Diario La Nación
- ラウラ
- フェリックス
1926年10月3日付のサンティアゴ紙「ラ・ナシオン」は、フェリックス・ザ・キャットで知られるパット・サリバンの署名入り配信漫画を載せた。判読できる「ラウラ」の説明文の一つは、当時の大きなスポーツ話題だったジーン・タニーとジャック・デンプシーのヘビー級戦を扱っていた。その説明文は、タニーがデンプシーをロープ際まで追い込む場面を描き、続けてタニーの勝利が宣告されるのかと問いかけた。「フェリックス」の漫画では、登場人物が眠っている相手に起きて毎日トレーニングするよう命じた。紙面のほかの部分は確実には読み取れない。
この読み取りは、漫画面のうちはっきり判読できる2か所だけを対象とする。タニー対デンプシー戦を扱った「ラウラ」の説明文と、「フェリックス」の吹き出し1つである。いくつかの吹き出しは画像タイルの境目をまたいでおり、上段の漫画は一部が切れているか薄くなっている。向かいのページの細い断片は記事として読み取れない。チリの新聞がラジオでスポーツ結果をどう伝えたか、またラ・ナシオンがこれらの配信漫画のチリでの掲載権をどう得たかについては、答えるだけの根拠が得られなかったため扱っていない。
翻訳
ラウラ
タニーがデンプシーをロープ際まで追い込む。――タニーの勝利が宣告されるのか?
フェリックス
いつまでも寝てるんじゃない!これから毎日、トレーニングしなきゃいけないんだぞ!
解説
フィラデルフィアの一戦:ロープ際の攻防と判定
「ラウラ」の説明文は、この号の10日前に実際に行われた試合を指している。ジャック・デンプシーとジーン・タニーは1926年9月23日、統一ヘビー級王座をかけて対戦した。漫画はタニーがデンプシーをロープ際に追い込む場面を描き、タニーの勝利が宣告されるのかと問いかける。実際の試合では、タニーが雨の中で10ラウンドにわたって王者を圧倒し、終了時にはデンプシーの左目が完全にふさがっていた。タニーは全員一致の判定で勝った。したがって紙面が出た時点で漫画の問いの答えはすでに出ていたが、判読できる範囲では、漫画自体がこの問いにどう答えたかはわからない。
タニーの勝利はなぜ話題になったのか
タニーの勝利は番狂わせだった。デンプシーは長くリングから離れていた。フィラデルフィアの試合は、1923年9月のルイス・アンヘル・フィルポ戦の勝利以来、ほぼ3年ぶりの防衛戦だった。それでもブックメーカーはデンプシーを本命とし、オッズは最大で13対5に達した。観衆12万557人は、1993年2月まで有料入場者数によるボクシング史上最多記録だった。長く試合をしていなかった本命が記録的な大観衆の前で敗れたことは、サンティアゴの漫画が読者の知識を当てにできるほどの国際ニュースだった。漫画は判定を問いの形にしているが、公式結果はタニーの全員一致の判定勝ちだった。
パット・サリバンの署名と、フェリックスを実際に描いた人物
判読できる2本の漫画にはいずれも「PAT SULLIVAN」の署名がある。これは当時のフェリックスの売り出し方と合っている。フェリックスはオーストラリア出身のサリバンがニューヨークに構えたスタジオから生まれ、1923年からはサリバン、オットー・メスマー、のちには別の作家も描いた新聞漫画にも登場した。1920年代、世間向けのクレジットはサリバンだけのものだった。メスマーもほかのアニメーターも、宣伝で名前が出ることもスクリーンにクレジットされることもなかった。現在、オーストラリア以外のアニメーション史家はメスマーをフェリックスの本当の生みの親と見ているが、オーストラリアの漫画家や史家はこれに異を唱えている。したがってこの紙面のサリバンの署名は漫画の売り出し方を示すもので、それだけではこのコマを誰が描いたかはわからない。
原文
LAURA
TUNNEY LLEVA A DEMPSEY HASTA LOS CORDELES. - TUNNEY ES DECLARADO VENCEDOR?
FELIX
¡ DEJATE DE ESTAR DURMIENDO! TIENES QUE ENTRENARTE TODOS ESTOS DIAS
紙面の出典:Source: Internet Archive