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この日に発行された世界の新聞10紙の一面を、翻訳と解説で読めます。

Evening Star

ワシントンD.C.(アメリカ) · 英語

1926年10月23日付のイブニング・スター紙は、災害と野生動物を扱う3本の通信記事を載せた。AP通信はレニナカン発で、前夜にアルメニア全土を揺るがした地震が多数の死者を出し、家屋を倒壊させ、電信線を破壊したと報じた。同じ記事は、アメリカの近東救済会の職員と、帝政時代の石造りの兵舎で暮らす9,000人の孤児に死者が出なかったことを強調した。ハバナ発の記事は、カリブ海のハリケーンがパインズ島で38人の命を奪い、そのうち17人がアメリカ人で、負傷者は200人を超え、損失は5000万ドルに上るという生存者の証言を伝えた。コンソリデーテッド・プレスはソルトレークシティー発で、グレートソルト湖の島で野性を増した200頭のバッファローが11月に狩られる予定だと報じ、馬で近づく人から峰へ逃げる群れの様子を描いた。

The Montgomery Advertiser

モンゴメリー(アメリカ) · 英語

1926年10月23日付のモンゴメリー・アドバタイザー紙は、地元の共同募金運動の立て直しを大きく伝えた。運動員たちは火曜日に終える予定だった寄付カードの配布を金曜日に終え、寄付の申し込みも一日を通じて増え、運動の総額は4万3152ドル10セントに達した。紙面はこの運動を、まとまりのない毎月の街頭募金に戻らないための唯一の道として描いた。ハバナ発のAP電は、48時間以上も連絡が途絶えていたパインズ島の様子を初めて伝え、水曜日の嵐で32人が死亡し、うち17人が米国人で、約100人が負傷したと報じた。ワシントン発のAP電は、禁酒法の取締りを率いるアンドルーズ財務次官補が、飲む価値のある酒はケンタッキー、テネシー、ノースカロライナの山の蒸留所の酒だけだと語り、密造者がもっと儲かるほかの州へ移っていると嘆いたと伝えた。

Vossische Zeitung

ベルリン(ドイツ) · ドイツ語

1926年10月23日付のフォス新聞は、パリとウィーンに関する三つの政治記事を載せた。パリ発の記事は、ドイツのヘッシュ大使がフランス外務省のベルトロ事務総長と、続いてブリアン外相とトワリー政策の諸問題を話し合ったと伝えた。同じ記事は、どちらの訪問も公式の申し入れではなかったと強調し、最初の会談が拘束力のない一般的な意見交換にとどまったとするパリの新聞の見方を正しいと評した。カール・ラームは署名入りの論説で、信用を落としたキリスト教社会党が旧指導者ザイペルに再起を託したと論じた。ラームは同じ論説で、州知事たちの銀行投機が党の支持者である農民を怒らせたと書いた。三つ目の記事は、大使会議が新たな決定を下していないとする『タン』紙の半官的な訂正を報じた。その記事は同時に、警察、軍需物資の売却、ケーニヒスベルクの要塞化などについてドイツの武装解除が未完了だとする声明の内容を伝えた。

Journal de Genève

ジュネーヴ(スイス) · フランス語

1926年10月23日付のジュルナル・ド・ジュネーヴは、J. M.の署名入り論説で連邦財政への強い懸念を示した。論説は、財務を担うミュジー氏の努力で生まれた財政健全化への期待が、社会保険の可決と年金基金をめぐるゲオルク氏の暴露によって危うくなったと論じた。論説はさらに、国民議会の多数派が連邦参事会に背を向けて公務員給与のグラーフ給与表を可決し、予算に何百万もの新たな穴をあけようとしていると批判した。別の記事は、ドイツの国際連盟加盟にモスクワが不機嫌を示したと伝え、ドイツの落ち着いた対応を正しいと評し、ソ連とリトアニアの新条約をワルシャワとジュネーヴへの警告と見なした。短い署名コラムは、町のすぐそばのモンショワジーの農地でまだ家畜が草をはんでいるが、やがて高級住宅街に変わると、皮肉を込めて書いた。

Politika

ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl

1926年10月23日付のポリティカ紙は、性格の大きく異なる2つの記事を載せた。M・ネデリコヴィッチ博士は金融機関の監督を論じた署名コラムで、よく運営された銀行ではある比率が3対1、最大でも3½対1を超えてはならないと主張した。博士は、この比率を超えるとごくわずかな損失でも銀行自身の資本が尽き、損害が預金者と債権者に及ぶと警告した。もう一つの記事は1903年5月29日の国王殺害に至る時期を振り返る回想記であり、セルビアの国民を平穏で、不満があっても黙っていた人々として描いた。この回想記は、1900年の国王アレクサンダルとドラガ・マシンの結婚を国民の大多数が私的な出来事と受け止めたと述べ、その理由を無関心とおそらくは生来の無気力に求めた。

Leidsch Dagblad

ライデン(オランダ) · オランダ語

1926年10月23日付のLeidsch Dagblad紙1面は、キリスト教系組合役員会連合の集会報告を載せた。演者は1919年と6年半後の会員数を比べ、プロテスタント系のC.N.V.には社会主義系のN.V.V.よりも楽観できる理由が多いと主張した。演者はN.V.V.の増加率を1.2パーセント、カトリック系連合を5.5パーセント、C.N.V.を6.6パーセントと示し、会場は拍手で応えた。同紙はまた、カトウェイク・アーン・ゼーの被災家族に寄せられた追加の寄付の一覧を載せ始めた。さらに同紙は、天然痘の種痘と同時にジフテリアの予防接種を無料で受けられるとする告知を載せた。告知はすべての親に子どもへの接種を勧めた。今回の読み取りは寄付一覧の本体と告知を出した機関の名を含まない。

時報

上海(中国) · 中国語

時報の1926年10月23日付の紙面は、浙江で孫伝芳に背いた夏超の反乱が崩れていく経過を伝えた。22日午後9時発の記事は、両軍が夜半に再び激しく戦ったこと、孫軍の列車が旅団長と連隊を嘉興へ運び、さらに硤石へ兵を送ったことを報じた。同じ記事は、夏軍が滬杭線の第115号橋を取り壊し、上海北駅から軍需品を積んだ専用列車が嘉善へ向かったことも伝えた。記事は続けて、王店で敗れた夏超が午後3時に逃走し、孫伝芳が任命した省長の陳儀が任地に入らないまま職に就いたと報じた。紙面には上海の五つの券局による抽選延期の告知も載った。この告知は一部だけが判読できる。

世界日報

北京(中国) · 中国語

この日の世界日報の紙面には、ニュース記事がなく、広告と告知だけが並んだ。最も大きく読める広告は、副刊を月ごとにまとめた合訂本を宣伝した。広告は、副刊の主編が北京大学教授の劉半農博士だと伝えた。広告は、一冊が約百二十ページで作品百五十点以上を収め、印刷と装丁が美しいと述べ、青年に授業の後に読むよう勧めた。商務印書館は、創業三十年を記念して四部叢刊の第二次予約を募り、七年前の予約価格を据え置くと告げた。耳の病と難聴を根治すると約束する薬の広告も載った。

Crítica

ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語

1926年10月23日付の『クリティカ』1面は、海外からの電報記事を中心に組まれていた。レニナカン発の記事は、アルメニア全土を襲った強い地震を報じた。記事は家屋の倒壊と住人の生き埋め、電信線の破壊、家畜の死を伝え、近くのアララト山が噴火したと思い込んで住民が逃げ出したことも書いた。パリ発のAP電は、アルゼンチンがフランスに対し、翌年2月に期限を迎える1000万ドルの借款の返済猶予を認めたと報じた。フランスは利子を払い、借款は自動的に更新されると記事は伝えた。シカゴ発の記事は、治外法権に関する国際委員会の委員長を務めて帰国したサイラス・ストローンの見方を伝えた。ストローンは、中国の共和制が将軍たちの争いと軍隊の暴力の下で茶番になっていると語った。

Il Piccolo

Italy · イタリア語

この号の『イル・ピッコロ』は、11月初めに開かれる見込みの閣議に向けて各省が法令案の準備を急いでいると伝えた。新聞によれば、政府はまだ正式な招集通知を出しておらず、各大臣はまず政府首班に報告することになっていた。パリ発の記事は、シュトレーゼマンの指示を携えてベルリンから戻ったドイツ大使フォン・ヘッシュがブリアン外相と会談したと報じた。記事はトワリー会談の成果を具体化する交渉が始まったのかと問いかけ、会談は予想より短く、大使は具体的な提案を持たず、ブリアンは失望した様子だったと伝えた。退役軍人協会は11月4日の式典を地方規模で厳粛かつ簡素に行い、戦没者記念碑の前で戦勝公報を朗読して締めくくり、宴会ではない質素な会食を開くよう指示した。

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