Journal de Genève
- メキシコ対教会
- 運動は広がる
- 雑感
1926年10月24日付のジュルナル・ド・ジュネーヴ紙1面は、W. M.の署名でメキシコとカトリック教会の対立を論じる社説を載せた。社説は、事情に迫られたカジェス大統領が攻勢に出たと論じ、敵対の始まりを土地法公布直後の2月に置いた。社説はまた、外国人の聖職就任を禁じた7月の宗教法を、精神では非難しつつ必要性も一部認めた。社説は、7月31日以来続く聖務停止とカトリック教徒による経済ボイコットにも触れた。J. M.の署名記事は、ロベルト・グリムの国民議会議長選出に反対する民衆運動がスイス各地へ広がっていると伝えた。Cd.の署名コラムは、『ステューディオ』誌がスイスの観光向け絵画広告を称えたことに謝意を示した。
翻訳
メキシコ対教会
以上のような事情が、いわばカジェス大統領を攻勢に出ざるをえなくさせたのである。敵対が始まったのは2月、土地法が公布された直後のことだった。この日付が議論全体を照らし出す。7月3日、大統領はある法律を公布した。その精神は非難するほかないが、その必要性はある程度認めなければならない。この法律は外国人が聖職に就くことを禁じ、さらに宗教の聖職者が司祭職を行う自由を著しく制限している。同法は7月31日に施行された。その日以来、聖務停止が国を覆い、カトリック教徒はボイコットによって国家を経済的に破綻させようとしている。
運動は広がる
グリム氏の国民議会議長選出に反対する民衆運動は、スイスのあらゆる層、あらゆる地域へ急速に広がっている。新聞は次々にこの問題を取り上げている。
雑感
本号の巻頭を飾る興味深い論考で、『ステューディオ』誌はスイスの取り組みに特別な賛辞を贈り、その大きな価値を認めている。私たちはこれに感謝する。同誌は「スイスでは、広告芸術への応用が急速な進歩を遂げた」と書き、さらに「スイスは、観光客に提供される冬と夏のさまざまな魅力を思い起こさせるための絵画広告を用いることで、大いに得るところがあった」と付け加えている。
解説
1926年のカジェス法とその後
社説が精神では非難しつつ必要性を一部認めた法律は、カジェス法と呼ばれる措置である。この法律の正式名は刑法改正法であり、カジェス大統領は1926年6月にこれに署名した。社説自体は公布日を7月3日、施行日を7月31日としている。カジェス法は、1917年憲法第130条に違反した司祭や個人に対する具体的な罰則を定めた。カジェス大統領は法を執行するために教会財産を没収し、外国人司祭を追放し、修道院や宗教学校を閉鎖した。この措置は、法律が外国人の聖職就任を禁じたという社説の記述と一致する。1926年10月に筆をとったW. M.は、カトリック教徒のボイコットを主な抵抗として描いた。その後、中部メキシコのカトリック農民が連邦政府に対して蜂起し、この蜂起はクリステロ戦争と呼ばれるようになった。カジェス法は、ラサロ・カルデナス大統領のもとで1938年に廃止されるまで効力を保った。
土地法と憲法第27条から見た社説の年代づけ
社説の中心的な論拠は一つの日付にある。筆者は、敵対が1926年2月の土地法公布の直後に始まり、この日付が議論全体を照らし出すと書いた。筆者はこうして、宗教をめぐる対立を、財産とりわけ外国人の財産をめぐるカジェス政権の政策から生じたものとして描いた。その政策の根拠は1917年憲法第27条であり、同条はメキシコ政府に地下資源すべてに対する永続的かつ完全な権利を与えた。カジェス大統領は1925年に、外国の石油会社に権利証書の登録を義務づけ、その利権の期間を50年に限る政令を出した。第27条をめぐって外国の石油権益と対立が生じたことは記録で確かめられる。土地法が教会との衝突を引き起こしたという因果関係は、社説の筆者自身の解釈である。
ロベルト・グリムの議長選出に反対が起きた理由
ロベルト・グリムは社会主義系の新聞ベルナー・タークヴァハトの編集者で国民議会の議員でもあり、1918年11月のスイス・ゼネストを呼びかけたオルテン行動委員会を率いた。1919年4月、軍事法廷はグリムに禁錮6か月の判決を言い渡した。判決の理由は、ストライキ参加者への発砲命令を拒むよう兵士に呼びかけたことである。この経歴を踏まえると、1926年にグリムが国民議会議長に選ばれる見通しが生じたとき、J. M.の伝える反対運動があらゆる層と地域へ広がった理由がわかる。ジュルナル・ド・ジュネーヴ紙はフランス語圏スイスの新聞である。フランス語話者は大戦中に連合国寄りの姿勢を示し、その一部はグリムがドイツに共感していると疑っていた。グリムが国民議会議長に就いたのは、この運動から20年後の1946年である。
『ステューディオ』誌の賛辞の背後にあったスイスの観光ポスター
Cd.が引用した『ステューディオ』誌の賛辞は、1908年以来積み重ねられたスイスのポスターの伝統に向けられていた。1908年、ベルン出身の画家エミール・カルディノーはツェルマットのポスターを手がけた。カルディノーはその後も旅行ポスターを制作し、1921年にはスイス観光局のためにスイスでの夏の休暇を宣伝するポスターを描いた。このポスターは、コラムが触れた季節ごとの観光の魅力を伝える広告にあたる。カルディノーは、アウグスト・ジャコメッティ、オットー・モラッハ、カール・モース、ブルクハルト・マンゴルト、ヴァルター・コッホ、オットー・バウムベルガーら同時代の作家とともに、スイスのポスター芸術が活発に育つ下地を整えた。カルディノーの作品は、スイスのグラフィックデザインに国際的な注目を集めた。コラムが書かれた1920年代半ばには、新しい世代のポスター作家がカルディノーに代わって主導的な役割を担いつつあった。
原文
Le Mexique contre l'Église
Telles sont les circonstances qui ont en quelque sorte contraint le président Calles à prendre l'offensive. C'est en février, au lendemain de la promulgation des lois foncières, que les hostilités s'engagèrent. Cette date éclaire tout le débat. Le 3 juillet, le président promulgua une loi dont on ne peut que blâmer l'esprit, mais dont on doit reconnaître, dans une certaine mesure, la nécessité. Cette loi, qui interdit les fonctions ecclésiastiques aux étrangers, limite en outre sensiblement la liberté des ministres des cultes dans l'exercice de leur sacerdoce. Elle est entrée en vigueur le 31 juillet. C'est depuis ce jour-là que l'interdit pèse sur le pays, et que les catholiques essaient, par le boycott, de ruiner économiquement l'Etat.
Le mouvement s'étend
Le mouvement populaire contre l'élection de M. Grimm à la présidence du Conseil national s'étend rapidement dans tous les milieux et dans toutes les régions de la Suisse. Les uns après les autres les journaux s'en occupent.
Menus propos
Dans l'intéressante étude qui ouvre ce fascicule, le Studio rend un hommage particulier, dont nous le remercions, à l'effort suisse, dont il reconnaît la grande valeur. «En Suisse, écrit-il, les applications à l'art de la publicité ont marqué une rapide avance», et il ajoute que «la Suisse a beaucoup gagné par l'usage de la publicité picturale destinée à rappeler les diverses attractions d'hiver et d'été offertes aux touristes».