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· ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語

Crítica

この版は、1926年11月2日付『クリティカ』1面の外電三本を読む。同紙はサンティアゴ発で、強制保険に抗議する靴・皮革工場の労働者のストライキに製パン業者が無期限ストで合流し、パンが正午までしか手に入らないと伝えた。同紙はイタリア発で、ムッソリーニを襲撃したとされる少年アンテオ・ザンボーニについて詳しく報じた。記事は少年を16歳の青年ファシスト団員としたが、一年以上集会に出ていなかったとも書き、父親がかつて無政府主義者のサークルと関係していたことも付け加えた。同紙はワシントン発で、クーリッジ大統領が投票のため特別列車で地元ノーサンプトンへ向かい、同じ日のうちに首都へ戻る予定だと報じた。

翻訳

チリでパン製造業者がきょうストライキに入った

この運動は、靴工場の労働者への連帯として、強制保険に抗議するために起こされたものである。

パンは正午までしかない

(アヘンシア・アウストラル通信)サンティアゴ・デ・チレ発、2日――パン製造業者は無期限ストライキを宣言し、靴・皮革工場の労働者のストライキに合流した。きょうはパンが正午までしか手に入らない。

襲撃者アンテオ・ザンボーニは活動的なファシストだった

ムッソリーニ、若きアンテオ・ザンボーニは16歳で、青年ファシスト団に属していた[?]一年以上前から集会には出ていなかった[?]ザンボーニの父親はかつてこの町の無政府主義者のサークルと関係があったが、どうやら何年も前にあらゆる破壊活動から手を引いていたようである。

カルビン・クーリッジ、投票のため首都へ

ワシントン発、2日――共和国大統領カルビン・クーリッジ氏は昨夜、特別列車でノーサンプトンへ向けて出発した。きょう投票を済ませ、間に合うように首都へ戻る目的で

解説

チリの靴工と製パン工が反対した強制保険とは何か

記事のいう強制保険は、チリが1924年9月8日に公布した疾病・廃疾強制保険法、つまり法律第4054号を指すとみられる。チリ政府は同じ日に、労働契約に関する法律第4053号などほかの労働法も公布した。これらの法律は通常の議会審議から生まれたものではなかった。陸軍の将校団は1924年9月8日に議会へ強い圧力をかけ、重要な労働法を含む16の法律の承認を要求したのである。『クリティカ』がこの記事を載せた1926年11月の時点で、強制保険は成立から約2年しかたっていなかった。記事によれば、靴・皮革工場の労働者がこの保険に抗議して仕事を止め、製パン業者も無期限ストで合流したため、サンティアゴのパンは正午で品切れになる見通しだった。この電報は、労働者が保険に反対した理由を説明していない。

ストライキ当時のチリで実権を握っていたのは誰か、その後組合はどうなったか

1926年末のチリ大統領は、アルトゥーロ・アレッサンドリの2度目の辞任後、1925年に選ばれたエミリアノ・フィゲロアである。フィゲロア政権の下では、カルロス・イバニェス・デル・カンポが陰の実力者になっていた。イバニェスは1924年、上院の傍聴席から議会への不満を示した将校団を率いて国政に登場し、この軍の圧力が社会立法を成立させた。1926年11月のスト参加者は、保険法を成立させた1924年の軍の圧力を率いた軍人がすでに決定的な力を持つ国家と向き合っていたことになる。イバニェスは1927年に政権を握り、新しい労働法の適用はそこから始まった。イバニェス政権は報道検閲で反対派を抑え、ラ・ナシオン紙の収用を進め、労働組合運動を国家の統制下に置いた。この記事が伝えたストライキは、その権威主義的な転換の直前の時期に起きたものである。

アンテオ・ザンボーニとは誰か、記事の説明は後の研究とどう違うか

1926年10月31日、ボローニャを無蓋車で通っていたムッソリーニに向けて銃弾が1発撃たれ、群衆は15歳の少年アンテオ・ザンボーニをその場でリンチして殺した。2日後に書かれた『クリティカ』の電報記事は、少年の年齢を16歳としている。見出しは襲撃者を活動的なファシストと呼んだが、本文は少年が1年以上青年ファシスト団の集会に出ていなかったと書いている。電報は父親がかつてこの町の無政府主義者のサークルと関係していたことにも触れ、父親が破壊活動から長く離れていたと述べつつも、疑いを左派へ向ける材料を示した。後の研究者はこの公式の説明を疑っている。テロリズム研究者J・ボウヤー・ベルは、少年はおそらく無実であり、事件は仕組まれた芝居かファシスト同士の陰謀だったと書いた。記事の「襲撃者」という呼び方は、事件直後に流れていた説明をそのまま伝えたものであり、確定した事実を示すものではない。

ボローニャの銃撃はムッソリーニ体制にとってなぜ重要だったか

ボローニャの銃撃は、約1年の間にムッソリーニを狙った4度目の事件だった。1925年11月には元社会党議員ティート・ザニボーニが発砲前に逮捕され、1925年末に制定された法律があらゆる反対派政治組織の弾圧を可能にした。1926年4月7日にはバイオレット・ギブソンが拳銃を撃ち、弾はムッソリーニの鼻をかすめた。1926年9月11日には無政府主義者の大理石工ジーノ・ルチェッティがローマのポルタ・ピアでムッソリーニの車に爆弾を投げ、ほかの4人がけがをした。ザンボーニ事件はその数週間後に起き、体制はこの事件を使ってさらに統制を強めた。この事件をきっかけに、ムッソリーニの秘密警察をつくる法律が生まれたのである。この流れの中で読むと、かつて無政府主義者だった父を持つ青年ファシスト団員という電報の描く少年の政治的背景は、体制がこの事件を統制強化の根拠に変えつつあった時期に読者へ届いたことになる。

1926年にクーリッジはなぜ投票のためノーサンプトンへ向かったか

クーリッジは1926年10月29日の記者会見でこの旅を自ら発表した。クーリッジは、月曜の夜に投票のため帰郷の途につき、火曜の朝にノーサンプトンへ着くと述べた。クーリッジは列車を降りて市庁舎のすぐ隣の投票所で投票し、夜遅くにワシントンへ戻る予定だった。クーリッジは、新聞が義母グッドヒュー夫人の住まいと書く家は自分の家だと強調した。クーリッジの投票権はノーサンプトンの住所に基づいていたため、この点は大事だった。政権の閣僚の間でも、地元へ戻って投票するのは珍しくなかった。クーリッジによれば、閣僚7人が選挙演説と帰郷投票のため不在で、国務長官ケロッグは郵便で投票していた。クーリッジは4年前にも帰郷して投票したが、1924年には選挙前夜にラジオ演説があったため帰らなかった。『クリティカ』の見出しはクーリッジが「首都へ行った」と書いたが、本文はワシントンからノーサンプトンへ向かったと正しく伝えている。

1926年11月2日のマサチューセッツでクーリッジにとって何がかかっていたか

クーリッジが投票した日、クーリッジの地元マサチューセッツ州では上院の補欠選挙が行われていた。この議席は、ヘンリー・カボット・ロッジ上院議員の死去後、任命で埋められていた。現職のウィリアム・モーガン・バトラーはクーリッジの盟友だった。1926年のバトラーの出馬集会では、演説者の多くがバトラーの選挙戦をクーリッジの再選の見通しと結びつけた。民主党のデビッド・I・ウォルシュがバトラーを破り、民主党は1851年以来初めてこの議席を握った。大統領が投票のため帰郷したその日に、地元の州は大統領が支える盟友を落選させたのである。

原文

LOS PANIFICADORES SE DECLARARON HOY EN HUELGA EN CHILE

Este movimiento ha sido hecho por solidaridad con los obreros de las fábricas de cal zado, para protestar contra el seguro obligatorio SOLO HABRA PAN HASTA MEDIODIA (Agencia Austral) SANTIAGO DE CHILE, 2. - Los panificadores se declararon en huelga indefinida, adhiriéndose a la huelga de obreros de las fábricas de calzado y cueros. Hoy habrá pan solamente hasta mediodía.

ANTEO ZAMBONI, EL AGRESOR, ERA UN ACTIVO FASCISTA

Mussolini, el joven Anteo Zamboni, tenía 16 años de edad, y pertenecía a los jóvenes fascistas [?] hace más de un año no concurría a sus reuniones [?] El padre de Zamboni estuvo, tiempo atrás, relacionado con los círculos anarquistas de esta ciudad, pero según parece, se desligó de toda actividad subversiva desd» hace muchos años.

Calvin Coolidge fué a la capital a emitir su voto

WASHINGTON, 2. - El presidente de la República, Mr. Calvin Coolidge, partió anoche en un tren especial con destino a Northampton, a objeto de depositar hoy su voto y regresar a la capital a tiempo para

紙面の出典:Source: Internet Archive / Biblioteca Nacional de la República Argentina

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