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· ジュネーヴ(スイス) · フランス語

Journal de Genève

1926年10月23日付のジュルナル・ド・ジュネーヴは、J. M.の署名入り論説で連邦財政への強い懸念を示した。論説は、財務を担うミュジー氏の努力で生まれた財政健全化への期待が、社会保険の可決と年金基金をめぐるゲオルク氏の暴露によって危うくなったと論じた。論説はさらに、国民議会の多数派が連邦参事会に背を向けて公務員給与のグラーフ給与表を可決し、予算に何百万もの新たな穴をあけようとしていると批判した。別の記事は、ドイツの国際連盟加盟にモスクワが不機嫌を示したと伝え、ドイツの落ち着いた対応を正しいと評し、ソ連とリトアニアの新条約をワルシャワとジュネーヴへの警告と見なした。短い署名コラムは、町のすぐそばのモンショワジーの農地でまだ家畜が草をはんでいるが、やがて高級住宅街に変わると、皮肉を込めて書いた。

翻訳

警鐘

一時は、ミュジー氏の精力的な働きのおかげで、連邦財政が本格的に健全化するのを見られるという希望があった。人々は、地平線のかなたに、繁栄とまではいかなくとも、少なくとも財政面での慎重さの時代の夜明けがすでに見えてきたように思っていた。社会保険の可決によって、この希望は怪しくなった。退職年金・恩給基金についてのアルフレッド・ゲオルク氏の暴露は、すべての国民議会議員に目を開かせてしかるべきものだった。ところが議員たちは、目をかたくなに閉じたままでいるだけでは満足せず、その多数が公務員給与の問題で連邦参事会に背を向け、ミュジー氏の断固たる警告にもかかわらず、グラーフ給与表を可決した。この給与表が採択されれば、連邦の予算に何百万という新たな穴があくことになる。

ロシアと国際連盟

予想されたとおり、ドイツの国際連盟加盟はモスクワにとってあまり愉快なことではなかった。ソビエトの面々は、ヨーロッパで起きたばかりの出来事が自分たちにもたらした不機嫌を、隠そうともしていない。彼らはドイツに向けた偏った論説で不満をぶちまけ、モスクワではいつものことながら、そこにあらゆる種類の脅しを盛り込んでいる。ドイツでは、こうした虚勢をあまり深刻に受け止めなかったが、それはまったく正しい。その数日後、ソビエトはリトアニアと条約を結んだ。この条約はそれ自体まったく不要なものだが、明らかにワルシャワとジュネーヴへの警告として役立てるためのものである。

モンショワジー

下の方がいくらか狭まったとはいえ、モンショワジーの「農地」は今もなお見事である。町から目と鼻の先のこの場所で、この季節には家畜が草をはむ姿が見られる。カウベルの音のあとには、やがて高級住宅街の物音が続くだろう。それをあまり嘆くべきではない。それが「進歩」なのだ。

解説

論説が名を挙げた財務担当のミュジー連邦参事

論説筆者が精力を称えた「ミュジー氏」は、ジャン=マリー・ミュジーである。ミュジーは1919年12月11日に連邦参事会の一員に選ばれ、1934年4月30日まで在任した。ミュジーは在任中ずっと財務省を率い、この論説の前年にあたる1925年には連邦大統領を務めた。論説は、連邦政府とその財務責任者を国民議会の多数派と対立させて描いている。論説によれば、議員たちはミュジーの断固たる警告を聞き入れず、連邦職員の給与表としてグラーフ案を可決した。この給与表が「何百万」もの費用を生むという見積もりと、ゲオルク氏が年金基金について明らかにした数字は、論説筆者がこの文章で主張した内容である。ミュジーが長く財務を担っていたことから、筆者はミュジーの警告を連邦の財政方針そのものとして扱っている。

ドイツの国際連盟加盟をモスクワが警戒した理由

記事が「ヨーロッパで起きたばかりの出来事」と呼んだのは、ドイツの国際連盟加盟である。ドイツとソ連は、その前に加盟の影響を抑える手を打っていた。両国は1926年4月24日にベルリン条約を結び、5年間を期限として、一方が第三国から攻撃された場合に他方が中立を守ると約束した。この条約は1922年のラパッロ条約を再確認した。ウカシュ・ミクワの研究によれば、条約に添えた覚書で、ドイツは連盟加盟がソ連との友好関係に悪い影響を及ぼさないと約束した。ドイツはさらに、加盟がソ連を侵略者と認めることにはつながらず、そうした事態になっても課される制裁に加わらないと約束した。これらの約束は、ソ連が連盟による侵略認定と制裁の仕組みを警戒していたことを示している。記事が伝えたソ連の論説の「脅し」はこうした事情を背景にしているが、記事はその文面を引用していない。

1926年のソ連・リトアニア不可侵条約とヴィリニュス問題

記事が「それ自体まったく不要」と評した条約は、1926年9月28日に調印されたソ連・リトアニア不可侵条約である。ソ連はこの条約で、ヴィリニュスとその周辺地域を引き続きリトアニア領と認めた。これらの地域は、1920年のジェリゴフスキの反乱以来ポーランドの支配下にあった。記事がワルシャワへの警告を読み取ったのは、この条項のためである。ポーランドはこの協定がリガ講和条約に反すると主張し、ラトヴィアとエストニアはバルト協商の結成を妨げるとして条約に反対した。リトアニアは見返りとして、ソ連に向けた同盟に加わらないと約束し、この約束はリトアニアを国際的な孤立に置いた。記事はこの条約をドイツの連盟加盟に対するソ連の返答として描いたが、標準的な記述では、条約はロカルノ条約後に外交の新しい方向を求めたリトアニア側の発案だった。交渉は1925年12月25日、外務人民委員チチェーリンがモスクワへ向かう途中でカウナスに立ち寄ったときに始まった。この日付は、この号の発行より10か月ほど前である。

連盟加盟後も続いた独ソの接触

ドイツがソ連の虚勢を深刻に受け止めなかったという記事の見方は、その後数週間の独ソ関係の動きと合っている。ソ連政府は、この号が出た1926年10月に、ドイツ国会議員の有力な一団をモスクワに招いた。チチェーリンは1926年12月にベルリンを訪れ、1925年と比べて独ソ関係が改善したと述べた。記事が伝えたソ連の新聞の険しい論調と並んで、両国はベルリン条約のもとで外交上の接触を続けていた。

原文

Cri d'alarme

On eut quelque temps l'espoir, grâce à l'énergie de M. Musy, de voir les finances fédérales s'assainir sérieusement, et déjà l'on croyait deviner, à l'horizon, l'aurore d'une période sinon de prospérité, du moins de prudence dans le domaine financier. Le vote des assurances sociales a rendu problématique cet espoir; les rélévations de M. Alfred Georg sur les caisses de retraites et de pensions auraient dû obliger tous les conseillers nationaux à ouvrir les yeux. Mais, non contents de les tenir obstinément fermés. ils se sont tournés, dans leur majorité, contre le Conseil fédéral dans l'affaire des traitements des fonctionnaires, et, malgré les avertissements catégoriques de M. Musy, ont voté l'échelle Graf, dont l'adoption creuserait un nouveau trou de nombreux millions dans le budget de la Confédération.

La Russie et la S. d. N.

Comme il fallait s'y attendre, l'entrée de l'Allemagne dans la S. d. N. n'a pas été très agréable à Moscou, et les membres des soviets ne se donnent pas la peine de cacher la mauvaise humeur que leur causent les événements qui viennent de se passer en Europe. Ils exhalent leur mécontentement dans des articles tendancieux adressés à l'Allemagne et corsés, comme d'habitude à Moscou, de toutes sortes de menaces. Avec beaucoup de raison, on n'a pas pris en Allemagne ces bravades trop au tragique. Peu de jours après, les soviets concluaient avec la Lituanie un traité parfaitement superflu en lui-même, mais visiblement destiné à servir d'avertissement à Varsovie et à Genève.

Montchoisy

Quelque peu rétréci dans sa partie basse, le «rural» de Montchoisy est resté néanmoins magnifique. A deux pas de la ville on y voit en cette saison pâturer le bétail. Au bruit des sonnailles succédera bientôt celui d'un quartier riche. Il ne faut pas s'en affliger trop. C'est «le Progrès».

紙面の出典:Source: Le Temps archives / Journal de Geneve

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