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· パリ(フランス) · フランス語

Le Figaro

1926年10月31日付の第1面には、国防論、政党の選挙戦術、裁判の記事が並んだ。「われわれに必要な軍隊」と題する論説は、ヨーロッパの近代戦では兵器と装備が兵士の戦闘力の第一条件であり、その質と構成が野戦軍の編成を決めるべきだと主張した。リュシアン・ロミエの署名論説は、社会党を、妻を嫌いながら持参金は手放さない夫にたとえて皮肉った。ロミエはまた、社会党全国評議会に出される提案のどれも上院選挙での急進党との同盟を禁じておらず、ルノーデル派は第一回投票での同盟を公然と勧めていると指摘した。ルフェーヴル夫人の死刑判決を報じた記事は、女性の処刑が長年行われていないことと、六十歳を超える夫人には強制労働刑が重禁錮刑になることを伝えた。

翻訳

われわれに必要な軍隊

改めて確認しておこう。いわゆる文明国同士がぶつかり合うヨーロッパの近代の戦場では、戦闘員がいかに優秀であろうとも、その戦闘力を左右する第一の条件は兵器と装備である。その質、性格、構成こそが、野戦軍を勝利へ導くための編成が拠って立つべき基礎なのである。

社会党と上院選挙

実のところ、社会党は、妻を愛しておらず、会う人ごとに妻の不平をこぼしながら、妻の持参金とそれに伴う安楽だけは愛している夫のようなものである。だからこそ、必要となるたびに、折り合いをつけるための巧妙な理屈が生まれてくる。それゆえ、選挙戦術について全国評議会に提出される諸提案の中にも、社会党と急進党との同盟を絶対的に禁じるものは何ひとつ見当たらない。ルノーデル氏とその同志たちの提案は、第一回投票での同盟を率直に勧めている。

ルフェーヴル夫人に死刑判決

しかし、女性が処刑されなくなってからすでに長い年月がたっている。またルフェーヴル夫人は六十歳を超えているので、強制労働刑は彼女の場合には重禁錮刑ということになるだろう。

解説

上院を嫌う社会党が上院の議席を求めた理由

ロミエが描いた「妻を嫌いながら持参金を愛する夫」の像は、社会党が上院に対して長く抱えてきた矛盾した態度を指している。ジャン・ジョレス財団が公開した社会党と上院選挙の歴史によれば、社会党は上院を進歩的な思想を阻む障害とみなしながら、上院の議席を争い続けた。同じ歴史は、ロミエが論じた改選の重みも示している。社会党の上院議席は1921年にはわずか2議席だったが、1927年には14議席となり、社会党は独自の会派を結成できるようになった。ロミエの論説はこの結果が出る前に書かれたものである。ロミエは社会党の上院進出への関心を日和見主義として描いたが、のちの議席数は、1927年までに社会党の上院での存在感が大きく伸びたことを示している。

急進党との同盟か社会党単独名簿か

ロミエは、社会党全国評議会に提出される戦術案のどれも急進党との同盟を絶対的には禁じておらず、ピエール・ルノーデルとその同志が第1回投票での同盟を公然と勧めていると報じた。ジャン・ジョレス財団の歴史は、戦間期の社会党の上院選挙戦略を、第1回投票では社会党員だけで構成した名簿を立てようとする方針として説明している。同じ歴史は、一部の党員がこの方針に反発し、急進社会党と同盟すればより多くの議席を得られると主張したことも記録している。ロミエの論説は、党内で繰り返されたこの論争のある時点を伝えている。ルノーデルの提案は同盟を求めた党員の立場にあたり、歴史がこの時期の典型として描く戦略は第1回投票での社会党単独名簿だった。保守系紙に書いたロミエは、同盟に含みを残す姿勢を社会党の首尾一貫しない姿の証拠として示した。

女性の処刑はどれほど珍しくなっていたか

女性が長年処刑されていないという記事の指摘は、より広い記録と一致している。フランスの死刑制度の概説によれば、ヴィシー政権下でペタン元帥が5人の女性への恩赦を拒んだとき、フランスでは50年以上にわたって女性がギロチンにかけられていなかった。死刑の減刑権は共和国大統領だけが持っており、1926年にその職にあったのは、1924年の大統領選でポール・パンルヴェを破ったガストン・ドゥメルグである。したがってルフェーヴル夫人の生死は大統領の判断にかかっていた。恩赦はそれ以前から処刑を減らしてきた。アルマン・ファリエール大統領は任期の最初の3年間、死刑囚全員に恩赦を与えた。一方で死刑廃止そのものは実現せず、アリスティド・ブリアンの法案は1908年12月8日に330対201で否決された。60歳を超える女性には強制労働刑が重禁錮刑になるという説明は、新聞自身が刑罰制度について述べたものである。

兵器重視の軍隊を求めた論説と当時の陸軍大臣

兵器と装備を軍の編成の基礎にすべきだとする論説が載ったのは、ポール・パンルヴェが陸軍大臣を務めていた時期である。パンルヴェはアリスティド・ブリアン内閣で陸軍大臣に就き、1926年にレイモン・ポワンカレが政権を握った後もその職にとどまり、1929年7月まで陸軍大臣を続けた。パンルヴェはこの時期に、フランス東部国境の要塞線であるマジノ線の建設で中心的な役割を果たした。抜粋は大臣の名前も特定の法案も挙げていない。それでも、兵士の優秀さだけでなく装備の質と構成が近代戦を決めるという論説の主張は、パンルヴェが陸軍大臣としてマジノ線の創設に深く関わった時期に書かれたものである。

原文

L'ARMÉE QU'IL NOUS FAUT

Une fois de plus, constatons-le, sur les champs de bataille modernes d'Europe où se rencontrent les nations dites civilisées, le matèriel est la condition première du rendement des combattants, si excellents soient-ils. Sa qualité, sa nature et sa composition sont les bases sur lesquelles doit s'asseoir l'organisation d'une armée de bataille pour conduire à la victoire.

Le parti socialiste et les élections sénatoriales

A vrai dire, les socialistes sont comme ce mari qui n'aime pas sa femme, se plaint d'elle à tout venant, mais qui aime la dot de sa femme et le confort qu'il y trouve attaché. D'où naissent, chaque fois qu'il importe, d'ingénieuses raisons pour un modus vivendi. Aussi, dans les diverses propositions qui seront soumises au Conseil national touchant la tactique électorale, ne voyons-nous rien qui interdise absolument l'alliance des socialistes avec les radicaux. La proposition de M. Renaudel et de ses amis recommande franchement l'alliance au premier tour de scrutin.

MADAME LEFEBVRE EST CONDAMNEE A MORT

Mais voici de longues années qu'on n'a point exécuté de femmes, et, Mme Lefebvre ayant plus de soixante ans, la peine des travaux forcés serait pour elle la réclusion.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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