Il Piccolo
- ドゥーチェの言葉
- 教皇の姪の婚礼
- 英仏海峡での模擬戦
1926年10月31日付の『イル・ピッコロ』第1面は、ムッソリーニが青年時代を過ごした町で黒シャツ隊に向けて行った演説を伝えた。ムッソリーニは、公共事業の落成式で体制の第五年を始めるために来たと述べ、ファシズムは決議や演説ではなく、具体的な事業と国土の物理的な変革によって歴史に残ると語った。紙面はまた、教皇ピウス十一世がヴァチカンのマティルデの間で、姪マリア・ルイーザ・ラッティとエドアルド・ペルシケッティ=ウゴリーニ侯爵の婚礼を質素な式次第のもとで自ら執り行ったと報じた。英国からは、帝国会議の参加者がポートランドで旗艦に乗り込み、英仏海峡で観艦式と潜水艦を交えた模擬戦を見学したという記事が載った。その記事は、ネルソンの時代以来初めて婦人が英国の戦艦で航海したとも伝えた。
翻訳
ドゥーチェの言葉
続いて、新たな熱狂的な喝采と万歳の声に迎えられて、ムッソリーニ閣下が演説し、次のように述べる。黒シャツ隊の諸君! 私はいくつかの理由で諸君の町にやって来た。第一に、私は青年時代のひとときを過ごした土地を、もう一度訪ねたかった。第二に、私は諸君の町と諸君の県のファシズム、すなわち堅実で、揺るぎなく、忠実なファシズムに、共感の証を示したかった。最後に、私は体制の名誉となる事業の落成式をもって、ファシスト体制の第五年を始めたいと思った。ファシスト体制は、多かれ少なかれ念入りに練られた決議や、多かれ少なかれ雄弁な演説によって、歴史に名を残そうとするものではない。ファシスト体制は、その具体的な事業によって、自らが創り出したものによって、祖国の姿を現実に、物理的に、深く変えることによって、歴史に刻まれつつあり、これからも刻まれていくのだ!(歓呼)
教皇の姪の婚礼
30日発――厳格にあらかじめ定められた質素な式次第に従い、今朝ヴァチカンのマティルデの間において、教皇ピウス十一世が、姪のマリア・ルイーザ・ラッティ嬢とエドアルド・ペルシケッティ=ウゴリーニ侯爵との婚礼の儀を執り行った。8時30分に婚礼の行列が聖具室で整列し、ほどなく礼拝堂に改められた広間へ入った。
英仏海峡での模擬戦
先週の土曜日、自治領の首相たちはクロイドンの大航空観閲式に臨席していた。本日、帝国会議の参加者たちは、観艦式と英仏海峡での模擬戦に立ち会った。本日の催しは、さまざまな点でこのうえなく特色のあるものだった。英国政府の閣僚と自治領の代表団は特別列車でポートランドに到着し、そこで旗艦である戦艦「Reweng」に乗り込んだ。一行には、英国海軍本部の最高幹部たちと首相たちの夫人も加わっていた。ネルソンの時代以来、婦人が英国の戦艦に乗って航海するのはこれが初めてである。潜水艦との戦闘演習やその他の海軍作戦が実施された。
解説
ファシスト暦が数えた体制の第5年
ムッソリーニが演説で語った「ファシスト体制の第5年」は、彼の政権掌握から数えた年である。ファシスト暦では、ムッソリーニがローマ進軍を経て首相に就任した1922年10月29日が第1年の初日にあたる。したがって第5年は1926年10月末に始まり、体制はこの号が出るわずか数日前に新しい年に入った。この年の数え方そのものも新しく、政府は1926年の第4年にこの暦を導入し、1927年の第5年に公式のものとした。ムッソリーニは黒シャツ隊に向かって、新しい年を公共事業の落成式で始めたかったと語った。さらに彼は、体制は具体的な事業と国土の物理的な変革によって歴史に残ると主張し、決議や雄弁な演説の価値を退けた。この主張は、紙面が伝える体制側の自己像である。抜粋は、演説が行われた町の名前も、落成した事業の中身も示していない。
1926年10月31日のボローニャでの銃撃
この号の日付と同じ1926年10月31日に、オープンカーでボローニャを進むムッソリーニに向けて銃弾が撃たれ、群衆は15歳の少年アンテオ・ザンボーニを私刑にかけて殺した。テロリズム研究者のJ・ボウヤー・ベルは、少年はおそらく無実であり、事件は仕組まれた芝居かファシスト同士の陰謀だったと後に書いた。政府はこの事件の後、ムッソリーニの秘密警察を設ける法律を定めた。この年にはそれ以前にも襲撃が続いた。4月7日にはヴァイオレット・ギブソンが拳銃を撃ち、弾はムッソリーニの鼻をかすめた。9月11日には無政府主義者の大理石工ジーノ・ルチェッティが、ローマのポルタ・ピアでムッソリーニの車に爆弾を投げた。紙面が伝える熱狂的な喝采の場面は、ドゥーチェへの襲撃が繰り返され、弾圧が強まっていった時期のものである。
ラテラノ条約以前にヴァチカン内で行われた教皇の家族の婚礼
花嫁の姓ラッティは教皇自身の生家の姓である。ピウス十一世はアキッレ・ラッティとして1857年にミラノ県デージオで生まれ、父は絹織物工場の経営者だった。紙面は、教皇がヴァチカン内のマティルデの間を礼拝堂に改め、質素な式次第のもとで姪の婚礼を執り行ったことを強調した。1926年の教皇庁は、まだイタリア国家と公然と対立していた。イタリアは1870年にローマを含むラツィオを占領して併合した。教皇庁はイタリアが示した解決案を拒み、教皇の霊的な管轄には政治権力からの明確な独立が必要だと主張した。以後の歴代教皇は、自らを「ヴァチカンの囚人」とみなした。教皇庁とムッソリーニの政府は、この婚礼と同じ1926年に、このローマ問題を解決する交渉を始めた。両者は1929年2月11日にラテラノ宮殿で協定に調印し、条約はヴァチカン市国を教皇庁の主権の下にある独立国家と認めた。式そのものの細部は、紙面の記述だけが伝えている。
1926年の帝国会議とバルフォア宣言
英仏海峡の演習を見学した帝国会議は、大英帝国の自治領の首相たちを集めた5回目の帝国会議である。会議は1926年10月19日から11月23日までロンドンで開かれ、この観艦式は会期の最中に行われた。この会議はバルフォア宣言をまとめ、宣言は各自治領が地位において対等であるという原則を定めた。クロイドンの航空観閲式とポートランドからの乗艦は、帝国の憲法上の関係が議論されていた時期に、英国の空と海の戦力を自治領の指導者たちに見せる催しだった。ネルソンの時代以来婦人が英国の戦艦で航海したのは初めてだという記述は紙面自身の主張であり、ここで用いた資料はこの主張を裏づけも否定もしていない。
原文
La parola del Duce
Quindi, accolto da un nuovo delirio di ovazione e di evviva, parla S. E. Mussolini il quale dice: Camicie nere! Sono venuto nella vostra città per diversi motivi: prima di tutto volevo ripassare per quei luoghi dove ho trascorso qualche tempo della mia giovinezza; in secondo luogo volevo dare un attestato di simpatia al Fascismo della vostra città e della vostra provincia; Fascismo quadrato, solido, fedele. Infine mi piaceva di cominciare il quinto anno del regime fascita con la inaugurazione di opere che onorano il regime. Il regime fascista non si raccomanda alla storia attraverso ordini del giorno più o meno elaborati e discorsi più o meno eloquenti; il regime fascista passa e passerà alla storia attraverso alle sue opere concrete, attraverso alle cose che avrà creato, attraverso alle trasformazioni effettive, fisiche, profonde del volto della Patria! (Acclamazioni).
Le nozze della nipote del Papa
, 30 Secondo l'austero programma rigorosamente predisposto, stamane nella sala Matilde in Vaticano, il Papa Pio XI ha celebrato il rito matrimoniale fra la nipote sua, signorina Maria Luisa Ratti ed il marchese Edoardo Persichetti-Ugolini. Alle 8. 30 il corteo nuziale si è ordinato nella sacrestia e poco dopo entrava nella sala trasformata in cappella.
Una finta battaglia nella Manica
Sabato scorso i Premiers dei Dominions avevano assistito alla grande rivista aerea di Croydon. Oggi i partecipanti alla Conferenza imperiale furono presenti alla rivista navale e ad una finta battaglia nella Manica. La manifestazione di oggi fu quanto mai caratteristica sotto differenti ' aspetti. I membri del Governo inglese ed i delegati dei Dominions sono giunti con treno speciale a Portland e là si sono imbarcati sulla corazzata ammiraglia «Reweng». Alla comitiva partecipavano le signore delle più alte autorità dell'Ammiragliato inglese e dei Premiers. E ' la prima volta, dopo i tempi di Nelson, che delle signore navigano su una corazzata inglese. Furono eseguite esercitazioni di combattimento con sottomarini ed altre operazioni navali.
紙面の出典:Source: Internet Archive