Vossische Zeitung
- トワリー会談をめぐる協議
- ザイペル=ディングホーファー
- 新たな管理決定はなし
1926年10月23日付のフォス新聞は、パリとウィーンに関する三つの政治記事を載せた。パリ発の記事は、ドイツのヘッシュ大使がフランス外務省のベルトロ事務総長と、続いてブリアン外相とトワリー政策の諸問題を話し合ったと伝えた。同じ記事は、どちらの訪問も公式の申し入れではなかったと強調し、最初の会談が拘束力のない一般的な意見交換にとどまったとするパリの新聞の見方を正しいと評した。カール・ラームは署名入りの論説で、信用を落としたキリスト教社会党が旧指導者ザイペルに再起を託したと論じた。ラームは同じ論説で、州知事たちの銀行投機が党の支持者である農民を怒らせたと書いた。三つ目の記事は、大使会議が新たな決定を下していないとする『タン』紙の半官的な訂正を報じた。その記事は同時に、警察、軍需物資の売却、ケーニヒスベルクの要塞化などについてドイツの武装解除が未完了だとする声明の内容を伝えた。
翻訳
トワリー会談をめぐる協議
フォン・ヘッシュ氏は昨晩、フランス外務省のベルトロ事務総長と最初の意見交換を行ったが、本日正午ごろにはブリアンの接見を受け、トワリー政策の中身を成す問題の全体について詳しく話し合った。ドイツ大使によるケ・ドルセーへの訪問は、昨日のものも今日のものも、公式の申し入れという性格を帯びてはいなかった。パリの新聞が今日、昨日の会談は一般的な性質の拘束力のない意見交換をほとんど出なかったのではないかとの推測を示しているのは、まったく正しい。
ザイペル=ディングホーファー
深い転落から、キリスト教社会党を旧来の指導者イグナツ・ザイペル博士が再び引き上げるのだという。二年前にザイペルを辞任に追い込んだのは、失敗に終わった不名誉な銀行取引によって党の評判を地に落とした、まさにその州知事たちであった。キリスト教社会党は有権者を都市住民からではなく、主に農民から集めている。ところが今日、田舎へ行けば、ひどく失望させられ欺かれた農民たちの激しい言葉を耳にする。キリスト教社会党の指導者たちが、しかもその中には司祭服をまとう者までいながら、農民の蓄えで投機をし、高利をむさぼり、私腹を肥やすなどとは、農民たちは決して思いもしなかったのである。
新たな管理決定はなし
『タン』紙は半官的な論評の中で、水曜日に開かれた大使会議の決定とされるものについて公表された新聞報道を訂正している。それによると、いかなる決定も下されなかったという。声明は次のように述べている。「会議は、連合国間管理委員会が14日ごとに送ってくるドイツの武装解除に関する最新の報告を審査した。会議は、これらの報告によれば、いくつかの事例において、すでに以前から管理委員会と大使会議が確認していたとおり、武装解除が実施されていないことを確認した。これは特に警察、軍需物資の売却、ケーニヒスベルクの要塞化などに関わるものである。
解説
ヘッシュ大使の訪問の背景にあったトワリーの取引
ドイツは1926年に国際連盟への加盟を認められ、この加盟はロカルノ条約の最も重要な成果となった。同じ年、独仏両国の外相ブリアンとシュトレーゼマンはフランスのトワリー村で会談した。この会談でシュトレーゼマンはフランの安定のために物質的な支援を約束し、ブリアンはザール地方を早期にドイツへ返還し、ラインラントに対する軍事管理と占領を早く終わらせることに同意した。ヘッシュ大使がベルトロ事務総長、続いてブリアンと話し合った問題の全体は、この取引を指している。ヴァイマル共和国の年表によると、トワリーの合意の範囲はまもなくドイツとフランス両政府の異論によって縮小された。研究者はトワリー会談をロカルノ政策の頂点であり、同時にその終点でもあったとしばしば評価している。フォス新聞は大使の訪問が公式の申し入れではなく、最初の会談も拘束力のない一般的な意見交換にとどまったと伝えており、この報道はトワリーの構想がまだ正式な交渉になっていなかった段階を示している。年表はパリでのこの個別の会談を記録しておらず、会談の中身は新聞の報道だけが伝えている。
連合国が警察とケーニヒスベルクを未解決の問題として挙げた理由
大使会議は連合国間管理委員会の報告に基づいてドイツの武装解除を審査した。講和条約は管理委員会に、税関職員や都市と農村の警察、森林監視員などの人数を定める任務と、要塞や堡塁の武装について情報を受け取る任務を与えていた。このため、記事が引用した声明は軍需物資の売却と並んで、警察とケーニヒスベルクの要塞化を名指ししている。違反の認定は実際の結果を伴った。連合国の査察はヴェルサイユ条約の武装解除規定に対する重大な違反を見つけており、連合国がケルン地区からの撤兵を拒んだことが、間接的にロカルノ条約の交渉を生んだ。ブリアンはトワリーで軍事管理の早期終了に同意していたので、新たな決定はないが武装解除は未完了だとする『タン』紙の声明は、ドイツ政府にとって直接の関心事であった。管理委員会はこの記事の約4か月後、1927年2月28日にドイツでの活動を終えた。
ザイペルの1924年の辞任と1926年の復帰
イグナツ・ザイペルはオーストリアのカトリック司祭であり保守派の政治家で、1920年代に第一共和国の首相を二度務めた。カール・ラームが司祭服をまとう党指導者に触れたのは、ザイペル自身が司祭であったことを踏まえている。ザイペルは1924年6月1日に暗殺未遂に遭い、自党からの激しい批判も受けて、同年11月8日に辞任した。ラームはさらに進んで、ザイペルを辞任に追い込んだのは州知事たちであり、その州知事たちが後に銀行取引の失敗で党の名誉を傷つけたと書いている。ザイペルの伝記は辞任の理由を党内からの批判と記すだけで、州知事たちの名は挙げていない。そのため、州知事と農民の蓄えを使った投機とザイペルの再登板を結びつける説明は、ラームの論説の主張として読む必要がある。ザイペルはこの論説が掲載される3日前の1926年10月20日に再び首相に就任し、フランツ・ディングホーファーが副首相となった。ザイペルは1929年まで首相を務め、とくに社会民主党と対立した。
大ドイツ人民党の入閣と合邦問題
見出しはザイペルと並べて、フランツ・ディングホーファーの名を挙げている。ディングホーファーは元リンツ市長で、1919年にドイツ民族主義の17の団体がまとまった大ドイツ連合を率い、この連合が後に大ドイツ人民党となった。大ドイツ人民党はオーストリアとドイツの統一を求めた。同党は1921年から1932年までキリスト教社会党との連立政権に従たる与党として加わり、ヨハン・ショーバー、イグナツ・ザイペル、ルドルフ・ラーメクの各内閣に副首相を送り出した。ザイペル自身はこの問題で異なる立場をとってきた。ザイペルは1919年3月、社会民主党と大ドイツ派の合邦熱に反対を表明した。ザイペルが国家財政を立て直した国際連盟の借款は、オーストリアがドイツへの合邦を公式に放棄したときに得られたものであった。ザイペル=ディングホーファー内閣は、合邦を求める政党と、合邦の放棄によって財政の救済を得た首相を一つの政府に組み込んでいた。ザイペルは第二次政権で大ドイツ人民党と農村同盟を反マルクス主義の連合に加え、1927年からは農村同盟が大ドイツ人民党に代わって連立相手となった。
原文
Die Thoiry-Besprechungen
Herr v. Hoesch, der gestern abend einen ersten Gedankenaustausch mit dem Generaldirektor des französischen Außenministeriums Berthelot gehabt hat, ist heute in den Mittagsstunden von Briand empfangen worden, mit dem er sich eingehend über den gesamten Komplex der Probleme unterhalten hat, die den Inhalt der Politik von Thoiry ausmachen. Den Charakter einer offiziellen Demarche hat weder der gestrige noch der heutige Besuch des deutschen Botschafters am Quai d'Orsay gehabt, und es ist durchaus richtig, wenn die Pariser Presse heute der Vermutung Ausdruck gibt, daß die gestrige Unterredung kaum über einen unverbindlichen Gedankenaustausch allgemeiner Natur hinausgegangen sei.
Seipel-Dinghofer
Aus tiefem Fall soll der christlichsozialen Partei ihr alter Führer Dr. Ignaz Seipel wieder emporhelfen. Vor zwei Jahren hatten ihn dieselben Landeshauptleute zum Rücktritt genötigt, die durch ihre mißglückten und entehrenden Bankgeschäfte die Partei in Verruf gebracht haben. Nicht unter den Städtern, in der Hauptsache unter den Bauern rekrutieren die Christlichsozialen ihre Wähler. Wer aber heute aufs Land kommt, der hört grimme Worte der Bauern, die aufs schwerste enttäuscht und getäuscht wurden. Niemals hätten sie es für möglich gehalten, daß christlichsoziale Führer, darunter solche, die den Priesterrock tragen, mit ihren Ersparnissen spekulierten und wucherten, für die eigenen Taschen.
Keine neuen Kontrollbeschlüsse
In einer halbamtlichen Auslassung stellt der " Temps " Pressenachrichten richtig, die über angebliche Beschlüsse der Botschafterkonferenz veröffentlicht worden sind, die am Mittwoch stattfand. Es seien keinerlei Beschlüsse gefaßt worden. " Die Konferenz ", erklärt das Communiqué, " hat die letzten Berichte geprüft, die ihr alle 14 Tage die Interalliierte Kontrollkommission über die deutsche Entwaffnung zugehen läßt. Sie hat festgestellt, daß diesen Berichten zufolge in einigen Fällen, wie bereits früher von der Kontrollkommission und der Botschafterkonferenz festgestellt worden war, die Entwaffnung nicht durchgeführt ist. Es handelt sich dabei besonders um die Polizei, um den Verkauf des Kriegsmaterials, um die Befestigung von Königsberg u. a.