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· 上海(中国) · 中国語

時報

この一部の読み取りでは、1926年10月25日の時報に載った広告と告知の三件を取り上げた。商務印書館は四部叢刊の広告で、影印の底本に使った本の特色を一点ずつ説明し、宋刊本であることや、他の刻本より完全であること、四庫全書が使った本よりすぐれていることを強調した。ある電器店は、南京路に上海店を開いて当日に開業し、来店客全員に記念品を贈ると告げた。慈善、東方、利済、江南、中南の五つの券局は、時局と各港の同業者からの電報による要請を理由に、甲券と乙券の抽選を一か月延期すると発表した。五券局は、平和が戻れば抽選を繰り上げると約束した。

この版は紙面の一部を読み取ったものである。翻訳は、四部叢刊の広告欄、上海店開業の広告、債券連合会の告知の三件を扱う。読み取った四部叢刊の欄には、各注記が指す書名が含まれていない。電器店の広告の読み取り部分には、店の名前が含まれていない。左上の大きな装飾文字、細字の広告料金表、会審公廨の告知の本文、画像の端にある数本の細い欄は、ぼやけているか切れているため、文字に起こしていない。

翻訳

四部叢刊(四部分類の叢書)

温公の自注は非常に多く、他の刻本は多くこれを削っているが、本書はすべて残している。宋刊本。邵長蘅の補施注蘇詩は、これを底本とした。宋刊本。蘇文はこれまで宋刻本が見られなかったが、いま詩集とあわせてそろい、双美と言うべきである。宋刊本。これは宋の孝宗の時の原刻で、著録家は誰もこれを見ていない。宋刊本。胡氏の箋注は世に伝本がなく、阮文達がかつて朝廷に献上したものである。宋刊本。四庫は写本に拠ったが、これは宋刊の原本であり、しかも附録がある。宋刊本。黄蕘圃の跋は、世にこの一本しかないと称している。宋刊本。四庫は明代に宋本を覆刻した本に拠ったが、これは宋刻であり、四庫本にまさる。宋刊本。これは最も古い本であり、後の諸刻本はみなここから出ている。

上海店本日開業の広告

弊社は電器事業を営んで十余年、価格は公正、品物は精選で、長らくお客様からご称賛をいただいてまいりました。お客様の便宜を図るため、南京路に上海店を開設し、本日開業いたします。あわせて記念品を用意しており、ご来店の方にはどなたにもお礼を差し上げます。

債券連合会の緊急告知

このたび時局の関係により、各港の同業者から電報で要請があったため、慈善、東方、利済、江南、中南の五券局が協議し、五券局のすべての甲券と乙券について、旧暦十七日からひとまず一か月抽選を延期することとした。時局が平和になり次第、ただちに抽選を繰り上げて行い、その際は改めて新聞紙上で発表する。

解説

張元済の影印叢書と1926年の重印

この広告は、商務印書館の四部叢刊を宣伝したものである。ウィキソースの目録は、四部叢刊を張元済が編んだ叢書とし、商務印書館が中国古代の著作を影印して出版したと記している。仝冠軍が2025年に発表した張元済論によれば、この叢刊は経史の典籍や諸子、学者の文集を四部に分けて収め、1922年に刊行を終え、1926年に重印された。1926年10月の時報に出たこの広告は、重印の年の広告にあたる。読み取った欄は書名を欠いているが、ウィキソースの初編目録には溫國文正司馬公文集と、蘇軾の集註分類東坡先生詩、經進東坡文集事略が並んでいる。広告の温公の自注、蘇詩、蘇文に関する注記は、これらの書目に対応するとみられる。広告は各本を宋刊本と明記し、四庫全書が使った本との比較や蔵書家の跋を引いて価値を訴えた。これらの評価は広告自身の主張であり、紙面はその主張を裏づける証拠を示していない。

商務印書館が善本を集めた方法

広告が宋刊の原本を何度も強調できたのは、商務印書館が費用をかけて善本を集め、撮影したからである。仝冠軍の論考によれば、張元済は商務印書館に入って間もなく涵芬楼を設け、多数の古籍善本や地方志を保存した。張元済は孫毓修を南京の江南図書館に派遣し、同館所蔵の古籍を撮影させた。同館の本は上海へ貸し出せなかったため、撮影の作業は南京で行うほかなかった。論考に引かれた茅盾の回想によれば、専任の者が毎日二、三百枚の底片を南京から届け、茅盾たちはそれをその日のうちに修整し校正した。論考は、張元済と商務印書館が巨額の費用を惜しまず、利益を第一の目標にしなかったとも述べている。広告の注記が、写本か、明代の覆刻本か、宋刊の原本かという底本の出所を一点ずつ書いた理由は、この収集の経緯から理解できる。

孫伝芳の五省支配と江西の戦い

1926年秋の上海は、直隷派の軍閥孫伝芳の支配地域にあった。孫伝芳は1925年秋に張宗昌の軍を上海の中国人地区から追い出した後、江蘇、浙江、福建、安徽、江西の全域に支配を広げた。孫伝芳は1925年11月25日、江蘇の軍事長官として南京に本拠を置いた。国民党の北伐軍は初め呉佩孚との戦いに力を集めたが、蒋介石は1926年9月4日に江西の省境を越えて孫伝芳の地域へ攻め込んだ。孫伝芳は9月21日に援軍を率いて南京から到着し、国民革命軍を後退させた。債券連合会が告知で時局とだけ書いたとき、読者はこの大きな戦争の当事者である孫伝芳の支配下で暮らしていたのである。

夏超の浙江独立と抽選延期の時期

五券局の抽選延期は、上海の近くで起きた戦闘の直後に決まった。浙江の民政長官で孫伝芳の部下だった夏超は広州の国民政府側に寝返り、1926年10月16日に浙江の独立を宣言した。夏超は孫伝芳の支配する上海を攻めたが、すぐに浙江へ退いた。孫伝芳の軍は浙江に進み、10月23日までに反乱を鎮圧した。孫伝芳の軍は10月末には江西と福建で再び退却していた。債券連合会の告知はこれらの出来事を名指ししておらず、時局と各港の同業者からの電報を理由に挙げただけである。この書き方から、五券局は上海の外にも甲券と乙券の販売網を持っていたと考えられる。五券局は抽選の繰り上げを平和の回復次第としており、実際に抽選を行う日をまだ示せなかった。

原文

四部叢刊

溫公自注甚多、 他刻多刪削、 此本均存、 宋刊本邵長蘅補施注蘇詩、 卽以此爲藍本、 宋刊本蘇文未見宋刻、 今與詩集並存、 可云雙美、 宋刊本此爲宋孝宗時元刻、 著錄家均未之見、 宋刊本胡氏箋注、 世無傳本、 阮文達曾以進呈、 宋刊本四庫據抄本、 此爲宋刊原本、 且有附錄、 宋刊本黃蕘圃跋、 稱爲世間祇此一本、 宋刊本四庫據明覆宋本、 此爲宋刻、 出四庫本上、 宋刊本此爲最古之本、 後來諸刻、 均從此出、

滬行今日開幕廣告

電器事業已十餘載定價平允選貨精良久爲顧客稱營業利便顧客起見開設滬行於南京路定於今日開幕幷具禮品凡上皆有奉酬也

債券聯合會緊要啟事

茲爲時局關係由各埠同業來電請求經慈善東方利濟江南中南五券局公議所有五券局甲乙券自陰歷十七日起暫擬展期一個月開獎一俟時局和平當即提早開獎屆期再行登報宣布

紙面の出典:Source: Internet Archive / eastasia-periodicals

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