時報
- 孫・夏両軍、昨日午後4時に接触
- 王雅之、梅家弄へ赴き督戦
- 李宝章、1個大隊を率いて上海へ
1926年10月18日付の時報は、夏超が孫伝芳に背いて挙兵した直後の上海西南郊の戦況を伝えた。ここでは、そのうち互いに関連する三つの記事を取り上げた。時報は交通界の情報として、孫軍と夏軍が17日午後4時に接触し、新龍華の北西で銃声が夕方までやまなかったと報じた。紙面は、孫軍の前線が梅家弄と莘荘の間にあり、駅で六、七十両の車両が兵の輸送に備えていたことも伝えた。別の報告は、同じ夜に七宝方面でも両軍が接触したと伝えた。続く記事は、龍華の公署で丁文江らが午前4時に軍事会議を開き、王雅之が二度梅家弄へ赴いて督戦したと報じた。紙面はさらに、杭州で列車が兵の積み込みを待っていたこと、孟昭月と李宝章の部隊が南京、鎮江、呉淞から到着したことを伝えた。時報はこの時点で、勝敗はまだわからないと書いた。
この読み取りは、1926年10月18日付の時報のうち三つの記事だけを扱う。OCRの文字列は大きく乱れていたため、抜粋は紙面の画像と照合して確認した。[?]は判読できない文字を示し、いくつかの記事は読み取れる範囲の端で文の途中で切れている。報告一の第三大隊に続く中隊の番号は判別が難しく、誤読を含む可能性がある。題字欄の号数は確実に読み取れず、広告料金表と懸賞番号表は読み取りの対象に入れていない。
翻訳
孫・夏両軍、昨日午後4時に接触
◉ 孫・夏両軍、昨日午後[?]
(報告一)交通界の情報によれば、昨日(十七日)午後4時、孫・夏両軍が接触した。新龍華の北西方面で銃声が絶え間なく聞こえ、午後6時になってもやまなかった。孫軍の前線は梅家弄と莘荘の間にある。前線の部隊は第十三連隊第二大隊の全部と、第三大隊の第九、第十、第十二、第三中隊からなり、第二大隊の郝大隊長が率いている。聞くところでは、大隊長劉国才が率いる第十三連隊第一大隊の部隊が、第七十六旅団第二大隊機関銃中隊の一個小隊および第十二中隊の砲兵とともに、いずれも新龍華に集結して命令を待っている。駅には車両六、七十両が停まり、前線へ向かう準備をしている。また聞くところでは、夏軍の前線は松江と新橋の間まで進出した。双方は交戦したが、勝敗はまだわからない。
(報告二)昨夜、七宝方面で孫・夏両軍がすでに接触した。共同租界の警察署は昨夜9時45分、西洋人の刑事を自動車で派遣し、滬西の虹…を経由して
王雅之、梅家弄へ赴き督戦
◎ 杭州では列車一編成を用意し、兵二千五[?]の積み込みを待って[?]日に出発する。
◉ 王雅之、梅家弄へ赴き督[?]
◎ 孫軍第八師団第十五旅団長の宋梅村は、昨朝(十七日)4時、老龍華の淞滬[?]辦公署に到着し、総辦の丁文江、連隊長の王雅之および各将校と重要な軍事会議を開いた。会議の後、王連隊長は午前9時に専用列車で梅家弄へ向かい、前線各部隊の防衛地を偵[?]した。王連隊長は十二時ごろ龍華の督辦公署に戻り、午後3時半に再び梅家弄へ赴いて前線の部隊を視察し、みずから督戦した。
◉ 孟昭月の部隊、新龍華に到着
◎ 南京の孟昭月の第八師団第十五[?]
李宝章、1個大隊を率いて上海へ
◉ 李宝章、1個大隊を率いて来[?]
◎ 丁文江は昨夜9時ごろ北駅へ赴き、第七十六混成旅団長の李宝章を出迎えた。丁文江は同夜10時45分、専用列車を借りて乗り込み[?]
◎ 鎮江に駐屯する第七十六混成旅団第[?]二連隊第一大隊は、昨日、旅団長李宝章に率いられ[?]列車は午後3時に出発し、10時に上海に着いた。
◉ 呉淞の部隊も続いて上海へ移動
◎ 呉淞に駐屯する第七十六混成旅団第[?]一連隊第三大隊第十二中隊は、一昨日(十六日)[?]海。同大隊の第十三中隊も昨日(十[?])上海に着き、現在は北駅向かいの某[?]に一時駐屯している。
解説
夏超が孫伝芳から離反した理由
時報が報じた17日の衝突は、前日に宣言された反乱の最初の戦闘である。孫伝芳の下で浙江省長を務めていた夏超は、10月16日、地元の指揮官や文官の支持を得て浙江の独立を公に宣言した。浙江の住民は、省外出身の孫伝芳による支配に不満を強めていた。夏超が離反したのは、孫伝芳の軍が江西で国民革命軍と激しく戦っていた時期である。浙江出身の蒋介石は夏超を説得し、国民党の側につかせた。夏超は、国民革命軍が武昌で呉佩孚を破れば離反すると約束しており、国民革命軍は10月10日に武昌を落とした。時報の記事は両軍を孫軍と夏軍と呼んでおり、夏超の挙兵の背後にいた国民党の名前はこの記事に出てこない。
淞滬の公署と丁文江
時報が老龍華で開かれたと伝える軍事会議には、旅団長と連隊長に加えて、総辦の丁文江が出席していた。丁文江の本業は地質学者であり、随筆家でもあった。丁文江は1926年に淞滬商埠督辦公署の総辦を務めており、この上海と呉淞の行政機関の督辦には孫伝芳自身が就いていた。丁文江はそれ以前に、江蘇省政府を代表して上海で外国代表と交渉した経歴をもつ。時報の記事は、この文官が上海防衛の中心にいたことを示している。丁文江は午前4時に宋梅村や王雅之と会議を開き、夜遅くには北駅で第七十六混成旅団の李宝章を出迎えた。
孫伝芳の援軍の出どころ
孫伝芳は南京に本拠を置き、江蘇、浙江、福建、安徽、江西の5省を支配していた。1926年10月、孫伝芳は兵力の多くを江西の戦線に送っていた。孫伝芳は上海の防衛に回せる兵が少なく、杭州から上海へ通じる鉄道の線路を取り外すよう命じた。時報の記事は、孫伝芳が支配地域の北と東から鉄道で兵を集めた様子を伝えている。孟昭月の第八師団の部隊は南京から新龍華に着き、李宝章の第七十六混成旅団の1個大隊は午後3時に鎮江を出て10時に上海に着いた。同じ旅団の中隊は呉淞からも上海へ移ってきた。紙面が駅で前線行きを待っていたと伝える六、七十両の車両も、この兵員輸送に使われていた。
上海への進撃の結末
時報は10月18日朝の時点で、勝敗はまだわからないと書いていた。夏超は2,500人の兵で上海を攻撃した。この数は、紙面が杭州で列車の積み込みを待つと伝えた兵数のうち、読み取れる部分と一致する。夏超の部隊は17日夜までに上海から約5キロの地点に迫ったが、孫伝芳が援軍を得たため進撃を止められた。その援軍には、この紙面が到着を伝える部隊が含まれていたと考えられる。孫伝芳の軍はその後、10月21日に嘉興を、23日に杭州を占領し、夏超の敗北が決まった。新龍華、梅家弄、七宝での戦闘は、浙江の反乱軍が上海に最も近づいた地点での戦いだった。
原文
孫夏兩軍昨日下午四時接觸
◉ 孫夏兩軍昨日下午 [?] (報告一) 據交通界消息、 昨 (十七) 日下午四時、 孫夏兩軍接觸、 在新龍華西北角聞得槍聲不絕、 至下午六時未息、 孫軍前線在梅家弄莘莊間、 係十三團第二營全營及第三營九、 十、 十二、 三連、 由第二營郝營長率領、 聞第十三團第一營軍隊、 由該營長劉國才率領、 並七十六旅第二營機關槍連一排、 及第十二連砲兵、 均在新龍華集中候命、 車站停靠車輛六七十輛、 預備開往前線、 又聞夏軍前線開至松江與新橋間、 雙方接戰、 勝負未詳、 (報告二) 昨晚七寶方面孫夏兩軍已接觸、 公共租界捕房、 已於昨晚九時三刻、 派西探乘坐汽車、 取道滬西虹
王雅之赴梅家弄督戰
◎ 杭州備車一列、 待裝兵二千五 [?] 日開出、 ◉ 王雅之赴梅家弄督 [?] ◎ 孫軍第八師第十五旅旅長宋梅村、 於昨晨 (十七) 四時、 至老龍華淞滬 [?] 辦公署、 與總辦丁文江、 團長王雅之及各軍官開軍事重要會議後、 王團長於上午九時、 專車至梅家弄、 偵 [?] 前線各軍防地、 十二時許返龍華督辦公署、 下午三時半又赴梅家弄、 視察前線軍隊、 親自督戰、 ◉ 孟昭月部抵新龍華 ◎ 南京孟昭月之第八師第十五 [?]
李寶章率一營來滬
◉ 李寶章率一營來 [?] ◎ 丁文江於昨晚九時許、 到北車站迎候七十六混成旅旅長李寶章、 當晚十時四十五分即借乘專車 [?] ◎ 駐紮鎮江之七十六混成旅第 [?] 二團第一營、 昨日由旅長李寶章率 [?] 車于下午三時開出、 十時抵滬、 ◉ 吳淞兵續調來滬 ◎ 駐紮吳淞之七十六混成旅第 [?] 一團三營第十二連、 於前 (十六) [?] 海、 該營之第十三連、 亦於昨 (十 [?] 抵滬、 現在暫駐在北站對面某 [?]