Evening Star
- 女王一行、ワシントンから65マイルの旅を経てボルティモアに到着
- クノ・H・ルドルフ、3期目の任期終了を前に特別区の職を辞任
- 帝国会議、非公開で開催
1926年10月20日付のイブニング・スター紙は、訪米3日目のルーマニアのマリー女王の動きを伝えた。AP電は、女王一行が雨の中をワシントンとアナポリスから自動車でボルティモアに入り、帽子を脱いだ群衆が沿道を埋め、ベルベディア・ホテルに豪華な24室のスイートが用意されていた様子を報じた。地元面では、J・ラッセル・ヤング記者が、3期目の終わりが近いコロンビア特別区委員クノ・H・ルドルフがクーリッジ大統領に辞任を申し出たと伝えた。大統領は辞任を受け入れたが、後任が決まるまで正式な辞表を控えるよう求めたと記事は書いた。ロンドンの帝国会議が非公開で開かれたという見出しも紙面に並んだ。この読み取りでは、その見出しの下に載った本文はホール・ミルズ殺人事件の続報だった。その記事は、遺体の再発掘や喉の傷をめぐる食い違いを伝えた。
翻訳
女王一行、ワシントンから65マイルの旅を経てボルティモアに到着
AP通信。ボルティモア、10月20日発――王族にも庶民にも分け隔てなく、湿った渋面を向ける空の下で。ルーマニアのマリー女王は本日午後12時55分、ワシントンとアナポリスから雨に洗われた道路を走る[?]自動車の旅を終えた。王室一行がパタプスコ川を渡ったあとに通った街路は、雨の中で帽子を脱いだ群衆で黒く埋め尽くされた。特別警察の非常線がハノーバー通りに通り道を確保し、車列が市の中心部を抜けてベルベディア・ホテルまで進めるようにした。同ホテルでは、タペストリーと錦織が掛けられ、緑の植物がふんだんに飾られて華やかに彩られた24室のスイートが、ルー――のために用意されていた。
クノ・H・ルドルフ、3期目の任期終了を前に特別区の職を辞任
一年前に辞めるつもりだったが、地方行政とフェニングをめぐる議会での争いが最終的に決着するまで留任した。J・ラッセル・ヤング記。特別区委員として3期目を締めくくろうとしており、現在は委員会の委員長を務めるクノ・H・ルドルフは、クーリッジ大統領に対し、職務を解いて辞任を受理するよう求めた。クーリッジ大統領は本日、委員の申し出と職を解かれたいという意向を聞いたうえで、辞任の受理に同意した。だが大統領は同時に、正式な辞表の提出を当面のあいだ控えるよう委員に求めた。少なくとも、大統領がふさわしい後任の問題を検討する機会を得るまでは、ということである。ルドルフ氏は生涯懸命に働いてきた。そして彼が……の文民の長の一人として捧げてきた年月は
帝国会議、非公開で開催
……新たな証拠探しのため、ブルックリンの墓を……。4年前に殺害された牧師の遺体を掘り起こしたニューヨーク地方検事局のオットー・シュルツェ医師が、ミルズ夫人の遺体を調べるためにニュージャージー州当局に雇われた。のちに見つかった切り傷。ホール博士は銃弾で殺され、ミルズ夫人の遺体には拳銃による銃創が3か所あった。4年前に夫人の遺体を再検査したところ、喉が切り裂かれていたことが判明したが、最初の検査ではこれが見落とされていた。捜査員たちは、この切り傷はミルズ夫人の死から少なくとも半時間後につけられたと判断した。殺された女性の娘シャーロット・ミルズは、嫉妬深い女の仕業だと断言した。現在では、この切り傷の性質についての報告に食い違いがあったとされている。捜査員たちはホール博士の遺体を2度目に掘り起こすことを話し合ってきたが、本日の時点で、そのための手続きは何も明らかにされていなかった。特別検察官アレクサンダー・シンプ――
解説
マリー女王が1926年10月に米国を回っていた理由
ルーマニアのマリー女王は1926年、息子ニコラエと娘イレアナを伴って米国を外交訪問した。女王は自国の代弁者として知られていた。女王は1919年のパリ講和会議に出席し、第一次世界大戦後に領土を広げたルーマニアを国際社会に認めさせるよう働きかけた。女王は1926年10月18日に米国に到着し、ワシントンでクーリッジ大統領を訪問した。この号のAP電は、到着から2日後の一行がワシントンを発ち、アナポリスを経てボルティモアへ向かった場面を伝えている。AP電はさらに、雨の中で帽子を脱いで立つ群衆と、車列のためにハノーバー通りを空けた特別警察の非常線を描いた。
新聞報道が女王の訪米をどう形づくったか
新聞は女王の訪米に最初から深く関わっていた。女王の訪米は、実現する数年前から新聞で噂されていた。マリー女王自身も旅行中に『私のアメリカの印象』と題する連載記事を書いた。歴史サイトのヒストリーリンクは、この連載の掲載先をアメリカン・ニュースペーパー・アライアンスと記している。女王には記者団が同行し、記者団は各地での女王の行動を細かいところまで広く報じた。スター紙のAP電も、午後12時55分という到着時刻に加えて、ホテルに用意された24室のスイートのタペストリーや錦織、緑の飾りまで書き込んだ。こうした細部の報道が、王室訪問を連日の一面記事にしたのである。
ルドルフの長い在任とフェニング問題
クノ・H・ルドルフは、コロンビア特別区委員会の委員長を連続しない2つの期間にわたって務めた唯一の人物である。ルドルフはタフト政権下で最初に委員長を務め、1921年からハーディング政権とクーリッジ政権の下で再び務めた。スター紙が3期目と書いたのはこの経歴による。スター紙の小見出しは、辞任の時期を地方行政とフレデリック・A・フェニング委員をめぐる議会での争いに結びつけた。フェニングは弾劾の動きに直面し、任期を終える前に辞任した。クーリッジ大統領は、議会の休会中の任命でプロクター・L・ダハティをフェニングの後任に据えた。大統領が求めた辞表の先送りは長く続かなかった。ルドルフは1926年12月に委員会を去り、ダハティが委員長を引き継いだ。ウィキペディアの伝記はルドルフの辞任理由を健康の悪化としている。スター紙の記事は、この決断を長年の働きの締めくくりとフェニング問題の決着として描いた。
1926年の帝国会議とはどのような会議だったか
スター紙が非公開で開かれたと見出しで伝えた帝国会議は、1926年10月19日から11月23日までロンドンで開かれた。この号は会議が開幕した翌日に発行された。会議の日程は、同じ年にジュネーブで開かれた国際連盟総会の直後に組まれていた。見出しが伝えた非公開の協議は、のちにバルフォア宣言をまとめ上げた。バルフォア宣言は、自治領がすべて対等な地位にあるという原則を定めた。1926年10月の時点では、この結論が出るまでまだ数週間あった。見出しは、帝国の指導者たちが非公開で協議を始めたことだけを記録している。
原文
QUEEN AND PARTY REACH BALTIMORE AFTER 65-MILE TRIP FROM WASHINGTON
By the Associated Press. BALTIMORE, October 20. - Under skies that frowned on royalty and commoner with damp impartiality. Queen Marie of Rumania ended a [?] automobile trip over rainwashed roads from Washington and Annapolis at 12: 55 p. m. today. Streets over which the royal entourage passed after crossing the Patapsco River were black with humanity, hats off in the rain. Special police cordons kept a lane open in Hanover street to allow the cars to pass on through the heart of the city to the Belvedere Hotel, where a 24room suite, hung with tapestries and brocade and resplendent with massed greenery was reserved for the Ru -
CUNO H. RUDOLPH RESIGNS DISTRICT POST AS HIS THIRD TERM NEARS CLOSE
Planned to Quit Year Ago, But Remained Until Fight in Congress Over Local Government and Fenning Was Finally Cleared Up. BY J. RUSSELL YOUNG. Cuno H. Rudolph, rounding out his third term as District Commissioner and now the chairman of the Board of Commissioners, has asked President Coolidge to relieve him of his duties and to accept his resignation. President Coolidge, after hearing the Commissioner's request today and his wishes for wanting to be relieved, agreed to accept his resignation, but asked the Commissioner, at the same time, to withold a formal resignation indefinitely-at least, until he has had an opportunity to consider the question of a suitable successor. Mr. Rudolph has worked hard all his life, and the years he has given as one of the civilian heads of the
IMPERIAL PARLEY MEETS IN SECRET
a Brooklyn grave in the renewed search for evidence. Dr. Otto Schultze of the New York district attorney's office, who exhumed the slain pastor's body four years ago, has been retained by New Jersey authorities to examine the body of Mrs. Mills. Slash Found Later. Dr. Hall was killed by a bullet, Mrs. Mill's body bore three pistol bullet wounds. Re-examination of her body four years ago disclosed that her throat had been slashed, although this had been overlooked in a first examination. Investigators decided the cut had been made no less than half an hour after Mrs. Mills ' death. Charlotte Mills, the slain woman's daughter, declared it had been done by a jealous woman. It is now said that there were discrepancies in reports as to the nature of this slash. Investigators have talked of exhuming Dr. Hall's body a second time, but no formalities toward that end had been disclosed today. Special Prosecutor Alexander Simp -
紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料