Evening Star
- ムッソリーニを弾丸がかすめ、撃った青年は刺殺される
- あすの投票を前に両陣営とも勝利を主張
- わがアメリカの印象
1926年11月1日のイブニング・スター紙は、イタリアでムッソリーニが科学会議の開会後に競技場を出たところを青年に銃撃され、その青年が黒シャツ隊員に刺されて数分後に死んだことをAP通信の記事で伝えた。同紙は、翌日の中間選挙を前に共和党と民主党、酒類解禁派と禁酒派がそろって勝利を主張し、第七十議会、とくに上院の支配が争点になる一方、有権者は投票の意向をほとんど見せていないと報じた。ルーマニアのマリー王妃は署名入りの連載「わがアメリカの印象」で、ホワイトハウスでの大統領主催の公式晩餐会の様子を書いた。
翻訳
ムッソリーニを弾丸がかすめ、撃った青年は刺殺される
首相となって4年のうちに6度目の暗殺の危機を逃れた、「危険に生きよ」を標語とするベニート・ムッソリーニは、きょうも相変わらず動じる様子を見せなかった。その一方で、「イル・ドゥーチェ」の殺害を図り、きのう激高したファシスト党員たちにリンチで殺された青年の共犯者の捜索が進められた。
ムッソリーニが科学振興会議の開会を終えて競技場を後にしようとしていたとき、ほっそりした金髪の、18歳ぐらいの青年が彼の自動車に向かって人をかき分けて進み、自動拳銃を発砲した。
青年が再び撃とうとしたところを、激高した黒シャツ隊員たちが取り押さえ、打ち倒し、14回刺し、首を絞めて殴りつけ、さらにその体をひしめき合う群衆の中に引きずり回した。青年は銃声から数分後に殺された。
あすの投票を前に両陣営とも勝利を主張
政治指導者と候補者たちが数週間にわたる集中的な選挙運動で注いできたあらゆる努力への答えは、あす有権者によって示される。
共和党と民主党、酒類解禁派と禁酒派という対立する陣営からは、きょうも圧勝を唱える主張が続いた。しかし、隔年の大選挙という難問を解く鍵を握っていたのは、表立った関心の兆しをほとんど見せず、どう投票するのかもほとんどうかがわせなかった数百万の有権者だった。
全国政党の立場から見た今回の選挙の大きな獲物である第七十議会の支配は、両陣営がともに自分のものだと主張した。民主党の選挙責任者の多くは、少なくとも上院を制する勝ち目が五分以上あると自信を見せ、共和党の側も、そのような結果になるおそれはすでに取り除かれたと、同じくらい自信を持っているようだった。
わがアメリカの印象
ワシントンでの長くも楽しい一日は、ホワイトハウスでの大統領主催の公式晩餐会で締めくくられた。私たちはみな、いちばん正式な装いに身を包んだ。娘も私も、国王に敬意を表するのと同じように大統領夫妻に敬意を表したいと思ったので、別々の自動車で乗りつけ、ホワイトハウスにふさわしい作法で迎えられた。要人たち、閣僚とその夫人たち、何人かの将軍やその他の人々が、私に会うために招かれていた。
解説
ボローニャの銃撃とアンテオ・ザンボーニ事件をめぐる疑問
AP通信の記事は、競技場を出るムッソリーニに向けて発砲した若者を「18歳ぐらい」のほっそりした金髪の青年と描き、黒シャツ隊員たちがその青年を14回刺したと伝えている。後の歴史記述はこの事件を1926年10月31日のボローニャでの出来事とし、オープンカーで進むムッソリーニに向けて銃弾が放たれた結果、15歳の少年アンテオ・ザンボーニがリンチで殺されたと記している。この年齢は記事の推定より3歳若い。記事は青年が撃ったことを確かな事実として扱い、共犯者の捜索を当然の次の手順として報じている。テロリズム研究者のJ・ボウヤー・ベルは、少年はおそらく無実であり、事件は仕組まれたものか、ファシスト同士の陰謀だったと書いている。記事は銃撃の翌日に通用していた見方を伝えており、実際に誰が撃ったのかという点には後の歴史家が疑問を示している。
1925〜1926年の暗殺未遂の連続とその後の法律
記事はボローニャの銃撃を、ムッソリーニが首相在任4年のうちに逃れた6度目の暗殺未遂と数えている。歴史記述はこの時期に集中した未遂事件を挙げている。元社会党議員ティート・ザニボーニは1925年11月4日にムッソリーニ暗殺を企てたとして逮捕された。1926年4月7日にはヴァイオレット・ギブソンが拳銃を撃ち、その弾がムッソリーニの鼻をかすめた。同年9月11日にはアナキストの大理石職人ジーノ・ルチェッティがローマのポルタ・ピアでムッソリーニのリムジンに爆弾を投げ、ほかの4人を負傷させた。これら4件は記事のいう6度という数に届かず、記事がほかにどの出来事を数えたのかはここで示した資料からは確かめられない。暗殺未遂は政治的にも利用された。歴史家たちは、ザニボーニの計画をムッソリーニ政府が権力固めの口実として仕組んだものとみている。ボローニャの事件の後には、ムッソリーニの秘密警察を設ける法律が作られた。記事が伝える共犯者の捜索は、失敗に終わった銃撃を国家による弾圧の新たな手段へと結びつけていく取締りの最初の段階にあたる。
1926年11月2日の選挙の結果
AP通信は投票前日の時点で、両党がともに第70議会の支配を主張し、民主党の選挙責任者が少なくとも上院を握る望みを持っていたと伝えた。1926年11月2日の投票の結果、上院の共和党の多数は7議席減ったが、共和党は多数を保ち、民主党の望みは実現しなかった。ペンシルベニア州では共和党の候補が勝ったものの、後に上院は選挙をめぐる汚職と不正の疑いを理由にその当選者の資格を認めなかった。記事が挙げた酒類解禁派と禁酒派の争いは、州ごとの住民投票でも決着がはかられた。タイム誌によると、8州で禁酒法をめぐる住民投票が行われ、イリノイ、モンタナ、ネバダ、ニューヨーク、ウィスコンシンの5州が酒類法の緩和に賛成した。ニューヨークでは緩和派の多数が3対1を超えた。カリフォルニア、コロラド、ミズーリの3州では禁酒派が勝った。記事は有権者の関心が薄いと書いており、タイム誌も南部全体で投票者が通常の有権者のおよそ3分の1にとどまったと報じた。
マリー王妃の1926年の米国訪問と署名入り連載
マリー王妃のコラムは、ワシントンでの一日を締めくくったホワイトハウスの晩餐会を描いている。王妃は1926年10月18日に米国に到着し、ワシントンでカルビン・クーリッジ大統領を訪ねた後、ニューヨークに数日滞在した。王妃はこの外交的な訪米に息子ニコラエと娘イレアナを伴っており、コラムに登場する娘はイレアナ王女とみられる。ヒストリーリンクは、王妃が旅行中に「わがアメリカの印象」という連載記事を書いたと記し、発行元を「アメリカン・ニュースペーパー・アライアンス」としている。ここで示した資料は、この連載の契約や宣伝の方法までは記していない。王妃の細かな動きは、同行した記者団が広く報じた。王妃は1919年のパリ講和会議に出席し、拡大したルーマニアの国際的承認を求めた経験を持っていた。娘とともに大統領夫妻を国王のように敬ったという王妃の記述は、この訪米が外交を目的としていたことを示している。
原文
STABS KILL YOUTH AFTER HIS BULLET GRAZES MUSSOLINI
- Having escaped assassination for the sixth time in the four years he has been premier. Benito Mussolini, whose slogan is " Live in Danger, " was undaunted as ever today as search was made for accomplices of a youth who tried to kill " Il Duce, " and then was lynched by infuriated Fascisti yesterday. As Mussolini was leaving the stadium after opening the Congress for the Advancement of Science, a slender, blond youth, about 18 years old, pressed forward toward his automobile and fired an automatic pistol. As the youth started to fire again he was seized by infuriated black shirts, who felled him, stabbed him 14 times, choked and beat him and then dragged the body through a milling mass of humanity. The youth was slain several minutes after the pistol shots.
BOTH SIDES CLAIM VICTORY ON EVE OF VOTING TOMORROW
The answer to all the efforts of the political leaders and candidates during weeks of intensive campaigning will be furnished tomorrow by the voters. Sweeping claims of victory continued to come today from the rival camps-Republican and Democratic, wet and dry-but the key to the great biennial election puzzle rested with the millions who had manifested few outward signs of interest and given little hint of how they might be expected to vote. The big prize in the election from the national party standpoint-the control of the Seventieth Congresswas claimed by both sides, with many Democratic managers confident that they had better than a fighting chance to control at least the Senate, and with the Republicans apparently equally as confident that any threat of such a result had been removed.
My Impressions of America
Our long but pleasant day in Washington ended with the official presidential dinner at the White House. We all put on our most official clothes. As both my daughter and I wanted to honor the President and his wife as we would have honored a King, we drove up in separate motors and were received with the procedure appropriate to the White House. Important personages, members of the cabinet, their wives, some generals and others had been invited to meet me.
紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料