Le Figaro
- 窮余のカルテル
- 自然の情
- 酔いざまし室..
1926年11月2日付のフィガロ紙一面は、急進党がボルドー大会で左翼諸政党に協力を呼びかけたことを取り上げ、アンリ・ヴォノヴァンが社説でこれを「窮余のカルテル」と名づけた。アベル・エルマンは署名コラムでソビエトの司法を皮肉り、息子が司法官の前で宣言するだけで母親は母親でなくなると書いた。「鉄仮面」の署名がある短信欄の記事は、ソビエト政府がウォッカ専売制を敷いて以来ソ連でアルコール依存症が恐ろしく広がったと伝え、見出しで酔いざまし室に触れた。
翻訳
窮余のカルテル
二週間前のボルドー大会で、急進党は「共同行動のために誠実に同党と結束しようとする左翼諸政党と協力する用意がある」と表明した。
自然の情
たとえば、母親というものは、たとえ息子に気に入られなくなったとしても、必然的に、そして永久に息子の母親であり続けねばならないと信じられていた。ソビエトの司法はそれをすっかり変えてしまった。母親が法的に息子を厄介払いできるのかどうかは知らされていない。しかし、そのために置かれた司法官の前で息子が母親に「あなたはもう私の母ではない」と言いさえすれば、実際に彼女はもはや母親ではなくなるのである。
酔いざまし室..
ソビエト政府がウォッカの専売制を敷いて以来、ソ連ではアルコール依存症が恐るべき広がりを見せている。
解説
急進党が1926年秋に左派へ協力を呼びかけた事情
ヴォノヴァンが引用したボルドー大会の宣言は、第一次左翼カルテルが崩れてから数カ月後に出たものである。急進社会党と社会党SFIOによるこの連合は1924年5月11日の選挙に勝ち、エドゥアール・エリオのもとで政権を担った。この多数派は1926年に分裂し、SFIOは野党に回った。その後レイモン・ポワンカレが国民ブロック諸党に急進社会党を加えた内閣を組織し、カルテル政権を苦しめた通貨危機は収まった。したがって1926年秋の急進党は、閣僚を右派との内閣に送り込みながら、党大会では左派に「誠実な」共同行動を呼びかけていたことになる。ヴォノヴァンは見出しで「窮余のカルテル」と書き、この呼びかけを信念ではなく次善の策として描いた。この評価はフィガロ紙自身の見方である。1924年の多数派の分裂とポワンカレ連立内閣の成立は、確認された歴史の事実である。抜粋は、急進党がどの選挙や議会採決を念頭に置いていたかを述べていない。
エルマンが書いた時期のソビエト家族法
エルマンのコラムは、ソビエトの家族法が書き換えられている最中に掲載された。ロシア共和国の新しい「婚姻・家族・後見法典」は、全ロシア中央執行委員会が1926年11月19日付の決議で施行した。この日付は本紙の発行から2週間あまり後にあたる。研究者は1926年法典を、家族の結びつきを弱めた1918年の政策の多くから後退したものと位置づけている。この法典は扶養義務の範囲を広げ、子、親、兄弟姉妹、祖父母を対象に加えた。つまり当時進んでいた改革は、親に対する義務も含めて、親族間の法的な義務を強める方向に向かっていた。ここで参照した資料には、息子が司法官の前で母親との関係を絶てる手続きは載っていない。したがってエルマンの逸話は、既知の法規定の説明として読むより、抜粋が出所を示していない報道をもとにした風刺として読むのが妥当である。
ウォッカ専売制はどのように復活したか
短信欄の記事は飲酒の広がりをソビエトのウォッカ専売制のせいにしており、この専売制は当時まだ導入されたばかりだった。ロシアの禁酒は1914年に始まり、ニコライ2世が第一次世界大戦の開戦にあたって強い酒の販売を禁じた。参照した記述によれば、スターリンは1925年に禁酒令を廃止し、政府の歳入を増やすために国家によるウォッカ専売制を復活させた。1925年10月4日には、アルコール度数40パーセントの穀物酒の販売が法律で認められた。したがってこの記事が出た時点で、ソ連では合法のウォッカが販売再開から約1年たっており、専売制は国の歳入を増やすためのものだった。「恐るべき」広がりという表現はフィガロ紙自身の評価である。抜粋された一文は、この評価を裏づける数字を示していない。
ロシアとソ連の酔いざまし施設の歩み
記事の見出しが挙げた酔いざまし室は、ロシアでは革命前からあった施設である。医師フョードル・セルゲーエヴィチ・アルハンゲリスキーは1902年に、「泥酔者の保護所」と呼ばれるロシア初の酔いざまし施設を開いた。ロシアの歴史カレンダーは、ソ連初の酔いざまし施設がレニングラードのマラータ通りに開設された日を1931年11月14日としている。この日付は本紙の発行から5年後にあたる。抜粋された一文は、見出しにある酔いざまし室の説明に入る前で終わっている。したがって1926年のこの記事は、ソ連の飲酒対策を伝えた早い時期の外国報道として読むことになり、その細部は、この年表が記録する1931年のレニングラードの施設とは照合できない。
原文
LE CARTEL DU PIS ALLER
Au Congrès de Bordeaux, il y a quinze jours, le parti radical se déclarait «prêt à collaborer avec les partis de gauche qui voudraient s'unir sincèrement avec lui pour une action commune.»
LES SENTIMENTS NATURELS
. On croyait, par exemple, qu'une mère doit fatalement et à tout jamais rester la mère de son fils, même si elle a cessé de lui plaire. La justice soviétique a changé tout cela. On ne nous dit pas si les mères peuvent légalement se débarrasser de leur fils; mais il suffit qu'en présence d'un magistrat ad hoc le fils dise à sa mère: «Tu n'es plus ma mère», pour qu'en effet elle ne le soit plus.
Des salles de desenivrement..
Depuis que le gouvernement des Soviets a établi le monopole de la vodka, l'alcoolisme a pris dans l'U. R. S. S. un développement effrayant.