Journal de Genève
- 黒シャツ隊へのメッセージ
- パリ通信
- 二つの列車
1926年10月31日付のジュネーヴ新聞は、ローマ進軍の記念日にイタリア全土で公式弁士が読み上げたムッソリーニのメッセージを論説で取り上げた。W. M.の署名がある論説は、ファシズムの言葉の力をたたえ、このメッセージを政治的散文の傑作であり統治行為でもあると評した。パリ通信は、フランス下院の財政委員会が第二の政府のようにふるまい、監督にとどまらず内閣の財政案を根本から作り変えていると批判した。スイスの話題では、J. M.が連邦の年金基金を年1200万の赤字に向かわせていた流れを同紙の警告が止めたと主張し、ムッシー連邦参事会員もその警告に同意したと伝えた。
翻訳
黒シャツ隊へのメッセージ
ファシズムにおいて驚嘆すべきは、その言葉の力である。ローマ進軍の記念日に際して、公式の弁士たちがイタリア全土で読み上げたムッソリーニ氏のメッセージは、人々の心に深く刻まれるであろう比類のない鋭い演説であり、政治的散文の傑作であると同時に、まぎれもない一つの統治行為でもある。
パリ通信
下院の財政委員会は、これまで常に政治生活の中で過大な役割を演じてきた。委員会はしばしば自らを大きな政府と並び立つ小さな政府とみなしている。そして本来の有益な権限である監督と修正の行使にとどまらず、内閣の財政案を根底から覆してしまうことも少なくない。
二つの列車
われわれは非常ベルの紐を引いた。すると、連邦の年金基金を年1200万の割合で赤字への線路に運んでいた列車は停止した。列車長のムッシー氏は、自身も脱線の危険を十分に察知していたので、われわれのいささか乱暴なふるまいをとがめて罰金を科すことはなかった。それどころか氏はわれわれの言い分を認め、危険を見ないように目をつぶっていた人々の立場を断固とした言葉で批判した。
解説
1926年のローマ進軍記念日が記念したもの
この論説が取り上げた記念日は、ファシストの示威隊と黒シャツ隊がローマに迫った1922年10月28日から31日の出来事にさかのぼる。国王は1922年10月30日にムッソリーニを首相に任命し、ファシストは武力衝突なしに政権を手にした。この進軍は、後にファシズムが祝ったような権力奪取ではなかった。4周年にあたる1926年10月までに、政権の性格は大きく変わっていた。ムッソリーニは1924年6月10日のジャコモ・マッテオッティ暗殺の後に独裁体制を築き、イタリア王国は1926年から一連の勅令で進軍記念メダルの受章資格を広げ始めた。公式弁士が全国で同じメッセージを読み上げる形式は、こうして広がる記念行事の一部である。W. M.はこのメッセージを「まぎれもない統治行為」と呼び、人々の心に刻まれると予測した。この評価と予測はジュネーヴ新聞自身の判断であり、イタリアの人々が演説をどう受け止めたかを示す記録ではない。
1926年のポワンカレ内閣と下院財政委員会
パリ通信が書かれた時点で、レイモン・ポワンカレの第4次内閣は発足から3か月余りを経ていた。この内閣は1926年7月23日から1928年11月6日まで政権を担った。ポワンカレは首相と財務相を兼ね、特別権限を与えられ、まず110億を超える新たな財源を求めた。エリゼ宮の略歴は、ポワンカレがこの時期に財政再建政策を始め、その政策に彼の名が結びついたと記している。ポワンカレ自身も下院の予算審議を内側から知る政治家だった。ポワンカレは1890年から1891年に財務予算の報告者を務め、1892年には予算の総報告者を務めた。特別権限を持つ内閣は大規模な増収策を進めるために予算の成立を必要としており、政府案を作り変える財政委員会はその成立を遅らせるおそれがあった。通信員は財政委員会が大きな政府と並ぶ小さな政府としてふるまっていると批判したが、この批判は通信員の政治的判断である。
連邦財務を率いたジャン=マリー・ムッシー
J. M.の論説が列車長にたとえたジャン=マリー・ムッシーは、1919年12月11日に連邦参事会員に選ばれ、財務関税省を率いていた。フリブール州政府の略歴によれば、ムッシーは社会支出を抑え、間接税を重視し、関税を引き上げることで連邦予算の均衡を実現した。ムッシーが年金基金の赤字に警鐘を鳴らした同紙の側に立ったことは、この財政方針と一致する。ムッシーは連邦職員に対しても厳しい姿勢をとり、1927年には職員のストライキを禁じる新しい職員法を導入した。年1200万の赤字という数字と、同紙の警告が列車を止めたという主張は、ジュネーヴ新聞自身の説明である。
原文
Le message aux chemises noires
Ce qui est merveilleux, dans le fascisme, c'est sa puissance verbale. Le message de M. Mussolini, lu dans toute l'Italie par les orateurs officiels, à l'occasion de l'anniversaire de la marche sur Rome, discours unique et pénétrant qui restera gravé dans les esprits, est à la fois un grand morceau de prose politique et un véritable acte de gouvernement.
Lettre de Paris
La commission des finances de la Chambre a toujours joué dans la vie politique un rôle démesuré. Elle se considère souvent comme un petit gouvernement à côté du grand; il lui arrive fréquemment de bouleverser de fond en comble les projets financiers du cabinet, au lieu de se borner à exercer ses droits normaux et utiles de contrôle et de rectification.
Deux convois
Nous avons tiré la sonnette d'alarme, et le convoi qui emmenait les caisses de retraites de la Confédération à 12 millions à l'année sur la voie du déficit s'est arrêté. Le chef de train, M. Musy, qui percevait fort bien luimême les risques de déraillement. ne nous a pas mis à l'amende en raison de notre geste un peu brusque: tout au contraire il nous a donné raison, et, en termes catégoriques, a critiqué le point de vue de ceux qui fermaient les yeux pour ne pas voir le danger.