Le Petit Matin
- 政局の決算
- ブリュッセルの医薬品倉庫で大火災が発生
- レッドスキン300人対黒人1人
1926年11月1日付の『ル・プチ・マタン』1面は、マルセル・ユアールの政治コラムを冒頭に掲げた。ユアールは、政府が1927年度予算を12月末までに成立させたいと望みながら、各政党の姿勢を先に見極める必要があるため両院の再開日をまだ決められずにいる、と論じた。同じ面は、ブリュッセルの人口密集地区で新築の鉄筋コンクリート造の医薬品倉庫が燃え、住民が寝間着姿で逃げ出し、負傷者は4人、損害は1000万フランを超えると報じた。モンタナ発の短い外電は、窃盗容疑の黒人が警官2人を射殺したあと、呼び集められたインディアン300人に納屋を焼かれ、銃撃を浴びたうえ燃える焼け跡に投げ込まれて殺されたと、当時の差別的な言葉で伝えた。
翻訳
政局の決算
マルセル・ユアール筆
こうした状況のもとで、政府がこれまで両院の再開日を定められずにいるのも理解できる。もっとも政府は、1927年度予算を12月末までにまとめ上げられるよう、わが議会の審議にかなり速いテンポを与えたいという、自然で正当な配慮を抱いてはいる。政府としては、各政党が自らに対してどのような姿勢でいるのか、どの協力を当てにできると考えるのか、そしてどのような反対にさらされるのかを知っておかねばならないのではないか。統治の術は、それを行う政治家に対し、自らと戦う者たちの意図も、なお最も堅固な支持者であり続ける者たちの意図も、あらかじめ把握しておくよう求めるのである。
ブリュッセルの医薬品倉庫で大火災が発生
…ブリュッセルで、ショセ…とテレフォン通りの角にある、新築されたばかりの…倉庫…ベルギー中央製薬会社の…。この建物は人口の非常に密集した…に位置しており、警報が…やいなや、近隣の家々の人々が寝間着姿のまま慌てふためいて逃げ出すのが見られた…。ブリュッセルの消防士が総出で…なお現場にいて、…に放水しようとしているが、救助作業は…非常に困難である。炎が見えないからである。鉄筋コンクリート造りの…の各部分で、…が燃えたり爆発したりして、建物を不透明で吐き気を催す煙で満たしている。現時点で負傷者は4人…である。…作業の途中で巨大な…のガソリンに放水することに成功したため、そちらの側では大爆発の危険は…である。損害はすでに…1000万フランを超えている。
レッドスキン300人対黒人1人
モンタナ発、10月31日。窃盗の容疑をかけられた黒人が納屋に立てこもり、そこから警察に発砲して警官2人を殺した。そこで署長はインディアンの戦士たちに出動を求めた。レッドスキン300人が到着し、納屋に火矢を放って炎上させた。炎に包まれた黒人は外へ出てきたところを、300発の一斉射撃で迎えられた。それでも彼が死んでいなかったため、レッドスキンたちは彼を燃え盛る納屋の焼け跡に投げ込み、彼はそこで焼かれた。
解説
1927年度予算がポアンカレ政権にとって急務だった理由
ユアールのコラムは、1927年度予算を12月末までにまとめることを政府の最大の関心事として扱っている。この政府は、レイモン・ポアンカレが1926年7月に組織した挙国一致内閣であり、エドゥアール・エリオが退いたあと急進派もこの内閣に加わった。この政権交代の背景には深刻な通貨危機があった。1922年に60フランで買えたポンドは、1926年7月には250フランを出さなければ買えなくなっていた。1927年の『フォーリン・アフェアーズ』誌の論評によれば、ポアンカレの就任時には短期国債の借り換えが行き詰まり、国庫には当座の資金がなく、フランは1ポンド248フランまで下がっていた。下院は新内閣に対し、それまでの政府には認めなかった財政再建のための全権を与えた。ポアンカレは1926年8月3日に議会に93億フランの増税を可決させ、予算の均衡を図った。均衡した1927年度予算を早く成立させることはこの再建計画の次の段階であり、コラムが議会審議の速さを強調する背景にはこの計画がある。
1927年度予算は年明け前に成立した
ポアンカレ政権は、ユアールが記した期限どおりに1927年度予算を成立させた。1927年10月の『フォーリン・アフェアーズ』誌の論評によれば、ポアンカレは年が明ける前に、1927暦年の完全に均衡した予算を下院に提出し、可決させた。1926年11月1日のコラムが両院の再開時期をめぐって示した不安は、結果として予算の期限内成立を妨げなかったことになる。コラム自体が記しているのは政府の意図と政党への懸念だけであり、結果はこの後年の論評が伝えている。
政府が姿勢を見極めようとした政党
ユアールが政党の支持と反対を問題にした背景には、ポアンカレ連立内閣の寄り合い所帯の構成がある。ポアンカレの挙国一致内閣は右派諸党と、中道の要となる急進党を結集し、社会党と共産党を除外していた。コラムは政党名を一つも挙げていないため、ユアールがどの党派を念頭に置いていたかは本文から特定できない。それでも、政府の最も堅固な支持者と政府と戦う者という彼の区別は、この連立の構成に照らすと理解しやすい。急進派が支持を続けるかどうかが多数派を決め、社会党と共産党は政権の外にいた。
ブリュッセルの遺産目録に残るベルギー中央薬局の建物
ブリュッセル首都圏地域の建築遺産目録は、フィリップ・ド・シャンパーニュ通り23番地、ルップ通り2番地との角にある建物を、かつてのベルギー中央薬局として登録している。目録によれば、この建物はもともとベルギー中央薬局の事務所と倉庫を収めており、火災のあと1927年に再建された。目録は火災の日付を記していないため、目録の火災が記事の報じた火災と同じものかどうかは確かめられない。記事は火災現場を、ショセ…とテレフォン通りの角にあるベルギー中央製薬会社の新築倉庫としており、住所は目録と一致せず、名称も完全には一致しない。1927年の再建は1926年秋の火災と時期のうえでは矛盾しないが、両者の結びつきは証明されていない。
原文
Le Bilan Politique
On comprend que dans ces conditions le gouvernement n'ait pu jusqu'ici fixer la date de la rentrée des Chambres, encore qu'il ait le naturel et légitime souci d'imprimer aux travaux de nos assemblées délibérantes une allure assez accélérée pour que le budget de 1927 puisse être bouclé avant la fin de décembre. Ne faut-il pas qu'il sache de quelles dispositions les partis politiques sont animés à son égard, sur quels concours il croit pouvoir compter et à quelles oppositions il sera exposé? L'art de gouverner commande aux hommes d'Etat qui l'exercent le soin d'être avertis des desseins de ceux qui les combattent comme de ceux qui demeurent leurs plus fermes soutiens.
Un formidable incendie éclate à Bruxelles dans un dépôt pharmaceutique
à Bruxelles, à l'angle de la chau vers et de la rue du Téléphone dépôt tout nouvellement constr Centrale Pharmaceutique de Belg Ce bâtiment est situé dans u très populeux et une fois l'alarm on a vu des maisons voisines les affolés se sauver en chemise de Tous les pompiers de Bruxelle core sur les lieux, essayant d'inon sier, mais les opérations de sauv très difficiles, car on ne voit pas mes. Dans chacune des parties du construit en béton armé, les ma brûlent ou font explosion, emp bâtiments de fumée opaque et na Il y a à l'heure actuelle quatre blessés. Au cours des travaux de on a réussi à inonder une immen d'essence, de sorte que de ce côté ger de grosses déflagrations est Dès maintenant les dégâts sont plus de 10 millions de francs.
300 peaux-rouges contre 1 nègre
MONTANA, 31 octobre. - Un nègre accusé de vol s'était barricadé dans une grange d'où il tira sur la police, tuant deux agents. Le commissaire demanda alors aux guerriers indiens d'intervenir. 300 Peaux Rouges arrivèrent, lancèrent des flèches enflammées sur la grange et la firent flamber. Le nègre entouré de flammes sortit et fut reçu par une save de 300 coups de fusil. Comme il n'était pas mort les Peaux Rouges le jetèrent dans les ruines en feu de la grange où il fut brûlé.