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· ロンドン(カナダ・オンタリオ州) · 英語

London Evening Advertiser

1926年10月18日付のロンドン・イブニング・アドバタイザー紙を一部だけ読んだ。紙面はまずカナディアン・プレス電を載せた。記事によると、ハワード・ファーガソン州首相は州議会選挙の発表を前に閣僚と協議していた。公約は地域選択制による酒類販売の政府管理になると見られ、投票日は12月1日か8日とされた。記事は、内閣が酒類政策で一枚岩ではないといううわさも伝えた。地元の短い記事は、パークヒルに60年住んだ家畜商ヘンリー・エリス氏が拳銃を手に事務所で死亡しているのが見つかったと報じた。医師は自殺と判断し、検視審問は開かれないとした。市財政の記事は、自治体が返還を求めていたためロンドン市が1921年から1924年分の州幹線道路負担金の支払いを保留してきた事情を説明した。記事によると、市は201,803ドルの請求を債券で賄う計画だった。市収入役は、早く払えば費用を節約でき、ガソリン税の配分を求める論拠も強まると主張した。

この版は、一部しか判読できない紙面から選んだ三つの記事を訳している。ファーガソンの記事は判読できない語から文の途中で始まり、途中で切れている。パークヒルの記事と債券の記事も途中で切れている。帝国会議、ホテル掘削工事、大学の登録者数、ブルーノーズ号のレースなどの記事は紙面の端で切れており、読んでいない。1921年から1924年の州幹線道路負担金、ガソリン税をめぐる争い、フェデラル・スクエアのホテル計画については、手元の資料に裏づけがないため、解説では扱っていない。

翻訳

ファーガソン首相、今夕に選挙日を発表へ

[?]は今夜まで延期される。首相は今朝、執務室にいなかった。首相は閣僚たちと協議しており、有権者に信を問うための最終的な詳細を詰めている。政府が有権者に支持を求める禁酒問題の政策は、地域選択制による酒類販売の政府管理になるだろうと一般に考えられている。確認できる限りでは選挙の日取りはまだ決まっていないが、内閣に近い筋では、12月1日と12月8日のどちらかになると言われている。州議会議事堂のうわさ話でも政府支持者の間でも、酒類販売の政府管理という政策について内閣が一枚岩ではないことは率直に認められており、そのため

パークヒルの男性、遺体で発見

今朝見つかった死亡事案について、検視審問は開かれない。過去60年間パークヒルに住んでいたヘンリー・エリス氏が今朝、拳銃を手にしたまま自分の事務所で死亡しているのが見つかった。セント・トーマスのO・L・バーダン医師が状況を調べ、明らかな自殺であり、検視審問は必要ないと結論づけた。エリス氏は……の家畜商で

債券発行でロンドン市の幹線道路費を賄う

1921年、1922年、1923年、1924年の分は、オンタリオ州の自治体の間でそうした支払いの一部返還を求める運動が起きていたため、ロンドン市は支払っていなかった。しかし州内のほぼすべての市はすでに州政府への支払いを済ませており、残るはロンドン市が勘定を清算することだけである。この債務を賄う10年債を発行すれば、年間の支払額は26,134ドルとなる。20年に分ければ、債券の支払額は年16,193ドルになる。どの期間の債券を発行するかは市議会の判断に委ねられる。ジェームズ・S・ベル市収入役は短期の債券を推奨する方針である。請求額を速やかに支払えば63,726ドルの節約になると同氏は指摘する。州政府への201,803ドルの支払いとあわせて、市は州政府が徴収するガソリン税の一部返還を求める有力な論拠を手にすることになるとベル氏は言明する。市が……の費用を払うというのであれば、……のはごく公平なことだ

解説

選挙はいつ行われ、何が争点だったのか

カナディアン・プレス電が伝えた内閣筋の見通しは当たっていた。ファーガソン政権は、記事が挙げた二つの候補日のうち早いほうの1926年12月1日に投票を行い、第17期州議会の議員112人を選んだ。この選挙は後に「禁酒選挙」と呼ばれた。主な争点が、オンタリオ禁酒法を廃止して禁酒制度を政府管理の酒類販売に置き換えるという政府案だったからである。記事の「地域選択制による」政府管理という表現は、10月18日の時点で記者たちが予想していた内容であり、確定した政策の文言ではない。保守党は過半数を保ち、1923年より3議席少ない72議席を得た。記事が描いた「有権者に信を問うための最終的な詳細」を詰める首相の姿は、のちに勝利する選挙戦の始まりを記録したものである。

酒類管理をめぐり内閣で「一枚岩ではなかった」のは誰か

記事は内閣の分裂をうわさとして伝えただけだが、最も重要な反対者の名前はわかっている。キングストンの弁護士ウィリアム・フォルガー・ニックル司法長官は、連邦政界ではカナダ人への爵位授与をやめさせたニックル決議で知られる人物である。ニックルは、政府がそれ以前に低アルコールビールの販売を認めた決定には同意していた。しかし、それ以上の緩和には応じなかった。ファーガソンがオンタリオ禁酒法を廃止して酒類販売を認める計画を発表すると、ニックルは1926年10月に閣僚を辞任した。ニックルはその後キングストンで禁酒を掲げる無所属候補として立ち、保守党候補に敗れた。内閣の対立がもたらす影響を示唆した記事の一文は途中で切れているが、記事が指し示した分裂はまもなく表に出た。

1924年の住民投票の後、ファーガソンはなぜ酒類問題を再び持ち出したのか

わずか2年前の1924年の住民投票で、オンタリオの有権者は51.5%対48.5%の僅差でオンタリオ禁酒法の維持を選んでいた。禁酒派は、政府がこれほど早くこの問題を蒸し返したことに強く反発した。しかし、この投票結果はファーガソンにとって重要な政治的な分かれ目を示していた。保守党の支持基盤である大都市は圧倒的に飲酒容認に投票し、野党を支える農村部は主に禁酒に投票した。1925年と1926年に成立した選挙区の再編で、都市の比重はさらに増した。ロンドン、オタワ、ハミルトン、ウィンザーはそれぞれ1議席ずつ増え、トロントの議席は10から15に増えた。ロンドンの夕刊紙の読者にとって、酒類政策は自分たちの市が選挙で重みを増していく流れと結びついていたのである。

「酒類販売の政府管理」は1927年に何になったのか

再選されたファーガソン政権は酒類管理法を成立させた。この法律は、禁酒運動が求める全面禁止と規制のない酒類販売との間の妥協として示された。この法律によってオンタリオ酒類管理委員会が設けられた。初代委員長はデビッド・ブライス・ハンナで、最初の18店舗は1927年6月1日に開店した。1926年10月に記事が「一般に考えられている」と伝えた政策は、こうして州政府が所有・運営する店舗での酒類販売につながった。ここで用いた資料は、記事が触れた地域選択制の考え方が最終的な法律にどこまで残ったかを示していない。その点は、記事が伝えた当時の予想として扱うのが妥当である。

原文

FERGUSON TO NAME DATE THIS EVENING

[?] will be delayed till tonight. The premier was not in his office this morning. He is in conference with members of his cabinet, arranging final details for his appeal to the people. The policy of the Government on the temperance question which it will ask the electors to indorse, it is generally believed will be government control of the sale of liquor by local option. As far as can be ascertained the date of the election has not yet been set, but in circles close to the cabinet the choice is said to be between Dec. 1 and Dec. 8. Gossip at the Parliament Buildings and among supporters of the Government frankly agree that the cabinet is not a unit on the policy of government control of sale of liquors and, because

FIND DEAD BODY OF PARKHILL MAN

No Inquest Will Be Held Into Fatality Discovered This Morning. Henry Ellis, a resident of Parkhill for the last 60 years, was found dead this morning in his office with a revolver in his hand. Dr. O. L. Berdan of St. Thomas investigated the circumstances and concluded it was a clear case of suicide, and that no inquest was necessary. Mr. Ellis was a cattle dealer of the

DEBENTURES WILL MEET LONDON'S HIGHWAY COST

during 1921, 1922, 1923, 1924 was not paid by London because agitation has been on foot by Ontario municipalities to seek a return of portions of such payments. Practically every city in the province has paid up to the Government, however, and it only remains for London to settle its account. A ten-year debenture issue covering the debt will mean an annual payment of $ 26, 134. Spread over a period of 20 years, the debenture payments would be $ 16, 193 per year. It will be left to the council to decide what term debentures will be issued. City Treasurer James S. Bell will recommend the small term debentures. Prompt payment of the bill will mean a saving of $ 63, 726, he points out. Along with the $ 201, 803 payment to the Government, the city will carry a good argument for the return of a share of the gasoline tax collected by the Government, Mr. Bell declares. It is only fair that if the city is to pay for

紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料

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