The Montgomery Advertiser
- 本日の催しの目玉はレースの公開走行
- オーバーンのタイガー、激闘の末に勝利
- 死刑執行人の名前、もはや秘密ではなく
1926年10月31日付のモンゴメリー・アドバタイザー紙の第一面は、地元の州品評会、大学フットボール、ニューヨークの刑務所の話題を並べた。ハル・スティーブンズの品評会記事は、その日の目玉としてレースの公開走行を見出しに掲げ、前日の入場者を推定1万人と伝えた。記事は、霧雨の土曜の夜もミッドウェイがオーバーンの応援者でにぎわったと書き、自動車館で開かれたチャールストン・コンテストの入賞者三人の名前を報じた。ジャック・ラングホーンの記事は、オーバーンがクラムトン・ボウルでセワニーを破った試合を「タイガーがタイガーを食らう」戦いとして熱烈に伝えた。この抜粋は試合のスコアを含まない。三本目の記事は、その年の任命以来名前が伏せられていたシンシン刑務所の死刑執行人がロングアイランドのロバート・エリオットだと報じた。記事は、エリオットがほかの三州でも執行を担い、一件150ドルの報酬を受け、子どもたちは父親を小さな商売の店主だと信じていると伝えた。
翻訳
本日の催しの目玉はレースの公開走行
昨日の州品評会には推定1万人が入場した。土曜の夜は霧雨が降ったが、見世物が並ぶミッドウェイに集まった群衆の意気は少しもくじけなかった。タイガーの応援団が見世物を巡って歩き、オーバーンの青とオレンジがあちこちに見えた。昨夜、自動車館で開かれたチャールストン・コンテストの優勝者に一等賞として贈られる優勝カップは、ミス・トゥーツィー・ダンバーに授与された。二等賞の現金25ドルはミス・ヘレン・ジノヴァンに授与された。三等賞の現金5ドルはミス・ジョセフィン・ケネディに贈られた。
オーバーンのタイガー、激闘の末に勝利
栄光を、すべての栄光を、懐かしのオーバーンに! アラバマの平原から来たタイガーの爪は、むき出しの鋭さで、昨日の午後クラムトン・ボウルにおいて、テネシーの山深い森から来た紫の兄弟に深々と食い込んだ。それはタイガーがタイガーを食らう戦いであり、大いなるフットボール王国のディキシー地区でかつて繰り広げられたなかで最もスリリングで、最も過酷で、最も壮観な60分間の戦いの末に、平原の荒れ狂う猛獣が勝利を収めた。昨日、オーバーンは勝った。彼らは戦い、考え、すべてを完璧にやってのけた。栄光はすべて彼らのものである。むしろ昨日の試合のスコアはもっと開いていてよかった。オーバーンのイレブンは、つい先週の土曜日にバーミングハムでキャップストーンの強大なタイドを2対0に抑えたあのチームよりも、はるかに優れた布陣だったのだから
死刑執行人の名前、もはや秘密ではなく
シンシン刑務所の死刑執行人は、今年初めに任命されて以来名前が伏せられてきたが、本日、ロングアイランド在住のロバート・エリオットであることが明らかにされた。刑務所当局によると、エリオットはマサチューセッツ、ニュージャージー、ペンシルベニアの各州の死刑執行人も務めている。エリオットは60歳前後である。エリオットはこれまでにシンシンで10件の死刑を執行しており、報酬は一件につき150ドルである。息子と娘はこのことを知らず、父親の仕事はロングアイランドの村で営む小さな商売の店主だけだと信じている。エリオットは米国内外の40人の応募者の中から選ばれた。
解説
農業品評会がミッドウェイの週末になるまで
アラバマ州品評会は農業の催しとして始まった。最初の品評会は1855年11月20日から24日に開かれ、「農業品評会・家畜展示会」と名づけられた。20世紀に入るころには、州品評会はモンゴメリー市のすぐ北にある会場で開かれていた。ハル・スティーブンズの1926年の記事は、この農業の催しに商業的な娯楽が大きく加わっていたことを示している。スティーブンズは入場者を推定1万人とし、霧雨の土曜の夜にもミッドウェイの見世物を人々が巡ったと書いた。スティーブンズはまた、自動車館で開かれたチャールストン・コンテストの入賞者を挙げ、賞品が優勝カップと25ドル、5ドルだったと記録した。記事は品評会をフットボールの週末とも結びつけており、青とオレンジを身につけたオーバーンの応援者が試合の後に見世物を巡ったと伝えている。1万人という数字は新聞自身の推計であり、ここで使った資料は1926年の入場者数を別に示していない。
オーバーンがモンゴメリーのクラムトン・ボウルで戦った理由
クラムトン・ボウルは1926年の時点で完成から4年しかたっておらず、民間の力で建てられた競技場だった。材木商のフレッド・J・クラムトンは公園用の土地を市に寄付したが、市当局は事業に予算を割けず、土地を返した。クラムトンはその後3万3000ドルの募金活動を率い、競技場は1922年5月に完成した。モンゴメリーはまもなく州の二つの有力大学チームが試合を行う定番の会場になった。アラバマ工科大学、現在のオーバーン大学は、1922年から1951年まで毎年少なくとも1試合をこの競技場で行い、その多くはシーズン開幕戦だった。アラバマ大学も1922年から1932年まで毎シーズンこの競技場で試合をした。この慣行があったため、州品評会と同じ週末にオーバーンの試合が州都に観客を集めた。スティーブンズがその夜のミッドウェイの「あちこちに」オーバーンの色が見えたと書いた背景にも、この慣行がある。
オーバーンの1926年シーズンと9対0の「タイガー対タイガー」
ジャック・ラングホーンが称えた試合は9対0で終わった。バーミングハム・ニューズ紙は1926年10月31日の記事に「プレーンズメン、セワニー・タイガースを圧倒し9対0で勝利」という見出しを付けた。この見出しは、ラングホーンが「タイガーがタイガーを食らう」と書いた理由も説明している。両チームはどちらもタイガースと呼ばれ、オーバーンの愛称「プレーンズメン」はラングホーンの「平原から来たタイガー」という表現と重なる。アドバタイザー紙自身は、セワニーのチームを「テネシーの山深い森」から来た紫のチームとして描いた。この勝利はデーブ・モーリー監督の2年目のシーズンに挙げたものであり、オーバーンは通算5勝4敗、サザン・カンファレンスでは3勝3敗でシーズンを終えた。記事の「すべての栄光を」という調子は、まずまずだが浮き沈みの大きい1年の中で書かれたものである。ラングホーンは最後の文で、オーバーンは前の土曜日にバーミングハムで「タイド」を2対0に抑えた「あのチーム」よりはるかに優れていたのだから、スコアはもっと開いてよかったと論じた。文脈からみて、この「あのチーム」はセワニー自身を指すとみられる。タイドとは、州のもう一つの有力校であるアラバマ大学のクリムゾン・タイドを指す。ここで集めた資料はそのバーミングハムの試合を記録していないため、この比較は記者自身の説明に基づいている。
ロバート・エリオットの経歴と名前が伏せられた理由
ロバート・G・エリオットはニューヨーク州の「州電気技師」の職にあった。この肩書きは死刑執行人を指す婉曲な呼び名であり、任命されたのは本職の電気技師だった。エリオットはニューヨーク州初の州電気技師エドウィン・デービスの助手を務めて訓練を受け、1926年にこの職に就いた。エリオットは1926年1月28日に初めての執行として2人の電気処刑を行い、この日付は記事の「今年初めの任命」と合う。エリオットは覆面もフードも着けなかったが、当初は名前を明かさずに身元を隠そうとした。ニューヨーク州は州電気技師を常勤で雇わず、執行ごとに雇っていた。そのためエリオットは自分の仕事を続けることができ、電気工事業を営んでいた。記事のいう「小さな商売」はこの電気工事業にあたる。1件150ドルという報酬も、ニューヨーク州が実際に執行ごとに支払っていた額と一致する。仕事の危険も秘密主義の理由を説明している。前任者のジョン・ハルバートは1920年、死刑に反対する地元住民がハルバートを私刑にしようとしていると知り、ネブラスカ州から逃げ出した。記事の「60歳前後」という年齢は誤りである。エリオットは1874年1月生まれで当時52歳であり、1926年1月の別の新聞も同じ誤りを載せていた。
名前が明かされた後のエリオット
この記事で失われた匿名性はその後戻らず、エリオットは同時代で最もよく知られた米国の死刑執行人になった。エリオットは1926年から1939年まで、ニューヨーク州と、電気椅子を使う近隣の州で執行を担った。近隣の州にはニュージャージー、ペンシルベニア、バーモント、マサチューセッツが含まれ、1926年の記事が挙げた3州よりも範囲が広い。この記事から2か月余り後の1927年1月6日、エリオットは1日のうちに2つの州で6人の受刑者を電気処刑した。エリオットが執行した人数は合わせて387人に上り、その中にはサッコとヴァンゼッティ、ルース・スナイダー、アイリーン・シュローダー、ブルーノ・ハウプトマンがいた。サッコとヴァンゼッティの処刑の直後、何者かがエリオットの家の下に爆弾を仕掛け、玄関ポーチを破壊した。1926年の秘密主義が避けようとしていたのは、まさにこうした敵意だった。エリオット自身はやがて死刑に反対し、死刑は何の役にも立たないと述べた。
原文
RACING EXHIBITION IS CHIEF ATTRACTION ON TODAY'S MENU
It was estimated that 10, 000 persons attended the state fair yesterday. A drizzling rain failed to dampen the spirits of the crowd in the midway Saturday night. The blue and orange of Auburn was seen on every side as the Tiger supporters made the rounds of the shows. A loving cup offered as first prize to the winner of the Charleston contest held in the automobile building last night was awarded to Miss Tootsie Dunbar. The second prize, $ 25 in cash, was awarded to Miss Helen Ginnovan. A third prize, $ 5 in cash was awarded Miss Josephine Kennedy.
AUBURN TIGER IS VICTORIOUS AFTER STRENUOUS BATTLE
Glory, all glory, to dear ole Auburn! The claws of a Tiger from the Plains of Alabama, unsheathed and sharp, sank deep into his purple brother from the mountainous forests of Tennessee yesterday afternoon in Cramton Bowl. It was Tiger eat Tiger and the lashing beast of the Plains was victorious after sixty minutes of the most thrilling, gruelling and spectacular warfare ever staged in the Dixie sector of the great grid domain. Auburn won yesterday. They fought, they thought, they did everything to perfection and all glory is theirs. If anything, the score of yesterday's game should have been larger, for the Auburn eleven was a far superior combination than that outfit which held the mighty Tide of the Capstone to a 2 to 0 score in Birmingham just last Saturday
NAME OF EXECUTIONER IS NO LONGER SECRET
Sing Sing prison's executioner, whose name has been kept secret since his appointment early this year, was revealed today as Robert Elliott, a resident of Long Island, who, prison officials said, is also executioner for Massachusetts, New Jersey and Pennsylvania. Elliott is about 60 years old. He has performed ten executions at Sing Sing thus far, for which the fee is $ 150, unknown to his son and daughter, who believe their father's only occupation is that of the proprietor of a small business in his Long Island village. Elliott was selected from 40 applicants in the United States and foreign countries.
紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料