時報
- 夏超、昨日午後3時に逃走
- 陳儀、浙江省長を遥領
- 上海債券聯合会の緊急告知
時報の1926年10月23日付の紙面は、浙江で孫伝芳に背いた夏超の反乱が崩れていく経過を伝えた。22日午後9時発の記事は、両軍が夜半に再び激しく戦ったこと、孫軍の列車が旅団長と連隊を嘉興へ運び、さらに硤石へ兵を送ったことを報じた。同じ記事は、夏軍が滬杭線の第115号橋を取り壊し、上海北駅から軍需品を積んだ専用列車が嘉善へ向かったことも伝えた。記事は続けて、王店で敗れた夏超が午後3時に逃走し、孫伝芳が任命した省長の陳儀が任地に入らないまま職に就いたと報じた。紙面には上海の五つの券局による抽選延期の告知も載った。この告知は一部だけが判読できる。
この版は、文字の乱れが大きいOCRから取り出した3つの部分を訳している。戦況記事は文の途中で切れており、債券聯合会の告知は判読できない文字を疑問符で示した断片である。会審公廨の告知、日付欄と相場欄の小さな文字、書籍の一覧は訳していない。上海の券局の仕組みと戦闘による抽選延期の理由は、集めた資料に典拠がないため解説で扱っていない。
翻訳
夏超、昨日午後3時に逃走
(22日午後9時発) 孫・夏両軍は、一昨(21)日午前に第68号橋で接触した後、真夜中になって再び激戦となった。昨(22)日午前1時、孫軍の別の一隊が側面から回り込んで到着した。発車した第1列車には第15旅団長兼総指揮の宋梅村が乗っており、宋は嘉興に赴いて前線の各部隊を視察し、あわせて前進を督励・指揮した。第2列車は第29連隊の兵士と軍需品などを載せていた。
◎ 孫軍は昨(22)日午後8時から10時にかけて、嘉興駅から兵員列車3本を発車させ、硤石へ向かわせた。
◎ 滬杭線の長安・許村間にある第115号橋は、昨(22)日午後5時に夏軍によって取り壊された。孫軍はすでに鉄道局工務処に命じて作業員を派遣させ、急ぎ修理に当たらせている。昨(22)日午後1時2分、北駅から専用列車1本が発車した。有蓋鉄製貨車8両と三等車1両を連結し、軍需品などを積んで嘉善へ運んだ。
◉ 夏超、昨日午後3時に逃走 ◉ 陳儀、浙江省長を遥領
◎ 昨(22)日午後、夏超は前線の戦闘が王店で不利となったため、大勢はすでに去ったと悟り、午後3…
陳儀、浙江省長を遥領
夏超が逃走したため、孫伝芳が任命した浙江省長の陳儀は、辞退がかなわず、ただちに遥領のかたちで職に就いた。
上海債券聯合会の緊急告知
…方・利済・江南・中南の五券局は協議のうえ、すべての[?]券について、旧暦17日から抽選をひとまず一[?]延期することとした。期日が来れば…
解説
夏超の反乱が一週間足らずで崩れた経緯
夏超は、浙江の掌握に協力した見返りとして孫伝芳から浙江省長に任じられており、国民党の北伐の進展に合わせて孫伝芳から離反した。夏超は、国民革命軍が武昌で呉佩孚を破れば寝返ると約束しており、国民革命軍は1926年10月10日に武昌で勝った。夏超は10月16日、地元の指揮官や文官の支持を得て浙江の独立を宣言した。しかし夏超が急いで集めた兵は訓練も武装も不十分であり、国民党側が約束した上海での蜂起も、現地の共産党と国民党の指導者が議論を続けていたために起きなかった。孫伝芳の反撃は速く、夏超の兵約6000人が短い戦闘の後に捕虜となり、孫軍は21日に嘉興、23日に杭州を占領した。時報の記事はその途中の時点を伝えており、夏超が22日午後3時に逃走した原因を王店での敗北に求めている。夏超はその後まもなく捕らえられ、近くの町の路上で銃殺された。
滬杭線で橋が切られた理由
滬杭線は、孫伝芳の権力の中心だった上海と、浙江の省都杭州を結んでおり、1926年10月には両軍がこの鉄道を攻撃した。夏超は蜂起の前に浙江から上海への鉄道を切断し、杭州の守備隊を分散させて、孫伝芳の浙江支配を弱めた。夏超が上海へ向けて進むと、孫伝芳は上海の防衛に回せる兵が少なかったため、杭州からの線路を取り外すよう命じた。10月22日には形勢が逆になっていた。時報によれば、孫軍は旅団長と第29連隊と軍需品を列車で嘉興へ送り、さらに兵員列車を硤石へ進めた。孫軍は上海北駅からも軍需品を積んだ専用列車を嘉善へ送った。夏軍は長安と許村の間の第115号橋を取り壊し、孫軍は鉄道局の工務処にすぐ修理するよう命じた。この記事では、勝っている側が線路の修理を急ぎ、負けている側が線路を切って追撃を遅らせようとしていた。
浙江省長陳儀の遥領
陳儀は紹興生まれの浙江出身者で、1926年には孫伝芳の配下の軍人だった。時報は、孫伝芳がすでに陳儀を浙江省長に任じており、陳儀が辞退できずに遥領のかたちで職に就いたと伝えている。遥領とは任地に入らないまま職を執ることである。孫軍が杭州を占領したのは10月23日で、陳儀が職に就いた時点ではまだ杭州を押さえていなかった。その後の経過について、文献は異なる書き方をしている。夏超の伝記は、孫伝芳が陳儀を新しい省長に任じたものの、陳儀もまもなく独立を宣言し、夏超より成功したと記している。陳儀の伝記は、陳儀が1927年に蔣介石の軍へ寝返ったと記している。どちらの記述によっても、この号が伝えた任命は孫伝芳の浙江支配を長く保つことにつながらなかった。
孫伝芳の支配地における浙江の位置
孫伝芳は江蘇・浙江・福建・安徽・江西に支配を広げており、浙江はその五省のひとつだった。孫伝芳は浙江の掌握に協力した見返りとして夏超を浙江省長に任じた。その後、夏超と地元の郷紳は孫伝芳に反発し、浙江の自治を宣言して新しい憲法を採択した。孫伝芳はこれに応じて、1926年1月25日に部下の盧香亭を杭州へ送った。夏超の10月の蜂起は、浙江を孫伝芳から切り離そうとする二度目の試みであり、今回は国民党の支援を受けていた。この号が伝えた兵員列車と補給列車は、孫伝芳が浙江の支配を取り戻すために動かしたものだった。
原文
夏超昨日下午三時出走
。 (二十二日下午九時消息) 孫夏兩軍、 前 (二十一) 日上午在六十八號橋接觸後、 至晚十二時、 又復劇戰、 昨 (二十二) 晨一時、 孫軍另一隊抄至、 開第一列車爲十五旅旅長兼總指揮宋梅村乘坐、 宋至嘉興視察前線各軍、 並督率指揮前進、 其第二列、 係二十九團兵士及軍用品等件、 ◎ 孫軍昨 (二十二) 日下午八時至十時、 由嘉興車站開出兵車三列、 至硤石、 ◎ 滬杭路長安與許村間之第一百十五號橋、 昨 (二十二) 日下午五時、 被夏軍拆斷、 孫軍已飭路局工程處派工前往趕修、 昨日 (二十二) 下午一時零二分由北站開出專車一列、 計挂鐵蓬車八輛、 三等車一輛、 裝載軍用品等件、 運至嘉善、 ◉ 夏超昨日下午三時出走 ◉ 陳儀遙領浙省長 ◎ 昨 (二十二) 日下午、 夏超因前方軍事在王店失利、 知大勢已去、 於下午三
陳儀遙領浙省長
夏超出走、 孫傳芳所委之浙省長陳儀辭不獲、 即行遙領、
上海債券聯合會緊要啟事
方利濟江南中南五券局公議所有 [?] 券自陰歷十七日起暫擬展期一個 [?] 開獎屆期