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· ワシントンD.C.(アメリカ) · 英語

Evening Star

1926年10月24日の日曜版イブニング・スターは、海外の大災害とワシントンの二つの話題を一面に並べた。AP通信はレニナカン発で、金曜夜の地震で300人を超える人が死亡するか生き埋めになり、町の半分が壊滅し、負傷者は数千人に上るとみられると伝えた。同電は、先に小さな揺れが来て住民が通りへ逃げ出していたため、最悪の揺れの被害を免れたとも報じた。地元の話題として、同紙は殺人の手がかりが尽きたため、検視陪審がアーサー・B・スクリブナー刑事巡査部長の自殺の可能性を検討しなければならないと報じた。軽い話題として、同紙は動物園のキリンの名前がハイボーイに決まり、ミルドレッド・スミスさんら入賞者に金貨の賞品が贈られると伝えた。

翻訳

アルメニア地震の犠牲、死者・生き埋め300人

アルメニア・レニナカン発、10月23日――金曜日の夜、アルメニア共和国全土を揺るがした恐ろしい地震により、旧アレクサンドロポリのレニナカンとその周辺で300人を超える人々が死亡するか生き埋めになった。町の半分が壊滅し、被害を免れた建物はほとんどなかった。負傷者は数千人に上るとみられるが、大半の負傷は比較的軽いものだった。聖書で名高いアララト山が噴火しているという誤った報告が流れ、住民の混乱と恐怖はいっそう強まった。主要な揺れの前に小さな揺れが続き、住民を通りへ追い出していなければ、死者の数は間違いなくはるかに多くなっていただろう。こうして住民は、真夜中まで断続的に続いた後の揺れの最悪の影響を免れた。

殺人の手がかり尽き、スクリブナー自殺説が浮上

刑事巡査部長アーサー・B・スクリブナーが10月13日水曜日の未明に死亡したのは、殺人者の手によるものか、それとも自らの手によるものか。この問題は、近く開かれる死因審問で検視陪審が検討することになる。スクリブナーを知り、敬ってきた人々にとって、自殺説は初めのうち奇怪で受け入れがたいものに映る。それでも、検視陪審を務める6人の男性がこの説を検討しなければならないという事実に変わりはない。陪審員たちは、人が非業の死を遂げるのは他人の手によるか、事故によるか、自らの手によるかのいずれかしかないという、揺るがぬ事実に向き合わなければならない。死因を確定することが陪審の務めである。

キリンの名は「ハイボーイ」に、ミルドレッド・スミスさんが受賞

入賞者には、1等に金貨で20ドル、2等に金貨で10ドル、3等に金貨で5ドルが贈られる。佳作に選ばれた10人には、それぞれ1ドル紙幣が贈られる。優勝者はさらに、ハイボーイという名を記して動物園のキリンの住まいを示す銘板に、自分の名前を入れてもらえる。

解説

1926年10月22日のレニナカン地震の規模

AP電が伝えた地震は、現在では1926年カルス地震、別名レニナカン地震として記録されている。この地震は10月22日金曜日の現地時間21時59分に、ソビエト・アルメニアとトルコ東部の国境地帯で発生した。地震の表面波マグニチュードは6.0で、最大震度はメルカリ震度階級のIXに達し、死傷者は360人だった。ソ連の地質学者ピョートル・レベデフは1927年に発表した調査で、ソビエト・アルメニアの死者を最大300人、重傷者をほぼ同数と見積もった。レベデフはまた、揺れがエレバン、ティフリス、バトゥミ、さらにソチでも感じられ、余震が数日間続いたと記録した。地震の翌日に送られたスター紙の300人超という数字は、のちのソ連側の集計に近い。同電が伝えた数千人の負傷者には軽傷者が多く含まれており、重傷者だけを数えたレベデフの数字とは対象が異なる。同電は揺れが真夜中まで続いたと書いており、これは最初の一夜の観察である。のちの科学調査は、余震が数日間続いたことを記録している。

1926年のレニナカンと近東救済会の孤児院

記事が旧アレクサンドロポリと紹介したレニナカンには、当時世界最大の孤児院があった。この孤児院は、アルメニア人虐殺で膨大な数の子どもが孤児になったことを受けて設けられた。アメリカの団体である近東救済会は、旧ロシア軍兵舎と便利な鉄道の便があることを理由に、アルメニア人孤児をアレクサンドロポリに集めた。1926年には事業の縮小が進んでおり、教育人民委員部の集計では、1926年1月1日時点で残っていた孤児は8,234人だった。近東救済会は軍の緊急の求めに応じ、地震の1週間前にあたる1926年10月15日までにセベルスキー兵舎を軍に返還していた。AP電の抜粋は町の半分の壊滅を伝えているが、孤児院や孤児については書いていない。

スクリブナー刑事巡査部長の遺体発見の状況

ワシントン首都警察のアーサー・B・スクリブナー刑事巡査部長は、1926年10月13日の夜に結婚する予定だった。その日の未明、スクリブナーはジョージタウンのNストリートにある路地の入り口で遺体となって見つかった。遺体は心臓を銃弾で撃ち抜かれ、引き裂かれた灰色のネクタイを手にしていた。警察は当初この事件を殺人として捜査し、ネクタイは犯人から引きちぎった手がかりのように見えた。ここに収めた記事は、スター紙が10月24日の一面で初めて自殺の可能性を取り上げた記事である。記事は、人が非業の死を遂げる道はすべて陪審が検討しなければならないと丁寧に論じており、慕われた刑事の同僚や知人にとって自殺説がいかに受け入れがたかったかを示している。

検視陪審と3年後の大陪審の結論

記事が予告した死因審問は、J・ラムジー・ネビット検視官のもとで1926年11月16日と17日にディストリクト・ビルの会議室で開かれた。陪審は11月17日午後1時7分に評議に入り、10分後に殺人との判断を示して戻った。検視陪審はこうして、スター紙が取り上げた自殺説を採らなかった。事件はその後も続いた。レオ・A・ローバー連邦検事は1929年12月2日から18日まで、コロンビア特別区の大陪審にこの事件を付した。この大陪審は、スクリブナーが自ら銃で命を絶ったと判断した。この記事が論じた死について、二つの公的機関は3年を隔てて反対の結論を出したのである。

1926年に国立動物園へ来たキリンのその後

スター紙の告知は、上位3人に金貨で20ドル、10ドル、5ドルを、佳作の10人にそれぞれ1ドル紙幣を贈ると伝えた。優勝者の名前とハイボーイの名は、動物園のキリンの住まいを示す銘板に記されることになっていた。国立動物園はこの年、アフリカから2頭のヌビアキリンを迎えたが、2頭とも1年後に死に、補充されなかった。コンテストの時期から考えると、ハイボーイはこの2頭のうちの1頭だった可能性があり、そうであれば動物園で暮らした期間は約1年にとどまる。ワシントンにキリンが戻ったのは、動物園のマン博士が1937年1月12日に始めた船による収集遠征で、雄2頭と雌2頭のヌビアキリンを連れ帰ってからだった。

原文

300 BURIED ALIVE OR KILLED, TOLL OF QUAKE IN ARMENIA

LENINAKAN, Armenia, October 23. - A terrible earthquake, which shook the whole of the Armenian republic Friday night, killed or buried alive more than 300 persons in and around Leninakan, formerly Alexandropol. Half of the town was destroyed and hardly a building escaped damage. The injured are believed to run into thousands, although in most cases the injuries were comparatively slight. The confusion and terror among the populace were heightened by erroneous reports that Mount Ararat, of biblical renown, was erupting. The death toll undoubtedly would have been far greater had not the principal shocks been preceded by lesser tremors, which drove the residents into the streets. In this way they escaped the worst effect of the later shocks, which contrinued at intervals until midnight.

SCRIVENER SUICIDE THEORY RAISED AS MURDER CLUES FAIL

The question of whether Detective Sergt. Arthur B. Scrivener came to his death early on the morning of Wednesday, October 13, by the hands of a murderer or by his own hand will be considered by a coroner's jury at an inquest into the death, n the near future. Bizarre and repugnant as a suicide theory appears at first to those who knew and honored Scrivener, the fact remains that the six men who sit on the coroner's jury must consider it. They must face the unassailable fact that a man can die violently only by the hand of another, by an accident or by his own hand. It is the duty of a jury to determine the cause of death.

HI-BOY IS NAME FOR THE GIRAFFE, AND MILDRED SMITH WINS PRIZE

The winners w'll be awarded $ 20 in gold for the fir [?] t prize; $ 10 in gold for the second prize, and $ 5 in gold for the third prize. Each of the 10 who won honorable mention will receive a dollar bill. The winner will also have her name put on a plate which will bear the name Hi-Boy and mark the giraffe's home in the Zoo.

紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料

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