時報
- 万国運動会、本日開会
- 江湾競馬
- 引翔郷競馬
国慶日にあたる1926年10月10日、上海の『時報』は祝日のスポーツに関する告知を載せた。上海万国運動会委員会は、中国、アメリカ、イギリス、フランス、ポルトガル、オランダなど8か国が参加する運動大会を同日午後にフランス租界の中華運動場で開くと告知し、3等級の入場券、等級ごとの入場門、西洋楽隊の演奏を案内した。上海中国賽馬会は国慶日当日に引翔郷の遠東競馬場で10レースを行うと告げ、会員に番号付きの抽選券を売り出した。万国体育会は翌日の午後に江湾で競馬を開くと告げた。運動会の告知の周りには、外国品を対象外とした祝日の景品付き販売と、保険会社の新社屋落成を知らせる案内の断片も並んだ。
この読み取りは、紙面画像から書き起こした告知3件を扱う。対象は、景品付き販売と保険会社の案内の断片を前後に含む万国運動会の告知、江湾競馬の告知、引翔郷競馬の告知である。判読できない文字は訳文中に[?]の記号で残している。嚮導週報の目次要約、購読料と広告料の表、冠生園と茉莉霜の広告の細かな文字の大半は、文字が小さく傷みも大きいため書き起こしていない。引翔郷競馬の告知にある開催回数は、画像上で第九期とも第十九期とも読めるため、訳文の第9期は確定した読みではない。解説は競馬と広告の背景を扱い、万国運動会の運営と参加8か国の経緯は対象外とする。
翻訳
万国運動会、本日開会
景品。記念食品を1元お買い上げごとに五彩缶入りの中山オリーブ1缶を、5角お買い上げごとに愛国菓子1箱を進呈する。外国品はこの限りではない。期間は9日から10日まで。
本日、万国運動会開[?]
数か月にわたって準備が進められ、全上海の話題をさらった万国運動大会が、本日午後、フランス租界天文台路の中華運動場で開かれる。参加するのは中国、アメリカ、イギリス、フランス、[?]ポルトガルおよびオランダなど8か国である。競技は午後2時ちょうどに始まる。会場の四方には観覧席が設けられ、座席はゆったりしており、さらに西洋楽隊を雇って演奏で盛り上げる。入場券は1元、6角、4角の3等級で、いずれも馬浪路口のバスケットボール場で販売する。4角券は東側の大門から、1元券と6角券は西側の大門から入場する。各界の皆様のご注[?]を願う。上海万国運動会委員会謹告
華安合群保寿公司の新社屋が落成したので、謹んでご来臨を請う。弊社は謹んで陽暦の日を選び(陰暦九月十節国慶記念
江湾競馬
陽暦10月11日、すなわち陰暦九月初五日の午後1時15分に競走を始める。当日は各車が会場まで直行し、場内には洋食と茶菓を用意している。ここに告知する。万国体育会謹告
引翔郷競馬
陽暦10月10日の国慶日、すなわち夏暦九月初四日の日曜日に、本会は引翔郷の遠東競馬場で第9期競馬を開催する。午後1時15分に競走を始め、全部で10レースを行う。会員向けの抽選套頭票は第1号から第300号まであり、福煦路181号の本会事務所で予約できる。今回の出走表は引き続き南京路の別発洋行が代理販売する。場内には洋食と茶菓を用意している。ここに公告する。上海中国賽馬会謹告
解説
江湾に中国人が設けた競馬場があった理由
江湾競馬場は、中国人の入会を認めない上海跑馬総会に対抗して中国人が設けた競馬場である。上海跑馬総会は市中心部の競馬場を運営し、当初は外国人居住者だけを会員とした。同会が一部の中国人を名誉会員、準会員、社交会員として受け入れたのは1908年になってからである。2015年の澎湃新聞の記事によると、富商葉澄衷の四男の葉貽銓は1908年に日本国籍を取って入会を申請したが、跑馬総会は申請を認めなかった。葉貽銓は1909年に資金を集め、江湾で土地を買って自前の競馬場を建てた。江湾競馬場は、中国人客を受け入れない跑馬総会に代わる場として1911年に開場し、澎湃新聞の記事は、中国人の観客も騎手もここで競馬に参加できたと述べている。1926年の『時報』の告知は、午後1時15分の発走、会場直行の車、洋食の用意を案内しており、開場から15年後の江湾競馬場が定期の開催を続けていたことを示している。
万国体育会と、そこから分かれた中国賽馬会
江湾の告知に署名した萬國體育會は、英語でInternational Recreation Clubと呼ばれた団体であり、江湾競馬場を創設した中国人たちとは別の団体である。万国体育会は1910年に江湾競馬場の支配株を買い取った。江湾競馬場に関する記事は、上海中心部の競馬場にも関わっていたこの団体が、最終的に江湾の過半数株主になったと述べている。1924年には万国体育会は非常に排他的な団体とみなされるようになり、同年11月、入会を断られた人々が楊浦で中国賽馬会を設立した。この中国賽馬会は、同じ紙面で江湾の告知の隣に告知を出した上海中国賽馬会にあたるとみられる。澎湃新聞の記事は、引翔の競馬場を江湾と並ぶ中国人自営の競馬場に数えている。この紙面で両団体は祝日の開催日を分け、上海中国賽馬会は国慶日の10月10日に遠東競馬場で10レースを行うと告げ、万国体育会は翌日の午後に江湾で開催すると告げた。競馬に動く金額は大きく、雑誌Sports Researchの陳洋陽は、江湾競馬場の1926年の収益を約2600万元と推計している。
引翔郷の告知にある会員向け抽選券の背景
上海中国賽馬会は引翔郷競馬の告知で、第1号から第300号までの会員向け抽選套頭票を福煦路181号の事務所で予約するよう呼びかけ、出走表は引き続き別発洋行が代理販売すると伝えている。このころの上海の競馬では、抽選券がすでに大きな役割を占めていた。上海跑馬総会が1909年以後に売り出した抽選券は、まもなく馬への賭けを上回った。抽選券は運だけで当たりが決まり、競馬の知識を必要としなかったので、誰でも買いやすく、上海の中国人住民のあいだで非常に人気を集めた。引翔郷の告知は、中国人が運営する競馬会も、会員に限り300枚の番号付きで同じ仕組みを使っていたことを示している。告知は券の価格や賞品の内容を記していない。
国慶日の愛国的な景品と国貨運動
運動会の告知の直前に載った断片は、記念食品を1元買うと五彩缶入りの中山オリーブを、5角買うと愛国菓子を贈ると約束し、外国品は対象外だと明記している。同じ紙面には上海の菓子店冠生園の広告も載っているが、その文字の多くは判読できず、書き起こした断片自体も売り手の名前を記していない。冠生園の創業者の冼冠生は、陳皮梅や牛肉干などの軽食を自分で作って街で売り歩くことから商売を始め、1918年に大境路に小さな店を開いた。こうした景品の文句は、デビッド・エンブリー・フレーザーが1999年のカリフォルニア大学バークレー校の博士論文で描いた国貨運動の手法と一致する。フレーザーは、国貨運動の指導者が商品をナショナリズムの宣伝に使い、ナショナリズムを商品の販売に使ったと論じている。同じ論文は、都市の消費を愛国的な購買へ導こうとした指導者の試みが行き詰まり、上海の国際色豊かな消費者は自分の欲しい物を買ったと結論づけている。このため、祝日の愛国的な宣伝文句は、売り手が打ち出した内容を伝える記録として読むのが適切である。
原文
今日萬國運動會開會
贈品購滿紀念食品一元贈五彩聽中山橄欖一罐滿五角贈愛國果子一盒外貨不在此例日期九號至十號止今日萬國運動會開 [?] 籌備數月轟動全滬之萬國運動大會於今日下午在法租界天文台路中華運動場舉行參與者有中美英法 [?] 葡萄牙及荷蘭等八國准下午二時起賽會場四周均設看台座位舒暢且雇有西樂隊吹奏助興入場券分一元六角四角三等均在馬浪路口藍球房出售四角券由東首大門進場一元及六角券由西首大門進場至希各界注 [?] 上海萬國運動會委員會啟華安合羣保壽公司新屋落成恭請光臨敝公司謹擇陽日 (陰歷九月十節國慶紀念
江灣賽馬
江灣賽馬陽歷十月十一號即陰歷九月初五日下午一點一刻起賽是日各車直達會場場內備有西菜茶點特此佈告萬國體育會啟
引翔鄉賽馬
引翔鄉賽馬陽歷十月十日國慶日即夏歷九月初四日星期日本會在引翔鄉遠東賽馬場舉行第九期賽馬下午一時十五分起賽共賽十次會員搖彩套頭票自第一號至第三百號可向福煦路一八一號本會事務所預定本屆馬書仍由南京路別發洋行代售場內備有西餐茶點特此公告上海中國賽馬會謹啟