れた大方の見方は、米国の生産量が1億トンを超えるのに対し、新たな連合はかろうじて4000万トンに達する程度であるから、米国産業への影響は目立たないだろうというものだ。米国の鉄鋼市場は、大統領が輸入関税を変更できる弾力関税が採用されていることから、米国産業には何も恐れるものはないと。
ただし、協定の影響が南米や極東の市場で感じられる可能性はあると認められているが、米国の鉄鋼生産者と新連合の加盟者との間で争いが起きるとは考えられていない。
これに対し、大陸の生産者と向き合って孤立することになる英国に関しては、事情がまったく異なるとの見方がかなり一般的である。
欧州の鉄鋼協定について、クーリッジ大統領の報道官は、ホワイトハウスとしてはこの協定に米国の利益を脅かし得るものは何も見当たらず、むしろ欧州の経済的繁栄の回復に役立ち得ると述べている。
⁂
ニューヨーク、10月2日発――鉄鋼カルテルの締結に至ったばかりの交渉は、米国で大きな関心をもって見守られてきた。
きょう届いたワシントン発の電報によれば、フーヴァー商務長官は、これによって生じた状況について調査を命じた。
それでも大方の見方は、新たな連合は国内市場では米国鉄鋼業にとって脅威とはならないが、世界市場には相当な影響を及ぼすだろう、というもののようだ。
米国のスチール・コーポレーションは、大半の鉄鋼王たちの気持ちを代弁していると思われるが、新トラストの成功を望むと表明しており、その一方で、新トラストの経営陣は米国の実業家に友好的に振る舞い、米国側もある程度の相互主義によって[?]と見られている。
モロッコにて
軍の表彰
解説
パリの賃貸借法がチュニスで管轄権争いになった理由
この社説が扱うのは、商業用・工業用賃貸借の更新を定めたフランスの1926年6月30日法だ。紙面の見出しはこれを「商業所有権(propriété commerciale)」の法と呼んでいる。この語は、商業用賃借人が持つ特別な権利を指す言葉として、今もフランス法で使われている。紙面自体が伝える核心の出来事は、1926年10月1日のチュニス民事裁判所の判決である。同裁判所は、新たな権利を創設する法には保護領自身の立法者が必要だとして、この法律はチュニジアに適用されないと判断した。形式上の立法者は、保護領のフランス当局が提出した法文を裁可するベイだった。筆者はチュニジアが同じ実質を採り入れる「道義的」責務を認めつつ、運用の仕組みを論じた。管轄はフランスの裁判所だけに持たせるべきだとし、1889年の商標・文学的所有権デクレを先例に挙げた。そうしなければ同じ紛争でもフランス人裁判官と「現地人」裁判官とで判断が分かれかねない、というのが理由である。また、裁判所長の命令に対する控訴は、アルジェ控訴院ではなくチュニスの第一部で審理すべきだと主張した。アルジェ控訴院は事件を抱えすぎており、チュニジアの実情からも遠いという。この保護の仕組みは今も生きている。現在のフランス法でも、正当な理由なく更新を拒む賃貸人は、賃借人に立ち退き補償金を支払わなければならない。1926年の時点で社説が指摘できたのは、所有者も賃借人も一刻も早く自らの地位の確定を望んでいるということだった。
ロカルノとトワリーはブリアン・チェンバレン会談に何をもたらしたか
紙面が引用したコミュニケは、仏独関係の方向性が「ロカルノ協定とトワリー会談」によって定められたと述べている。1925年のロカルノ主条約では、ドイツ、フランス、ベルギー、英国、イタリアが仏独国境とベルギー・ドイツ国境を保障した。条約はドイツの国際連盟加盟を条件として発効した。連盟がドイツを常任理事国として迎え入れたのは1926年9月10日で、この会談のわずか数週間前のことである。電報によると、チェンバレンはトワリーでのブリアンとシュトレーゼマンの会談の前にジュネーヴを離れ、約2週間の地中海クルーズに出ていた。その途中、リヴォルノでムッソリーニと会っている。ブリアンがリヴォルノ会談を仏独接近に対する英伊の対抗策とする見方を懸命に否定したのは、このためだった。「占領地域」での「遺憾な事件」という発言は、当時なお続いていた連合国のラインラント占領を指す。占領の終結はシュトレーゼマンの目標の一つであり、最後の占領部隊が撤退したのは1930年だった。ヴェルサイユで定められた期限より5年早い。条約は「適用される精神」によってのみ価値を持つというブリアンの言葉は、後に「ロカルノ精神」と呼ばれるようになった期待に通じている。
1926年の鉄鋼カルテルの規模と、紙面の数字は正しかったのか
記事の「鉄鋼協定」とは、この号のわずか数日前、1926年9月30日に設立された国際鉄鋼協定(Entente internationale de l'acier)である。運営はドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルクの産業代表からなる理事会が担った。その重みは生産量よりも貿易にあった。加盟者は主要生産者の総生産の約35%を占めるにすぎなかったが、世界の鉄鋼輸出では3分の2を占めた。ここに引かれた米国の反応が、国内市場については平静でありながら、南米と極東については警戒を示していたのはこのためである。電報の生産量の数字には注意が要る。記事は米国の生産を1億トン超としている。しかし1951年の研究に基づく歴史記述では、1926年の米国の生産は4700万トンで、輸出はわずか230万トンだった。この数字に従えば、電報は米国の生産を2倍以上に見積もっており、新連合の4000万トンとの差も電報が示すよりはるかに小さかったことになる。米国側との協調は後に実現した。欧州の協定は1929年、米英加の企業との協定によって真に世界的なものとなった。
「弾力関税」は米国の鉄鋼業者に何を与えたか
ここで伝えられた「ニューヨーク・タイムズ」の見方は、大統領が輸入関税を変更できる「弾力関税」を根拠にしている。これは1922年のフォードニー・マッカンバー関税法の規定で、関税委員会の勧告があれば大統領が税率を上げ下げできる権限を定めていた。同法は課税対象輸入品の平均従価税率をおよそ38.5%に引き上げてもいた。高い関税の壁に加え、それをさらに高める手段もあったのだから、米国の生産者は国内市場について安心していられた。クーリッジ大統領の報道官がカルテルを脅威ではなく欧州復興の助けになり得るものと位置づけられた理由の一端はここにある。米国側の懸念は第三国市場に限られ、そこでは欧州側の輸出の強さが最も効いてくる。電報は、孤立するのは米国ではなく英国だと見ていた。英国は大きな鉄鋼生産国だったが、ドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルクの産業が運営する連合の外にいた。電報は、その英国が大陸の生産者と単独で向き合う姿を描いたのである。
原文
Au sujet de la loi sur la Propriété Commerciale
Télégrammes: [?] - Tunis ABONNEMENTS: Tunisie - Constantine 3 mois................. 17» 6 mois................. 32» 1 an................... 62» Au sujet de la loi sur la Propriété Commerciale A la date du 27 septembre 1926, notre journal a fait paraître un article au sujet de l'application de cette loi en Tunisie, suggérant quelques idées quant à son mode d'application qu'il y aurait lieu de modifier en raison de la situation spéciale faite dans la Régence par suite de l'établissement du Protectorat. Au moment de la publication de cet article, on pouvait encore se demander si les tribunaux de la Régence n'auraient pas estimé cette loi applicable de plano en Tunisie, vis-à-vis des Français et d'une façon générale vis-à-vis de ses justiciables. Ainsi que certains bons esprits versés dans cette question complexe de l'application de plein droit en Tunisie des lois françaises, le Tribunal Civil de Tunis, dans un jugement rendu le premier octobre 1926, a décidé que la loi du 30 juin 1926 n'était pas applicable en Tunisie. Créateur d'un droit nouveau, seul le législateur peut décider de son application. Pouvant mettre fin, en ce qui concerne le commerce et l'industrie, au régime du moratorium, on ne peut douter que les Services du Protectorat, soucieux de la prospérité économique du pays, ne se fassent un devoir de présenter à l'approbation de S. A. le Bey un texte contenant les mêmes principes juridiques réglant pour l'avenir les «Rapports entre locataires et bailleurs en ce qui concerne le renouvellement des baux à loyer d'immeubles ou de locaux à usage commercial ou industriel». Mais si l'on peut se considérer, en Tunisie, moralement tenu d'appliquer le même «fond» de la loi, on peut et on doit modeler ses règles d'application à l'organisation du pays. Notre article du 27 septembre émettait l'avis qu'il y aurait intérêt à donner compétence aux Tribunaux français, à l'exclusion des juridictions tunisiennes. Comme pour la législation sur les marques de fabrique (décret du 3 juin 1889, art. 25); la propriété littéraire et artistique (décret du 15 juin 1889, art. 11), il y a intérêt à unifier la jurisprudence. La même question ne peut être tranchée différemment selon que l'on s'adresse au juge français ou au juge indigène. Le commerce et l'industrie ont intérêt à être fixés sur les prétentions des propriétaires des locaux; avec une dualité de tribunaux, aussi étrangers que peuvent l'être un tribunal français d'un autre italien, et pouvant avoir des points de vue différents, on court aux pires mécomptes. Mais nous nous séparons entièrement de ceux qui, pour éviter d'aller à Alger pour vider un appel, croient plus opportun de faire rendre une décision en dernier ressort. Depuis longtemps, le deuxième degré de juridiction est une garantie de bonne justice, et nous ne croyons pas que dans les litiges aussi importants que ceux que pourront soulever cette loi, il faille se fier à la décision d'un seul juge. Nous partageons ces alarmes quant aux lenteurs inévitables d'une procédure en appel. La Cour d'Alger, particulièrement chargée, va voir ses rôles encombrés de nouveaux procès. Propriétaires et locataires ont intérêt à voir leur statut fixé au plus tôt; mais avec l'esprit processif de nos pays, rares seront les dossiers qui ne devront pas être examinés par la Cour. Et puis, au surplus, on peut affirmer que les conditions économiques en Algérie ne sont pas les mêmes qu'en Tunisie, et qu'une aussi grande distance entre les deux capitales puisse excuser les hauts magistrats de la Cour de perdre un peu de vue les réalités tunisiennes. Alors quoi, me dites-vous, comment conserver le droit d'appel, sans soumettre à l'appréciation de la Cour d'Alger les affaires de ce genre? A examiner le mécanisme de la loi du 30 juin 1926, je crois la chose possible. Voici comment: Faute d'accord entre parties, dit la loi récente, le bailleur et le locataire devront comparaître devant le Président du Tribunal Civil de la situation de l'immeuble, qui, après expertise, statue par ordonnance motivée, dont il peut être fait appel dans la quinzaine de la signification. Il me semble, étant donné que ce n'est pas un tribunal qui juge, mais un de ses membres, que l'on pourrait, le législateur tunisien est souverain sur la question du mode d'application, donner compétence, pour jouer ce rôle d'arbitre, à un vice-président pour le tribunal de Tunis et conserver ce rôle au Président du tribunal de Sousse et faire venir les appels de ces ordonnances devant la première Chambre du Tribunal Civil de Tunis. Les affaires seraient solutionnées rapidement et avec l'expérience que possèdent nos magistrats des choses et des gens du pays. Rême est bien ferré Quelques exploits
MM. Chamberlain et Briand examinent au Quai d’Orsay la situation extérieure et surtout les relations franco-allemandes
ONS RAPIDES MM. Chamberlain et Briand examinent au Quai d'Orsay la situation extérieure et surtout les relations franco-allemandes PARIS, 2 octobre. - Le Ministre Britannique des Affaires Etrangères, qui vient d'effectuer une croisière en Méditerranée, et s'est rencontré à Livourne avec M. Mussolini, est arrivé à Paris cet après-midi à 15 h. 35. M. Briand s'était rendu à la gare de Lyon recevoir à sa descente du train Sir Austen Chamberlain, qu'accompagnaient Mme Chamberlain, leur fils et leurs secrétaires. M. Briand était accompagné de M. Léger, chef de son Cabinet, et de Lord Crewe, ambassadeur d'Angleterre à Paris. M. Briand conduisit jusqu'à leur voiture M. et Mme Chamberlain, qui gagnèrent l'hôtel de l'Ambassade. Le chef du Foreign Office aura vers 16 h. 30, de l'après-midi, au Quai d'Orsay, un entretien avec le Ministre des Affaires Etrangères. ⁂ PARIS, 2 octobre. - M. Chamberlain a quitté le Quai d'Orsay à 18 heures après un entretien d'une heure et demie avec M. Briand, où les deux Ministres prirent le thé. A l'issue de l'entrevue le communiqué suivant fut publié: «MM. Briand et Chamberlain se rencontrèrent cet après-midi et eurent au Quai d'Orsay une entrevue au cours de laquelle ils constatèrent et précisèrent leur communauté de vues et d'action pour la solution des problèmes internationaux actuellement posés.» M. Chamberlain, qui, à Genève, fut mis au courant des entretiens de son collègue français avec le Ministre des Affaires Allemand, avait dû quitter la séance avant l'entrevue de Thoiry et s'était reposé au cours d'une croisière d'une quinzaine de jours en Méditerranée.» Avant de revenir à Londres et de reprendre contact avec le Foreign Office il tint à s'arrêter à Paris pour s'entretenir avec M. Briand.» Les deux hommes d'Etat examinèrent la situation extérieure et en particulier les relations franco-allemandes, dont les Accords de Locarno et les conversations de Thoiry précisèrent l'orientation.» La conversation se poursuivit dans une atmosphère favorable qu'assurent les relations personnelles des deux Ministres.» Ils constatèrent que leur entente au service de la paix reste plus étroite, plus cordiale, plus confiante que jamais». Déclarations de M. Briand M. Briand reçut dans la soirée les représentants de la presse et leur déclara: «Comme vous l'indique le communiqué un accord cordial et entier subsiste entre M. Chamberlain et moi.» Nous avons vérifié une fois de plus que notre bonne entente ne s'était pas démentie.» On voulait voir dans l'entrevue Chamberlain-Mussolini une tentative pour contrebalancer les effets du rapprochement francoallemand; rien n'est plus inexact.» Je savais que M. Chamberlain devait rencontrer M. Mussolini, comme il connaissait l'objet de mon entrevue avec M. Stresemann.» J'ai l'impression que ce sont surtout des questions intéressant la politique anglaise et la politique italienne qui furent examinées plus que les questions d'ordre général.» Je suis, pour ma part, très heureux de rencontrer mes deux collègues; des conversations de ce genre ne peuvent que servir à l'œuvre de paix.» De mon côté je compte reprendre les conversations qui doivent aboutir au rapprochement franco-allemand.» Mais il faut s'attacher à faire disparaître certains points de friction créant un malaise réel entre les deux pays, les incidents regrettables qui se produisirent dans les régions occupées doivent être rapidement réglés; ils furent sans doute grossis.» Les deux Gouvernements doivent prendre des mesures pour empêcher le retour de semblables faits.» L'accord de Locarno ne constitue pas quelque chose de nouveau: un traité n'a de valeur que par l'esprit dans lequel il est appliqué.» Si l'antagonisme persiste entre les signataires l'application reste incertaine.» Au contraire, s'il y a bonne volonté évidente de part et d'autre, l'exécution devient aisée.» Au sujet de Tanger, M. Briand déclare: «La situation est inchangée; aucune conférence n'est prévue ni à prévoir; les conversations diplomatiques permettront d'apporter, s'il y a lieu, les aménagements nécessaires.» Cette question fera, j'en suis sûr, l'objet d'une solution favorable.» Le général de Rivera dit qu'il est un docteur dans la science de la vie
LE CARTEL DE L’ACIER ET L’OPINION AUX ETATS-UNIS
10 h. 22: [?] 10 [?] [?] 11 h. 00: 173 10 35 67 12 h. 00: 173 14 35 67 LE CARTEL DE L'ACIER ET L'OPINION AUX ETATS-UNIS WASHINGTON, 2 octobre. - La signature de l'accord sur l'acier a été accueillie dans les milieux américains d'une façon réservée. Le juge Gary, président du Conseil d'administration de la Steel Corporation déclare qu'il est certain que les industriels européens n'ont que des sentiments amicaux à l'égard des industriels de l'acier américains. L'opinion générale reflétée dans l'éditorial «New-York Times» est que l'effet sur l'industrie américaine ne sera pas sensible, la production américaine dépassant 100 millions de tonnes, alors que la nouvelle combinaison atteint à peine 40 millions. Le marché de l'acier américain étant donné l'adoption de tarif élastique qui permet au Président de changer le droit d'importation, que l'industrie américaine n'a rien à redouter. On reconnaît cependant que l'effet de l'accord pourra se faire sentir sur les marchés sud-américains et de l'Extrême-Orient, mais on n'envisage pas une lutte entre producteurs d'acier américains et les membres de la nouvelle combinaison. Par contre on estime assez généralement que la situation est tout autre à l'égard de l'Angleterre qui va se trouver isolée face à des producteurs continentaux. Commentant l'accord européen sur l'acier, le porte-parole du Président Coolidge déclare qu'à la Maison Blanche on ne voit rien qui puisse dans cet accord menacer les intérêts des Etats-Unis et qu'au contraire il peut aider le rétablissement de prospérité économique de l'Europe. ⁂ NEW-YORK, 2 octobre. - On a suivi avec grand intérêt aux Etats-Unis les négociations qui viennent d'aboutir à la conclusion du cartel de l'acier. Selon une dépêche de Washington reçue aujourd'hui M. Hoover, secrétaire du Commerce a ordonné une enquête sur la situation ainsi créée. L'opinion générale semble être néanmoins que la nouvelle combinaison ne constituera pas une menace pour l'industrie américaine de l'acier sur le marché intérieur mais exercera une influence considérable sur le marché mondial. Pendant que la corporation de l'acier aux Etats-Unis, exprimant, croit-on, le sentiment de la plupart des magnats de l'acier a dit son espoir de voir le nouveau trust rencontrer le succès, on croit que ses administrateurs agiront amicalement envers les industriels américains et que ceux-ci [?] par une certaine réciprocité. AU MAROC A l'ordre de l'Armée